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  • 執筆者の写真ゼミ 横山

"真打落語家"蝶花楼桃花

更新日:1月17日

今、落語家であるということ


瀧口さくら、大谷心路、新野遥南、和田実莉



今回インタビューさせていただいたのは、真打に昇進されてから1年、今もっとも熱い落語家ともいえるでしょう、蝶花楼桃花さんです。軽妙な語り口と明るいお人柄で人気を博す桃花さんの、稽古の方法やこれまでのご苦労などなど…。令和の落語界をたっぷり1万5千字超でお届けします。



(ご本人提供)


蝶花楼桃花氏プロフィール


春風亭小朝に入門。春風亭ぽっぽとして前座修行を開始する。二ツ目・春風亭ぴっかり☆時代に「浅草芸能大賞」新人賞を受賞。2022年3月、待望の真打昇進。これを機に高座名を「蝶花楼桃花(ちょうかろう・ももか)」と改め、七代目・蝶花楼馬楽の没後途絶えていた歴史ある亭号を復活させる。上手い、可愛い、華がある~と、三拍子そろった「寄席のプリンセス」(蝶花楼桃花オフィシャルサイト 「桃花俱楽部」より引用)。一般社団法人落語協会/東宝芸能株式会社所属。



入門までのプロセス


──ご自身の入門に至るまでの経緯についてお聞かせください。


実は私は落語を子供のころから聞いて育ったというわけではなく、もともとは役者を目指していました。幼稚園児くらいのころ、「移動ミュージカル」というものが幼稚園に来てミュージカルを披露してくれたんです。そこから「私はミュージカル女優になる」と親に話すようになったそうです。そこからずっと夢が繋がっているように思います。


途中宝塚歌劇団に憧れたこともありましたが、身長の問題で受験することすらも叶わず、幼いながらに挫折を味わったことを覚えています。他にもアイドルや女優などさまざまなオーディションに挑戦していましたがなかなか上手くはいきませんでした。それでも、舞台に立ちたいという気持ちは変わらず、ミュージカル学科のある学校に入りました。そこでどんな表現をやっていこうかと悩んでいたときに、自分は自国の文化を全く知らないということに気付いたんです。その後、伝統芸能も学ぶことができる劇団に入りました。


落語にはそこで出会いました。落語は一枚の座布団の上で話すだけの究極にシンプルな話芸にも関わらず、人間国宝の方がいたり、新作落語をしている方がいたりなど、芸の幅がとても広いことに強く心を打たれたんです。また、ここで初めて男性社会の落語界にも女性落語家が存在することを知りました。そこから落語の世界にどんどんのめり込んでいき、私は落語をやっていくと決意してから、師匠である春風亭小朝のもとに入門するまでの時間はとても速かったです。



──小朝師匠のもとにはどのようにして弟子入りしたのですか?


落語の世界は、お笑いのように養成スクールがあるわけではなく、絶対的な師弟関係が必要です。師匠を持たなければプロになることはできず、その師匠のもとを破門になれば基本的には決して落語家ではいられないという世界です。


自分が誰のもとに弟子入りするか考えたとき、当時は女性落語家が数人しかいなかったため、女性を育ててくれるかどうかがとても重要な要素でした。加えて、自分が尊敬できる相手でなければ、一生ついていくのは難しいと考えました。そこでその二つの要素を兼ね備えていると感じたのが、私の今の師匠である春風亭小朝でした。小朝は凄く先進的な考え方を持っていて、華のある芸にも強く憧れて、師匠にするならもうこの人しかいないと思いました。


そこから、どうやったら弟子になれるんだろうかと必死に考え、独演会の休憩時間を狙って会いに行きました。それが25歳のころです。面接が始まり、「真打になりたいのか」と聞かれたとき、嘘を付かずに「私はただ自分の落語をやりたいんです」と伝えたところ、弟子に取ってもらえることになりました。次の日から「ぽっぽ」と呼ばれ、着物の畳み方やお茶の出し方などを先輩方から教わりました。いきなり落語家人生が始まったわけですから、戸惑いは大きかったです。そこから1年弱、見習い修行を行いました。



修行内容––わざ、稽古について


──その後真打になるまでどんな修行を行ったのですか?


その後、5年間の前座修行に移ります。メイクもせずに、365日寄席の運営をお手伝いしました。この期間、演劇の人がするような発声練習は一切行いません。落語の世界は実践を重ねて練習をしていきます。マイク無しでお客さんの前で話す中で、喉を作っていったり、お客さんとの対話に慣れていったりというように、修行を積んでいきます。


寄席の手伝いをしている間、BGMのように落語を毎日聞いていると自然と身体が覚えていくんです。師匠の息遣いや「間」の取り方は、何秒間というように言葉で表せるものではなく体感で覚えていくものです。決して学校のようにカリキュラムがあるわけではないので、前座の間は寄席で修行をしながら実践を繰り返し、「間」やお客さんの空気感を学んでいくのです。


二ツ目に昇進すると、雑用からは解放されて一人前の落語家となります。私の場合は10年間修行をしました。そして2022年に真打となりました。真打になると弟子を取ることができたり、寄席でトリ(寄席の最後の出番)を取ることができるようになります。これが最高位となります。


──具体的にどのような稽古を受けましたか?


