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『ライチ✩︎光クラブ』から見る演劇と映画の違い

  • 執筆者の写真: ゼミ 横山
    ゼミ 横山
  • 7月15日
  • 読了時間: 5分

土屋萌和


はじめに


2006年に漫画家古屋兎丸によって発表され、発表から20年たった今でもカルト的な人気を誇る『ライチ✩︎光クラブ』(太田出版、2006年)という作品をご存じだろうか。今回はその漫画『ライチ✩︎光クラブ』を原作として制作された2012年12月に上演の舞台版『ライチ✩︎光クラブ』と2016年2月公開の映画版 『ライチ光クラブ』を鑑賞した(注)。本記事ではその2作品を比較し、同じ原作作品を持ちながらも映画と演劇という異なる媒体によってどのような表現の違いが生まれるのかを考えてみたい。


(注)本稿で扱う映画『ライチ光クラブ』および舞台『ライチ☆光クラブ』はどちらも動画配信サービスU-NEXTにて配信されているものを視聴した。


『ライチ光クラブ』とは


『ライチ☆光クラブ』は1986年に劇団東京グランギニョルが上演した舞台作品である『ライチ光クラブ』を原案として古屋兎丸が再構成し漫画化した作品である(注)。今回取り扱う舞台版と映画版は、この古屋兎丸の『ライチ☆光クラブ』を原作として制作されている。本作は2026年までに3回舞台化されているなど、現在でも高い人気を誇る作品だ。


(注)東京グランギニョルは1983年から1986年にかけて活動した劇団であり、独自の退廃的な世界観や演出を特徴としていた。『ライチ光クラブ』もその代表作の一つである。今回取り扱う舞台版・映画版『ライチ☆光クラブ』は東京グランギニョル版ではなく、再構成された漫画版を原作としている。そのため本記事ではオリジナル舞台作品との比較ではなく共通原作によって作成された舞台版と漫画版を比較する。


醜い大人になることを拒み、永遠の美を望む中学2年生の少年たち9人は廃工場で秘密基地「光クラブ」を作り、夜な夜な集会を行っていた。圧倒的なリーダーのゼラの元、彼らは機械「ライチ」を作ることに成功する。そして、永遠の美を手に入れるため彼らはライチに美しい少女「カノン」を誘拐させるが、少女カノンの登場により「光クラブ」は破滅の道に進んでいくという物語である。


インタビュー記事「木村了&中尾明慶が語る舞台裏とは? 昨年チケット即完『ライチ☆光クラブ』再演!」(山田井ユウキ、ウレぴあ総研、2013年12月4日)より。


音響の違い


まず、音響の違いについてである。映画版では、多くの場面で音響が用いられており、映像と組み合わさることで場面の臨場感を高めながら、作品世界の現実感も観客に伝えているように感じられる。例えば、壊れたライチを修復・改良するシーンでは火花が散るような激しい音響が用いられ、現実には存在しない機械「ライチ」に対して、音響によって質量感や存在感を与えている。


一方舞台版では、音響効果は全体的に抑制されており、必要最低限の効果音や楽曲のみが使用されている。そのため、俳優たちのセリフや叫び、足音などの生身の音が際立って聞こえる。また、限られた場面で使われる音響がより強い印象を与えているように感じられる。映画版と同様のシーンでは、調律が乱れたピアノのような不穏な音響が使用されており、この後起こる不穏な出来事を予期させているような演出になっている。


このように、映画版では映像を補強するための役割として音響が使われ、舞台版ではシーンに違和感を与えるための役割として音響が使われている印象を受けた。


人物の描かれ方の違い


次に特に明確な違いとして挙げられるのが、登場人物たちの描かれ方である。ここでは本作のメインキャラクターであり、光クラブの絶対的権力者であるゼラに着目したい。ゼラは全ての作品を通じて光クラブの絶対的な支配者として描かれている。裏切り者や侵入者に対して即座に処刑を命じ、「どう作るかではなく、どう殺すか」という発言に象徴されるように、恐怖によって支配する冷酷かつ傲慢な独裁者である点は共通している。しかし、物語終盤の光クラブ崩壊の場面においては、両者の描写は大きく異なる。


映画版では、暴走したライチに踏み潰されそうになると、ゼラは床に縮こまり、手袋越しに爪を噛みながら泣き叫び、失禁する姿まで描かれる。さらに、武器を持っても満足に立っていられず最終的にはそれを叩き割ってしまい、まともな反撃すらできない。かつて光クラブの一員であったタミヤから「弱いな、お前」と言い放たれてしまうように、前半で見せていた冷酷で傲慢な独裁者の姿は完全に失われ、そこで露呈するのは、恐怖に怯える14歳の少年である。


一方、舞台版におけるゼラは、光クラブ崩壊の場面においても独裁者としての狂気を保ち続ける。映画版と共通してライチに怯えを見せる場面はあるものの、死亡したジャイボに対して「感情を持っていやがった、僕のおもちゃの癖に」と吐き捨てるなど、その言動は最後まで非人間的である。また、映画版ではカットされているが原作漫画と同様に崩壊する光クラブの中でカノンを無理やり引き寄せ、ワルツのように踊り出すといった行動も見られ、映画版とは大きく異なる印象を与える。このように舞台版のゼラは、物語冒頭から最後まで狂気を保ち続ける絶対的独裁者として描かれている。


このような違いは、ゼラに限らない。映画版では、登場人物たちは人間らしく、14歳の少年少女としての側面を強く持って描かれている。一般的な学校生活を送る様子や光クラブについて葛藤する場面などが描かれており、未熟さや人間らしさが全面に出され現実世界の住人として描かれる。一方舞台版では物語の大半が光クラブで展開され、閉ざされた世界の住人として描かれている。そのためにキャラクターたちを普通の中学生として感じ取ることは難しい。この点において、映画版と舞台版には登場人物の人物描写における大きな違いが存在すると考えられる。


終わりに


今回、舞台版と映画版を比較して感じたことは、映画版は「現実の世界の延長線上に」ライチ光クラブを落とし込もうとし、舞台版は「舞台という虚構世界の中で」作品世界を表現しようとしているのではないかということである。


映画版は人物描写や音響の他、学校生活などの日常的な場面を効果的に用いることで、非現実的な物語に現実感を与えている。一方で舞台版では空間や演出を限定することで作品を通じて寓話的かつ象徴的な形で光クラブを描いている。同じ原作をもとにしながらも、映画と演劇という媒体の違いによって作品世界の表現方法が大きく異なっている点は非常に興味深かった。過激な表現も多く人を選ぶ作品ではあるものの、だからこそ唯一無二の魅力を持つ作品だと感じた。


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