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  • 執筆者の写真ゼミ 横山

あなたらしさを見つめて

更新日:2023年4月17日

湯川麻美子氏インタビュー


取材日:2023年2月24日

新野遥南、遠藤美菜、寺岬優、太田楓子、根間るる


みなさんは新国立劇場バレエ団の公演を見に行ったことがありますか?新国立劇場バレエ団は、新しい舞台芸術の拠点として、1997年に発足したバレエ団です。レパートリーは古典作品をはじめ、20世紀の名作から現代振付家の作品、新国立劇場オリジナル作品まで多岐に渡ります。国際的にも高い評価を得ているこのバレエ団で、ダンサーたちの監督や振り付けの補助、指導を行うのが、バレエミストレス兼リハーサル・ディレクターの湯川麻美子さんです。


今回私たちは、2023年1月に上演された『ニューイヤー・バレエ』のゲネプロを見学させていただいた後、バレエミストレスの湯川麻美子さんに、新国立劇場バレエ団内の会議室にて、取材をさせていただきました。ご自身のキャリアや現在の指導方法、指導者としての思いについて伺いました。



湯川麻美子氏プロフィール


                  (ご本人提供)


兵庫県出身。江川バレエスクールにて江川幸作、江川のぶ子に師事。1995年カナダ・ブリティッシュ・コロンビア・バレエと契約し、97年新国立劇場開場と同時に新国立劇場バレエ団にソリストとして入団。ローラン・プティ『こうもり』、石井潤『カルメン』やビントレー『カルミナ・ブラーナ』『アラジン』などで主役を踊り、2011年プリンシパルに昇格。06年ニムラ舞踊賞、12年ビントレー『パゴダの王子』世界初演での皇后エピーヌ役の演技により芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。15年4月『こうもり』主演を最後に引退後はバレエ団教師を務め、20年9月バレエミストレスに任命される。



バレエダンサーとしてのあゆみ


──まずは、ご自身の学生時代についてお聞かせください。


バレエは、小さい頃から母の勧めで習っていました。他にも習い事はしていましたが、だんだんバレエ中心の生活になっていきましたね。小学校の高学年の頃に、東京新聞主催のコンクールで入賞をして、それがきっかけで大きくなったらバレリーナになりたいと思うようになりました。中学進学時には、バレエの稽古に時間を割ける様に受験をして、大学まで繋がっている学校に進みました。


でも当時、日本でプロになる、踊る事だけを生業とすることは非常に難しかったんです。というのもあって、海外での活動に憧れました。ただ、留学に関しても今に比べたら情報が少なく、どこに何を働きかければいいのかわからない状態。そんな中で、コンクールでヨーロッパを訪ねたので、せっかくだからとバレエ学校を見て回ったところ、ベルギーのアントワープの学校に留学の許可が下りて、1年半ほどを過ごしました。


──留学期間が明けた後はどうされたのでしょうか?


少し話がそれるのですが、『ロイヤル・バレエ学校の生活』という本があるんです。その本の中の世界に凄くあこがれていたんです。みんなが同じブルーのレオタードを着て、編み込みをして、外国のバレエ学校の女の子たちってどんなのだろうって。アントワープの学校を卒業する頃、バレエ団とのコントラクトも貰ってはいたんですけど、私はまだ16歳だったので、両親もこの年齢から働かせるのは…と思っていたようで、あこがれだった英国ロイヤルバレエスクールのアッパースクールにもう1年、チャレンジすることに決めたんです。


──日本の学校は?


日本の高校は休学という形を取っていたのですが、そのタイミングで学校はやめたんですよ。そこでちょっと親ともめましたけど(笑)。この編入を決めた時にはもう海外でプロのバレエダンサーになるという考えを持っていました。


海外の生徒たちはバレエを職業と認識していました。だから、卒業年度の学年になると、いろんなバレエ団のオーディションを受けに行く子もいれば、全く違う会計士とかになると決めて勉強を始める子もいるんです。バレエ学校に行ったらみんながみんなバレエダンサーになるわけじゃなくて、職業の一つとして考えられているんだとすごく驚いて。成長するにしたがって、向いているのか向いていないのか判断もシビアに行われていくし、ただやりたいからという気持ちで続けられるような、習い事の延長として捉えられているものではないんだと実感させられたんです。


──その後は順調に?