落語において、稽古は二段階あります。


まずは、師匠の落語を聴いて覚えます。最近では録音が許されることも多くなっていますが、昔はできなかったので、師匠の向かいに座り、師匠が話してくださるネタをその場で覚えるしかありませんでした。そこで、寄席での修行期間が活きてくるんです。台詞や「間」の取り方が耳に入っている分、お話を習う際も効率よく覚えられます。


その次に行うのが「上げの稽古」というものです。教わった師匠に自分がやるのを聞いてもらい、修正をしてもらいます。それが終わって初めてお客さんの前で披露しても良いということになります。


ただ稽古の仕方は、師匠によってさまざまです。細かくレクチャーをする師匠もいれば、全くしない師匠もいます。私の師匠は指示してくださるタイプでして、大切にしているポイントを教えて頂いていました。前座のうちは、師匠から習ったままをやるだけですが、二ツ目になると、アレンジを加えてもよいという風になります。これにおいても決まりはなく、空気として、そのような流れがあります。


──体の動きも具体的に師匠から習うのですか?


最初は基礎として教えてもらいます。例えば目上の人の方を向くときは下手(しもて)に、家の中にいる人が入口の方に声をかけるときは上手(かみて)に体を向けるなどの基本的な決まりはあります。ただそれも多少はアレンジを加えても良いことになっています。演じている人物になりきって動いていきます。


私たちは「鏡を見て稽古をするな」と言われています。なので、自分がどのような動きをしているかは、映像を撮って見てみないと分からないものなんです。動きに関しても噺家によって個性があります。全く微動だにしない噺家もいれば、座布団から転げ落ちる噺家もいます。どれが正解ということもないんです。



(筆者撮影)



──もし、桃花さんが教えるとしたら具体的に指導しますか?それとも相手に任せますか?


私は自分が大切にしていることや、自分のこだわりは伝えます。


一度後輩に『お見立て』*を教える機会がありまして、花魁(おいらん)を演じる時は強調して演じるなど、私が実践している部分はその子に伝えました。お見立てのポーズ(お願いポーズ、詳しくは後述)だったら、まずはポーズを入れないバージョンで教えて、後から私はこういう風にやっている、というように伝えました。その子がどう取捨選択するかは任せますが、自分の手札はまず出しちゃいますね。何にも言わない師匠方もそれはそれでかっこいいですけど、私は言ってもらえたのが嬉しかったので、今後ももし、私に習いたいと来てくれる方がいれば、言っていきたいなと思います。


※『お見立て』…古典落語の一つ。喜瀬川花魁は、太客の杢兵衛(もくべえ)大尽が嫌いで会いたくない。そのため、小間使いの喜助に「花魁は病気だ」と嘘をついて追い返すよう命じる。嘘を信じそれでも会いたいという杢兵衛と、それでも会いたくないという喜瀬川花魁の間を奔走する喜助、というネタ。


──現在の自主練習はどのように行っておりますか?


これも落語家によってさまざまです。私の場合は、心配なので落語は口伝の芸ですが一度台本に書き起こす作業をしています。古い師匠の中には本は使わず頭の中に完全に記憶している方もいますが、私は資料として台本を作るようにしています。


覚え方もさまざまで、何度も口に出して覚える人もいれば、要点だけ押さえて会話の流れだけ覚えておくという人もいます。芸人の気質によってバラバラで、毎回全く違う話し方をする人がいれば、一字一句正確に時間もぴったり話すという人もいます。芸人それぞれ目指すところによってやり方が違うという感じですね。


私の場合は、一応最初は台詞を正確に頭に入れます。ただ、やっていくうちにいらないと感じた台詞を取り除いたり、咄嗟に出たアドリブが面白かったら付け加えたりなどしています。どんどん台本を変えていくので、後々になって最初の台本を見て驚くことが多いです。生き物のように変化していくというような感じがあります。


自分の癖を知るために、録音を確認することもあります。語尾が上がっていたり、「○○ね」が多かったりと、客観的に聞いてみて聞きにくいところがないかを確認するようにはしています。ただ、落語は「生もの」なので、お客さんとの対話を重視しなくてはいけません。そのため、私はなるべく台詞を決め込み過ぎないようにしています。自分の録音を聞いて癖の矯正は行いますが、お客さんの前で感じた空気感に合わせて台詞を変えてもいます。


──落語においての「上手さ」やゴールについてどのように考えていらっしゃいますか。


正直、ゴールは全員違うし、結局はお客さんの好みなんですよね。この人が上手いから好きとか、上手くはないけど、この人の人間性が好きとか。あとは、この人の話聞いてると笑っちゃうんだよね、救われるんだよねって人がいるだろうし。


もちろん、技術でいうと、息継ぎの間にブレスをできるだけしない方が伝わりやすいとかはあるので、そういうことは鍛えていかなくちゃいけないんですけど。最終的には上手い・下手というところではなくて、芸人に会いに行きたくなる芸が落語でもあると思うんですよ。なので、蝶花楼桃花の落語を聞きたいと思ってもらえる人になりたいと思っています。



修行内容––ネタの決め方、お客さんの読み方について


──お客さんの様子を見てネタを変えるようなことはあるのでしょうか。


客席の雰囲気というのは肌で感じるんですよね。(雰囲気の掴み方は)男女比とか色々あるんですけど、寄席では不特定多数の方が来るので、その日その日で全く空気が違うんですよ。だから、その時に合わせてというのはありますね。


例えば「今日、どんなお客さんですか?」って聞いた時に、「初めての人ばっかり」とか。それは「本当だ!初めてだ」ってわかるんですよ。逆に、「今日はマニアックなお客さん多いよ」っていうと、一般的なものよりも少し角度を変えたネタにすると食いついてくださったりとか。そういうのがあるので、肌感覚で芸人同士で、「今日のお客さんどう?」っていう会話をよくします。それは結構独特かもしれないですね。


あとは、ネタ帳*²を見ていって、今日はこういうお客さんだな、柔らかい話のが好みなんだなとか、なんとなく流れでわかるんです。なので、何個か候補を持って高座に上がって枕を振ってる間に、やっぱりこういうお客さんだからこっちにしようって決める感じなんですよね。それがたまに失敗することもあるんですけど、そのチョイスが上手い方がお客さんに支持されるというか、惹きつけられるっていうことはありますね。


※ネタ帳…その日の寄席で高座に上げられたネタを、前座の人が書き留めたもの。


──そういった力も実践の中で鍛えられていくということですね。


気がついたら鍛えられているくらいの感じがしますね。


──お客さんとの間にあるような「わざ」を表現する言葉はありますか?


よく使われている言葉としては、お客さんに「刺さる」ようにとか、「投げかけるように」とか。やっぱり流暢に喋ったから落語はきれいとか、面白いわけではないので。お客さんが笑って下さったら、そこに言葉を被せるのではなくて、笑いを待ってから言葉を入れるとかが、「刺さる」話し方ですかね。こういったものは、言葉を伝えることを生業としている人は、よく言う言葉かもしれないですが。


──ネタを決める順番というのは、真打だから先に決められるとかではなく、出番順なのでしょうか。


はい、順番で。そして寄席では先に出たネタとは、同じ話だけでなく設定が似た話も避けるという約束事があります。だから前座さんが話す段階では、まっさらな状態なので、何をやってもいいんです。反対に寄席のトリというのは、それを全部避けた上で自分の持ちネタをやらなきゃいけない。だから、真打になるってことはそういうことで、臨機応変に対応ができるからこそ認めてもらえるっていう段階ですかね。


──なるほど。では、前座の方は自分が練習したいものを出せるみたいなところもあるのでしょうか。


ありますね。前座の頃なんかはもう、何でもかけられるので。とはいえ新作だったり、そういった自分のオリジナリティを出したものはできないんですけど。習ったら、すぐ寄席にかけて勉強してみたりとか。それこそそんなところですべっても何でもないので、私が前座の頃は実践でバンバンかけてましたね。


あと私がタテ前座という前座のリーダーのときには、お客さんがまだ入りきっていない開演前の時間に、通常は一人だけの前座を二人あげたり、その二人で落語のリレーをやったりとかして。そういう風にして、前座修行の時っていうのは、高座に上がることが一番のご褒美でした。自由時間も全くないですし、それこそ遊びに行くこともないので、とにかく落語を喋りたくてしょうがなくて、そういう風にしていましたね。



(筆者撮影)



『お見立て』について


──先日、『桃組』(詳しくは後述)という寄席で桃花さんの落語を拝見しましたが、その日のネタはどうして『お見立て』にしようと思われたのでしょうか。


それはですね、単純にその日はまだ男女の話が出ていなかったからなんです。なので、廓話(くるわばなし=遊廓を舞台にした話)が直前に出ていたら『お見立て』はやってなかったですし、それぐらい本当に、前の演者が上がるまで、自分が何するかわからないんですよね。本当にギリギリに決まるんです。


──(拝見した日の公演で)枕でのお願いポーズ*が印象的だったのですが、どのように「お見立て」に組み込んでいくことを決めたのでしょうか。


お願いポーズは私のアレンジで、もともとあったわけではないんです。たまたま枕(導入部分の漫談)で喋ってる時に、これ喜瀬川がやったら面白いなと思ってネタの中でやったらお客さんが笑ってくれたので、取り入れてみた感じですね。お客さんが「この枕のこれこうだったんだ」「あ!知ってる」ってなって面白がってくれるので、そういうリンクは遊びとしてやらせてもらってますね。