いえいえ。私は卒業後そのままプロのダンサーになりたいなと思っていたんですけれど、ロイヤルバレエ学校に入ってすぐに大怪我をしてしまったんです。そこで日本に帰らざるを得ない状況になりました。でも、日本での学歴としては高校中退という形になってしまっていたので、さてこれでこれからバレエが踊れなかったらどうするんだという感じで(笑)。親は「あのまま学校を続けていたら大学まで行けたのに…」という気持ちだったと思います。それが初めての挫折でした。復帰するのには2年くらいかかりましたが、どうにかまた踊れるようになり、当時兄がカナダのバンクーバーに留学していたので、そこに一旦行って、小さなカンパニーに入りました。


──その後なぜ日本で踊ることを決められたのでしょうか?


当時、日本で新国立劇場という新しい劇場が出来るという話を聞いて。その頃には既に、日本のお客様に見てもらえる環境で踊りたいなという気持ちが芽生えていたんです。あんなに外国に行きたいと思っていたのに不思議ですよね(笑)。ですから、日本でもし本当にそんな大きなバレエ団が出来て、プロのバレエダンサーとして踊れるのなら、ぜひ挑戦したいと思って、オーディションを受けて無事受かったというのが始まりです。それから18年間踊らせていただきました。





セカンドキャリアのはじまり


──ミストレスになるきっかけは何だったのでしょうか?


ダンサーというのは他の職業に比べて続けられる期間が短いですよね。30代後半となり、これからのキャリアを考えるようになった頃に提案していただいたのが「キャリア・ディベロップメント」でした。ビントレー元芸術監督(注)から、朝のクラスを月に数回教えてみないかというお話を頂いたんです。それまでも外で、子供や大人のバレエを習われている方を教える機会はありましたが、カンパニーでもクラスを教えるようになったんです。その延長で、引退した後もクラス教師を続け、2020年からバレエミストレスのお話を頂いて、今の立場になりました。

(注)デイビット・ビントレー。イギリスのダンサー・振付家。2010年9月から2014年9月まで新国立劇場の舞踊芸術監督を務めた。


──ダンサーを指導する際、ご自身の経験が生きていると感じることはありますか。

私は役を演じることが好きで、現役時代に力を入れていた部分でもあるので、そこに関しては特にアドバイスするようにしています。私の場合、例えば『カルメン』という作品を踊るときには、それに関わる本にまず触れて、その次に映像に触れたりします。演じる人物のバックグラウンドや育ちやどんな言語を使っているのか、どんな仕草をするのかを知ることによって、イメージをふくらませ役作りをしてきました。ただ、これは私の話であって、指導するときはまた別の話です。そのまま押し付けるのは違うと考えているので、ヒントとして提案することはあります。例えば、「私ならこういう作品を観たりするよ」という話をしたりします。


そもそも私は、身体的に動くことが好きでバレエを続けてきたのではなく、「演じること」「表現すること」が好きで踊ってきたように思います。台詞がないバレエでは、自分の身体全てを使って役柄や感情を表現しなくてはいけません。日々のトレーニングは、自在に操れる身体をつくるためのものでした。


──その他、表現の部分を指導をする際に行っていることはありますか?


ダンサーに、演じる役についての意見を聞いたりします。考えていることを言葉にすることによって、ちょっとした目線の動きや単純なステップでも見え方が変わってきます。バレエは、幕が開いた瞬間にセットでどんな情景かはある程度理解できますが、その空間が客席の奥まで続いていることを意識しなければ、紙芝居の絵の中で終わってしまうようなものです。劇場という大きな空間の中で、想像力を働かせて踊ってほしいということを伝えています。


例えば、亡霊を演じるとなったら、宙に浮いているような浮遊感だったり、足音を立てなかったりという特徴をダンサーたちに考えさせるようにしています。そこで難しいのが、自分ではそうしている「つもり」でも、客席に伝わらないとダメだということ。そこで生まれるギャップを埋めるのが前から見ている私たちの役目だと思っています。ダンサーたちの踊りを客観的に見たときにその役に求められていることが客席に伝わるかどうかを見て、指導しなければならないと考えています。



指導法について


──普段から指導の時に使っている比喩的なわざ言語があれば教えてください。


「関節が何個も多くあるように」「水滴を払う感じ」「肋骨を閉じて」などという言葉を指導するときに使うことが多いです。リズムや音楽を擬音語で表現することも多いです。今回上演する演目(『コッペリア』)の中に、片足で立ってもう片方の足をぐるぐる回す振り付けがあるのですが、それは「マヨネーズ」って呼んでいます。音楽を流してもらうときも、ピアニストさんに「マヨネーズのところから弾いて」とお願いします(笑)。そのような共通言語はありますね。