※お願いポーズ…男性がかわいいと思う女性の仕草ランキング1位は、両手を胸の前であわせ首を左に傾けるポーズなんですって。やってみますね。何笑ってるんですか!…という話が枕にあった。そのポーズが、『お見立て』の喜瀬川花魁のおねだりシーンに登場する。



修行内容––師匠との関係について


──修行のお話がありましたが、修行中の経験が今の自分に生きているなというのを感じる瞬間があれば教えていただきたいです。


これは我々の世界でよく言われていることなんですけど、「師匠一人が何を望んでいるかが分からなくて、お客さんの望みは分からない」。つまり、俺が何をしているかが分からないんだったら、お前は高座に上がって、お客さんにどのネタが合っているのかなんて判断できないだろう、ということがよく言われるんですよね。だから、楽屋での気働きっていうのは、高座に上がってお客さんの空気感とか、お客さんの欲しているものとかを掴む、感覚を養う修行だっていうのは言われています。


それが本当かどうか分からないですし、その人が何を大切にするかによって変わってくるとは思うんですけど、私は修行はそういうものだと思っていますね。落語の実践は、やっぱり対人間なので、そこが役立ってるんじゃないかと私は思っています。


──ちなみに毎日のように修行されていた時は、どのようなスケジュール感で動かれてたのでしょうか。


そうですね。いわゆるブラック企業ってやつですよね(笑)。 本当に一日の休みもないですし、朝、師匠の自宅に行って掃除とか、それは一門によって違うんですけど。私も師匠の朝ごはんの準備をして、「では寄席に行って参ります」っていう風に寄席に行くわけですよ。そして朝の11時頃から8時くらいまでずっと寄席でもう休みなく働くわけですよ。そして、そのまま師匠のところに色々な届け物とかして、帰って朝寝て、そのまままた師匠の家に行ってっていう、これが365日。


もう落語を覚える時間なんてないんですよ。だから移動中に覚えるとか。あとは、これはもう時効なんで言いますけど…ちょっと兄さん方に1時間だけ休憩をもらって、明日までには覚える!みたいなことをやったりしました。でも、師匠から電話がかかってきたら困るから、対応できるように寄席の裏の方で少しサボるぐらいがやっとという感じでした。


あとは、今はコロナ禍で減りましたけど、打ち上げに毎日行って、お酌したり食器を下げたりとか。お客さんの空気を掴むことに通ずることっていう名目なんですけどね。そういう風に毎日やっていたので、逃げちゃう子とかもいましたし、ハゲができちゃったりとかね。そうやってだんだんと仲間がいなくなってしまう体験もしてるんですけど、だからこそ逆に全然違う門下の子たちと助け合ってっていう風にもなったり。


だから落語界って、「村」みたいな繋がりがすごく強いんですよね。もう師弟となると本当に親子みたいになりますし。同じ釜の飯を食ったじゃないですけど、本当にそういう繋がりになるんです。毎日一緒におりますから、ずるい部分とかも全部見えちゃうんですけど、そういうのも共有しながらみんなで戦っていくという感じですね。


──そういった関係ならではのエピソードはありますか。


そうですね…みんな、師匠方も100%前座修行をしてるわけですよ。だから、自分たちもズルしてきた分、弟子がどこでサボるかが分かる。自分が若かったときは上手いことごまかしてたつもりだったけど、真打になって「全部見透かされてたんだな」とは思いますね。


あとは、私の師匠に、荷物がたくさんあったときには全部君が持ちなさいと言われていました。そんな風にしている人は、前座修行ではあまりいなくて。でも後から考えると、さっき言ったように、ズルするポイントも先輩方は分かるんですよ。「あ、こいつこうやって軽いものから持ってくる」って。だから、パッと見て軽いものを持って、働いたようなふりしていくこともできるんだけど、一番重たそうなものから持つようにしたんです。


あと前座修行でよく言われてるのが、面倒くさいと思うことを進んでやること。「まあいっか」っていうのはないんですよね。やらないと大体大変なことになるので。だから、しんどいものを選択していけば間違いないというか、後から楽になるみたいなことは、修行を通して体験したことですね。


なので、あの修行に比べたらこの仕事楽だなって思えたり、前座から昇格して、大きな仕事をもらうプレッシャーと比べたら「ああ、これ全然大丈夫」っていう経験値をどんどん積んでいくっていう感じ。そういう意味では前座修行はすごく大切だったなと思います。



ジェンダーの視点で見る落語界の変化


──お客さんは落語家に会いに行く、好みによって落語を見に行くとのことでしたが、桃花さん自身はどういう方に支持されていると感じますか?


私自身が女性であることもありますが、演芸を見るお客さんの層として男性・年配の人が多い、というのは間違いないんです。私のお客さんとしても、同じ層が多いですね。今その方々が私の芸を支えてくださっていて本当にありがたいのですが、これからステップアップするには、女性の方からも聞いていただけるような存在になりたいなと思っていて。


先日、寄席で『桃組』という出演者が全員女性の興行をやらせていただいたんです。そういった興行は前代未聞だったので、拒否反応が起こるかな、と思っていました。始まって初日は予想通り中年の男性のお客さんが多かったんですけど、後半になるにつれて、半分くらい女性になったんですよ。ニュースを見て来ましたっていう若い方とかも結構いて、最後の客席が最初の日と全然違ったんですよね。こういった、新しいお客さんにも興味を持っていただく、という流れにしていきたいと思っています。


──観客の半分が女性っていうのは珍しいんですか?


珍しいですね。出演者が女性だけの興行って、単発とか一日だけとかなら過去にもあったんです。そういうときはお客さんが大抵男性になる傾向があって、そこから脱するのって難しかったんです。ただ、『桃組』に関しては女性のお客さんが二階の立ち見で来てくださったりして、うわー!響いてくださったんだなあと思ったりしましたね。


──楽屋でもそういう話されますか?


しますします。やっぱりお客さんを見て変える芸なので、「今日ちょっとさ、女性多くない?!」「やったー!」みたいなことはもちろん話して、みんな喜んでましたね。


──出演されていたニュース番組『news23』を拝見しました。その中で、『尻餅』*という演目をやるときに、女性であることが作品に影響するというお話がありましたが、どのように向き合っていらっしゃるのか伺いたいです。


※『尻餅』…古典落語の一つ。正月に餅をつきたいがお金がない夫婦が登場する。近所の人に餅をついていると思わせるために、旦那さんが奥さんのお尻を叩き、音を出すという話。


あのときは、たまたま『尻餅』を習ってるときに取材があったのであって、「私は女として絶対『尻餅』をやりたい」って訳じゃないんですけど(笑)。それを言ったらこれまでも全部そうなので。古典落語って男性目線で作られたものなので、女性がやることで違和感が生まれるのは承知で落語界に入ってます。『尻餅』はおかみさんのお尻を叩くっていうネタなので、さらにそこが色濃くあるっていうのはありますが、これだけが特別ということではないんです。


で、やっぱりお尻めくって、みたいな所作になると、私が女性であることもあっていやらしくなっちゃったり、私がお尻を出していることを想像させちゃう。それは目的と違うので、いやらしくないような所作を考えたりするんですね。それで、私は逆に男性のお尻を叩いちゃおうっていうアレンジにしたんですよ。「ちょっとあなたもケツ出しなさいよ」っておかみさんが旦那さんのお尻を叩く。そういうちょっと薄まるような工夫をします。


古典落語だとそういう工夫が要りますが、新作落語で例えば女性が主人公のものを作ったら男性はやりづらい訳ですよ。だから、古典落語というアプローチ以外では、女性であることがマイナスになることは、やり方次第ではなくせると私は思ってますね。


──マイナスな面も、アレンジすることでプラスに変えていくということですね。


男性が言ってもいやらしくないけど、女性が言うと妙に生々しくなっちゃう言葉は排除したり別の言葉にしたりとかはします。そこはしょうがないところかな。


──関連して、女性であることをどう捉えているか伺いたいです。ホームページが可愛らしいデザインだったり、見に行った寄席の枕で結婚適齢期の自虐ネタがあったり、女性であることを強みにしているように見えます。意識してやっていらっしゃるのですか?


女性であることは変えられないので、「芸人蝶花楼桃花」の個性の一つとして捉えてます。そうじゃないとやってられないところがあるので。


結婚適齢期の話も、今の私なら大丈夫だなと私なりに判断してやってます。でも今は、昔ほどこういった女性自虐は受け入れられにくい空気を感じているので、もう少ししたらやらなくなると思います。時代やお客さんの反応を見てどうなるか、ですね。


昔だったら、自分のことをブスって言ったり結婚行き遅れ、みたいに強めにdisることで笑いになってたりしたんですけど。それは間違いとかじゃなくて。今は、たとえば「私おばさんなんで」とか言うと私より年上の方が「え、じゃあ私はなんなの」って感じるみたいなことがあるから…難しい。自分が面白いと思うことと時代を一介にしない、ものすごいギリギリのラインを突きながらやってるつもりです。それでも嫌だって方もいらっしゃるとは思うんですけどね。


なので、男性には出来ない、女性としての経験と私という人間の本心を笑いとして一緒くたに出せれば、女性であることを強みにできると思うんです。でもそれは、ハッキリ言って男女差はなくて。男性にも同じ難しさはあるから…。「女性だから」難しいとは思ってないですね。


──池袋の寄席に更衣室ができたとのことですが、他にこういった変化があるとありがたいなどありますか?