──今、実際に動きをやりながら説明してくださっていましたが、実際にダンサーさんに指導する際も湯川さん自ら動きを見せるのですか。


自分がやっていた役を指導するときは、見せることが多いです。少し大袈裟にやって見せますね。そうするとイメージを掴んでくれる。やはり視覚から入ることも重要だと思います。私が初演ダンサーとして出演していた演目は特に、動きや表現のちょっとしたコツなど伝えたいことがたくさんあるので見せるということも大きいです。


──言葉で伝える+湯川さん自らやって見せることを通して、ご指導されているのですね。


はい。一方で、見せる際には「自分だったらこうするよ」という伝え方をします。コピーしてねとは言いません。一度、教えたものをやってみてもらって、ダンサーの特徴に合わせて動きを洗練させていきます。


──それぞれのダンサーが一番良く見えるような動きを探っていくのですね。


それがなにより難しいかもしれない。特にコール・ド・バレエ(群舞)は動きを揃えることが重要ですが、やはりそれぞれの身体の差はあります。なので、少しでも各々の違いをなくすためには、一人一人少しずつ違う角度をつけて揃えることをしていかなくてはなりません。 ちょっとした角度や手の動かし方ですが、「あなたの場合はもう少しこう」という風に指導していきます。


──『ジゼル』を拝見しましたが、ウィリーの揃った動きにはとても感動しました。


ありがとうございます。コール・ド・バレエのダンサーたちはみんなプライドを持ってやっているので、そうおっしゃっていただけて嬉しいです。


──芸術監督である吉田都さんから、湯川さんがダンサーを指導するにあたって受けた指導はありますか。


まずはレッスンで、足先の使い方に注力することです。海外のバレエ学校では入学する以前に骨格で向いているか否かを判断されますが、日本はそうではありません。身体的な条件で不利な部分は、「使い方」「見せ方」でクリアしていくしかないんです。そのため、レッスンでは男女ともに足先の使い方を特に強化してやってほしいと吉田監督から言われています。


加えて、上半身の使い方も重点的に見てほしいと言われています。日本人は海外のダンサーと比べて胴体が薄いので、立体的な形を見せるのに苦労します。呼吸と一緒に上半身を柔らかく使う、エポールマン(上半身の角度)が足りないので、動きが無機質に、ロボットのように見えてしまうのです。


これらは日々のレッスンから徹底して行っています。やはり積み重ねが必要なので、毎日のクラスを大事にすることをダンサーに伝えています。また、吉田監督からは、ロイヤルバレエで踊っていらした経験を踏まえた、リハーサルの効率的なスケジュールの組み方を教えていただいたりもしています。


──逆に、日本人の強みはどこだと思いますか。


海外の方が日本のコール・ド・バレエをご覧になるととても驚かれますね。新国立劇場バレエ団ならではの細かな舞台上の立ち位置の決め方などが活きているのだと思います。あとはやはり、日本人は真面目な人が多く、リハーサルでは揃うまで徹底的に繰り返すので、海外の振り付け家にも驚かれます。


また、小さい頃からコンクールに出ている子が多いので、テクニックに強い人は多いかもしれないです。ただ、アラベスクでどんなに足が上がろうと、腰が外れていたりしていたらダメで。たくさんのルールを守りながら脚を上げたり、いっぱい回れたり、高く跳べたりして、初めて良しとされるものです。つまり、型から外れてどれだけできてもそれは違うというのがバレエの難しいところなんです。それでも、やはり肉体的な感覚としてのテクニックを持っている人は多いと思いますね。



指導者としての努力


──SNSの普及に伴って、指導方法は変化しましたか?湯川さんが指導の参考にしているメディアなどがあれば教えていただきたいです。


海外のレッスン動画は結構見ますね。ワールド・バレエ・デーとかYouTubeとかで、いろんな海外のカンパニーのクラスとかリハーサル風景とかを見ています。

──指導者になってから、映像を見る視点がダンサーの時と変わりましたか?

はい。どんなダンサーがどうやって素敵に踊っているのかではなく、レッスン内容やリハーサルでの指導方法に注目するようになりました。アンシェヌマン(振り付け)の組み方に関しては、海外の指導者の方がされているものでいいなと思ったものは、自分のクラスに取り入れています。


──スポーツ科学などバレエ以外の情報などもご自身で調べられたり、ダンサーと共有したりしていますか。

そうですね。現役時代だと、ジャイロキネシス(注)とかをやったことがケガ予防に繋がったという経験がありますね。今のダンサーは私が若かった時よりも、自分がどこに何が足りていないのかを理解するための情報をたくさん知っていますし、劇場以外の場所を自分で探してトレーニングしているダンサーも多いです。