更衣室は単純にありがたい。今までは楽屋で隠しながら男性と一緒に着替えてたんですよ。学校のプールで、みなさんやりました?タオル巻いて…。


──ああ、やりましたね。


ね、ああいう状況ですよ。元々男性社会に入っていくっていうスタンスでいたし、もう処世術を体得した世代なので気にならないんです。私たちの世代はキャーキャー言ってるんだったら入ってくんじゃねえって感じでしたから。でも、下の世代の子たちは、全部の寄席ではないにせよ更衣室がある状態で入ってくるじゃないですか。設備は男女比とか時代によって変わってくるので、仕切りができたりとかはドンドン増えてくるとは思うんですよね。伝統的なものとのバランスを、どうとっていくのかなって感じですけど。更衣室はあった方が、楽だな~くらいの、本当にそれくらいのものですよ。


女が化粧しない*っていうのも、これまでは女を出すことがタブーとされていたので。今は、綺麗な方がいいんじゃないのって価値観に変わってきてます。今後、私がおばあちゃんになってくまでに、相当変わっていくんだろうなという実感はありますね。


※化粧…桃花さんは、二ツ目になるまでは化粧をしなかったそう。アクセサリーなども、高座に上がるときは一切つけない。


──憶測にはなりますが、落語家に限らずコメディアンは男性が多いですよね。それは、同じことをしたとき、男性は笑われても女性がやるとかわいそうと思われる傾向があるからだと思うのですが…。桃花さんは見た目をキャッチーにしたりせずに、可愛らしいまま笑いを取っているのが印象的です。


私は自分が可愛いなんて思ってないし、「可愛い」だけでやっていくつもりもないんですけど、やっぱりそういった点ばかりを見られがちというところはあるかもしれませんね。他の男性は芸のことを書いてもらっているのに、私は「華のある可愛らしい容姿」のようにしか書いていただけないこともあって。それって、褒められてはいるけど、同じ土俵に上がれていないというかね、そういうところはどうしてもまだあります。私が至らない部分もあったり、女性がどうしても少なかったりして、別枠のような位置づけにされてしまう。


ただ、逆に言うと、私がちょっとへんてこなことをしたり、ちょこざいな手を使ったりしてウケても私の評価になるってこともあって。女ならではの得もあったりします。女であることは変えられないので、マイナスは絶対あるんですけど、それをプラスに変えていく方法で戦うしかないんですよね。おっしゃっていただいたような印象があるのだとしたら、そういったところが、いくらかは上手くいっているのかもしれません。


──こんなことやるんだ!みたいな。


そうそうそう。私の落差みたいな。このあいだも、『桃組』のときに漫才師のすず風にゃんこ・金魚師匠のネタをやらせてもらって、猿のモノマネとかしたんです。あ、桃花さんってこんなことやるんだ、って感じで、イメージの打破をしていきたいなと。可愛いって言われたくて落語家になったわけじゃないので。もちろん可愛いって評価をきっかけに来てもらうのも全然ウェルカムなんですけど、自分の意志をこういう形で提示するようにはしています。


私が何やっても「かわいこぶってるんじゃねーよ」って言われることはありますが、「ありがとうございます、他の芸も見てね」って上にいくって決めていて。「可愛いだけでやってないのにっ」てその人と同じ土俵に行かずに、上手くかわして私の中に認めてもらえることが何かあるようにしたいんです。




(筆者撮影)



今、落語をやることの難しさ


──メディアに積極的に出られているのも、新しい客層を広げるためなのでしょうか?


そうですね、演芸のファンって人口が少ないので…。今は昔と違ってYouTubeとかいろんな娯楽があって、そういうジャンルと戦っていかなきゃいけない、ってことを考えると、今までのやり方だと寄席がどんどんなくなっていっちゃったり、っていう危機感があって。うまくいってるかはわからないけど、落語を見るきっかけになるように私なりに動いているつもりですね。


──落語は新型コロナの感染対策の影響をすごく受けた業界だと思います。対面であること、アナログであることが根底にあるので、サブスクで楽しめるものよりも目にするまでのハードルが高いのではないでしょうか。


今はこれだけコンテンツがあるからね、来て、お金を払って、時間を共有するってめちゃくちゃ贅沢すぎるくらいで。エンターテイメント同士で時間の奪い合いをしている中で、寄席にわざわざ来てね、何時間も座っててもらうってすごいハードルが高いですよね。


コロナ禍で一応映像配信とかもあったんですけど、お客さんの顔が見えないから空気も何もないんですよ。私たちが勝手にしゃべってるだけ、独り言みたいになっちゃうんですよ。それだと落語じゃないって私は思っちゃって、なので私はあえて配信はやらなかったんです。今後考えが変わるかもしれないけど、何万人も映像で見てる結果を見てるとこれも落語のあり方の一つの答えかなとも思ったんだけど、やっぱり生で見てもらうためにSNSを使うっていうのが今の私の答えですね。


──難しいですよね…。高校生のころ、CDを聞いて落語を覚えようとしたことがありまして。立川志の輔さんの、『はんどたおる』なんですが。


『はんどたおる』!すご。面白いよねえ。


──大好きですね。その音源にはお客さんの笑い声が入っていて、笑い待ちの間や、「あー」や「えー」という音をそこで言う意味がわかる感じがしました。それがなくなると、それこそ機械でよくなってしまいますよね。


名人の音源をずっと聞いていればいいって話ですからね。「音源のほうがうまいじゃないか」って言われたらそりゃそうですよって話で(笑)。じゃあ私たちが現在やることの意味は、お客さんのためにやることにしかない。自分なりの落語を探していくしかないですよね。時間とお金を使ってくれる人のためにやるっていう道しか、落語家ってできないんですよね。


──ここまでのお話を通して桃花さんのメンタルの強さがとても印象的なのですが、男性社会の中で生きていく強い意志が培われたきっかけをお伺いしたいです。


私、メンタル強くないんです。影響受けちゃうから、SNSのメッセージも受け付けないし、エゴサもしないんですよ。悪口とか目にしてしまったときは、何でこんな一生懸命修行してるのに、お客さんはここしか見ないんだなってどんどんマイナスになっていくから、見ないって決めたんです。私がやりたいことをやって認めてくれている目の前のお客さんのためにやろうと思っていて。


あと、落語を続けているのは私の欲望なんです。落語家やりたいからしょうがない。女の部分は変えられないから、否定される部分をカバーして、辛いことがあっても自分をだましたり、見方を変えたりして戦って、やりたいからやっているだけ。そんな風に思わない人を羨ましいなって思うこともあります。


やり続けることが落語家にとって一番大切だと思ってます。同じ芸を100%の力でやってもウケる時とウケない時があるんですよ。当日のお客さんによってどうしても変わるので、良い評価でも自分を全部肯定されているわけじゃないし、悪い評価でも自分を全部否定されたわけじゃない、そうやってどっちも考えるようにしてる。うわーって落ち込むこともあるけど、そこで一喜一憂するんじゃなくて、やりたいことをやっていくって決めてるんです。だから全然強くない。


──今の言葉凄く刺さりました。


寄席ってお客さんと近い分、マイナスな言葉が耳に入ってきちゃうんですよね。いいところでもあるけど、食らう時もあって。なんなのって思うこともあるけど、自分は女で落語やりたいんだからしょうがないって考えるようにしてます。だから皆さんも、できるだけマイナスなことを飛ばして考えてみて。処世術です。



今後の展望


──『桃組』の興行は今後も続けていきたいとお考えですか?


続けていくつもりです。初回は成功したんですが、一回目は物珍しい部分もあっての成功なので、二回目からどうしていくかが重要で。今度からは私がトリを取るのではなく、他の人にお願いするとか、日替わりにするとか、色々なことを考えています。ただ女ってだけで今後も続いていくコンテンツにはならないと思っているので、『桃組』は女性という特性だけではなく、その中で面白い企画をやったり、この人がこれをやるなら見たいと思っていただけたりするようなものにしていかなければならないと思っています。


これをどう成功させるかで三回目以降や他のコンテンツの行方が決まるといっても過言ではないので、頑張りどころだと思っています。


最初は『桃組』、すごく反対されたんですよ。こういうのは寄席でやらずに自主興行でやってくださいって。だから、「寄席でやるから意味がある、こんなのが一つあってもいいじゃないですか」って凄く細かく説明をして認めてもらいました。一回目はお客さんのおかげで成功できましたが、二回目となった時にお客さんが入らないと「ほらな」ってなってしまうので、成功し続けなきゃいけないし、その戦いは続きます。


──では最後に、今後の展望についてお聞かせください。


落語って大衆芸能なので形を変えていかなければならないんですね。残っているものが残っている理由は、その時代に合わせて変化をしてるからなんです。だから今後、YouTubeであったり新しいツールが出てきたときに、落語とどう結びつけるのか、どう相性を良くしていくのか、常に考えていきたいと思っています。


私自身としては、後輩たちのプロデュースと自身の成長どちらも追い求めたいと思っています。


まず、後輩の女性落語家たちが男性と同じ土俵で、同じものとして見てもらえるような環境を作りたい。今までは女性ということが最大の個性だったけれど、女性落語家が増えてきた今、女性の中での個性を見てもらえるような時代に入ってきたと思うんです。大げさですけど、私たちがどう戦うかで下の世代の女性落語家のあり方が変わると思っています。なので、後輩たちのプロデュースや桃組興行のような新たな試み、ネットを活用した若い世代にも刺さるコンテンツにも取り組んでいけたらと思っています。


また、二ツ目時代は明るい芸や楽しい芸を模索していたのですが、40代に突入した今は真打としてのじっくり聞かせる話など、50代60代に突入していくにあたって基盤になるような芸に取り組んでいきたいと考えています。


自分の成長を待ってから改革に取り組むともう遅いと思うんですね。真打になって一年目でしんどいし、自分についてやりたいことはいっぱいあるんですけど、寄席の改革のきっかけになるようなことも全部同時にやろうと思っています。それで40代、力尽きればいいなと。とにかく、目の前に頂いたものを全力でやる10年間を過ごしていきたいです。この10年間の過ごし方でおばあちゃんになった時の私が変わってくると思うので、とてもワクワクしています。


──後輩というのは同じ門下の方だけでなく、落語界全体を指していらっしゃいますか?


私の一門には女性の方が一人しかおらず、他の女性落語家は皆他門下なのですが、落語界はみんなが家族のような世界なので、他門下も含めた彼女たち全員に対して道を作りたいという想いがあります。


ただ、落語協会でみーまちゃん*が二ツ目に上がるんですが、そうなると女性の落語家で前座の方が一人もいなくなるんですよ。私は女性の方が増えていくと思っていたのですが、ここで途切れてしまうので、今後志願者が増えていくのかも見ていきたいところです。


※みーまちゃん…鈴々舎 美馬(れいれいしゃ みーま)。2023年11月に二ツ目に昇格。


──お弟子さんは取られるのでしょうか?


今すぐに取ることはないと思います。一応弟子を取れる身分にはなったし、落語界としての決まりはないんですが、真打になってすぐに弟子を取ることはあまりないんです。あと、女性の落語家に男性の弟子が入るのは江戸落語では今までにないんです。男性の弟子が欲しいというわけではなく、そういった垣根が無くなるのも今後の目標だと思っています。


言葉では男女平等と言っていても、結局内情は変わっていないなんてこともあるし、根底から変えていかないと意味がないと思っています。よく”女流落語家”という肩書を書かれて、それに怒っている落語家ももちろんいます。私はそんな気持ちがないわけではないですが、書かれても別にいいっていうようになりたいと思っています。私の評価に関して文句を言いたくないと言いますか、それを超えていけばいいんじゃないかと。


大きいことを言っているようですが、これが私の信念のようなものです。表面的なところではなくて、本質的に男性と同じになる時代が来ることを望んでいます。だからこそ、女性であることを大切にして、女性であることで得をするところはガンガン使っていく。男性でもイケメンの人がいればそれを使うし、不細工な人がいたらそれをネタにしたり、持っているもので戦うしかないから、そこをフラットにしたいと思います。


──本人であるという個性が強く出る芸事なんですね。


その人の人生が全部出ます。例えば、おじいちゃんの落語家は、「いい天気ですね」のひとことで客席をつかんでる感じが出ます。私が「いい天気ですね」って言ったところで出ない人間の厚みのようなものが、落語って全部出るんです。同じ話でも全然聞こえ方が変わるので、つまり落語家の人間性が全部落語に乗るんだと思っています。だから魅力的な人になりたいなって思っています。イコール桃花の落語っておもしろいねに繋がると思うから。



(お願いポーズで記念撮影。左から新野、和田、桃花さん、大谷、瀧口)



編集後記


瀧口:落語の徒弟制度という、なんとなくイメージはあるけど詳しくはわからないクローズドな世界のお話を伺えて、驚くことがたくさんありました。一つは、そのご苦労と落語のクオリティが比例するとは限らないのだろうということです。ネタの選び方がそこまで重要だとは思っておらず…。また、そのための判断材料が、お客さんの空気に加えて時代の変化などもあり、難しさに繋がっているのでしょう。技術とは別にセンスを磨き、時代を読む修行が、徒弟制度に秘められているのだとよくわかりました。


大谷:私は今回取材の機会を頂き、はじめて生で落語を聴く経験をしました。そして、あっという間に噺に引き込まれたことへの感動から、その話芸を身に付ける修行過程への興味、また話し手と観客の間に流れる絶妙な「間」の作り方に関心を持ちました。取材を通して感じたことは、桃花さんが発する言葉の一つ一つに重みがあり、また、絶えることのない純粋な話芸への想いが努力への原動力となっているということです。決して誰もが修了出来るわけではない修行を経て、前例の少ない女性真打となった桃花さんのお話は、多くの方の心に響いたのではないでしょうか。貴重な機会を作ってくださった蝶花楼桃花さん、ありがとうございました。


和田:印象的だったのは、「落語はその人の人生全てが出る」という言葉です。シンプルな話芸であるからこそ、技術や個性といった落語家の持つ全てが浮き彫りになるのが難しさであり、落語の深みなのだと感じました。そして、落語をやりたいから続けているのだと笑顔で語る桃花さんの想いの強さに勇気を頂きました。


新野:今回、桃花さんからお話を聞き、落語の世界の過酷さを知りました。練習法に関して、それまで自分がイメージしていた自主練習の方法とは違い、落語界には、弟子生活の長い歳月をかけて習慣の中で身に付けていくわざが存在することが分かりました。常にポジティブで、逆境もプラスに捉えて突き進む桃花さんの姿勢に強く心を打たれました。




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