(注)元バレエダンサー、ジュリウ・ホバス氏が、自身のケガを克服するために開発したニューヨーク生まれのエクササイズ。けがの克服やリハビリテーションに用いられている。

それからバレエ団のなかで、身体構造について詳しく知れるような医療セミナーを開いています。それによって、どの筋肉がどこに繋がっていて、どんな風に使って、何が切れたからここに痛みが出ているんだというように、身体の出すサインに自分自身で気付きやすくなるんです。もちろん、指導者である私たちも一緒に受けています。身体の痛みは本人にしかわからないもので難しいのですが、知識として知っておくことで、ダンサーの体調が変化したときにどこまで身体を使っていいのか、あるいはまずはドクターに診ていただいたほうがいいのかなどの判断材料になります。


──身体構造の知識はダンサーの支えになっているんですね。

あとは、女性だとダイエットするときに、どういうものを食事で取ったほうがいいかなどもダンサーと話し合ったりします。自分に何が足りないのかをダンサー本人と一緒に調べたりして、自分の経験を踏まえて食事を提案するなどしています。もちろん今の方が情報は充実しているので自分で調べやすくなっていますが、ダンサーから相談を受けることも多いので、指導者として私もよく調べるようにしています。

──ダンサーの食事までサポートされているのですね。

サポートできれば…と思っています。今自分がリハーサル担当しているダンサーの状態を把握していないといけないので。リハーサルをどのぐらい繰り返してやっても大丈夫かなど、人それぞれで変わってきますからね。もはや自分のこと以上に他人の身体状態の方を知っておきたいですね(笑)。

──ダイエットという話がありましたが、新国立劇場バレエ団のダンサーの方々にも体型の変化があるんですか。

あります。私も現役時代は結構スタイルが変化しやすい方だったんです。でも、本当に全然太らない人は太らない。お昼からカレーの大盛りとか食べているのにすごく細い人とかいて。バレエダンサーってみな細いイメージがあるとは思いますが、本当に個人差があるんですよ。少し食べただけですぐ太っちゃうみたいな人もいれば、そうではない人もいます。私は結構甘いものとかも好きで食生活にそこまでストイックになれなかったです(笑)。

でも見た目ということだけでなく、体重が増えると動きにくくなったり、怪我の危険性が高まったり、あと男性に支えてもらう機会もあるので、やはりある程度までに体重はキープしていなければいけない職業なんですよね。なので、変化の見受けられるダンサーには自分の経験を踏まえながら「最近どうしたの?」などと声をかけたりして、相談に乗るようにしています。

──ダンサーの全てに向き合われているんですね。

そうですね。精神的なことも踊りに大きく関わってくるので。20代30代を踊っていたら、そこにはいろいろな人生のステージがあるじゃないですか。仕事のことだけでなく、恋愛だったり家族のことだったり結婚だったり出産もあるかもしれないし。人生で一番変化があって、悩みが多い時期だと思うんです。

そんな時代を踊っていくので、客観的に見ていて「最近どうしたのかな」って思ったら、話してくれるかどうかは別として「大丈夫?」と声をかけます。あの子最近なんかすっきりしていない感じだけど、悩んでいることがあるのかな、とか。自分も昔そうだったので、結構見ているとわかるんですよ。

──ダンサーの体型管理は、体重など数字で明確に把握されているのでしょうか、それとも見た目で判断しているのですか。


見た目です。人によって見た目より結構重かったり、逆に軽かったり、だいぶ個人差があるんですよ。だから数字というよりも見た目ですね。


伝統を伝えるということ


──ご自身が踊ってた頃と比べて、テクニックが変わってきているなという実感はありますか?


高度なテクニックが普通になってきているというのはあると思います。女子フィギュアスケートで3回転半が跳ばれるようになっているように、小学生くらいの子でも、コンクールでピルエットの3回転をあたりまえに回っています。ただ、バレエはスポーツではありませんし、特にクラシックバレエは、絶対的にこうでなければならないという規範があります。


古典芸術であるからには、規範を逸脱して何回転回ろうが、どれだけ高く飛ぼうが、ダメなわけです。そのために、ダンサーたちは、バレエを始めたときから引退するときまで、バーレッスンを欠かさず行うのです。そしてそのバーレッスンは、必ず踊るうえで最も大切なプリエから始まるのです。


──指導者として規範についてどのようにお考えか、もう少しお聞かせください。


クラシックバレエというものは、これからも変わらず、アカデミックな動きの中でテクニックを広げていく芸術だと思います。自由に表現できるコンテンポラリーダンスの世界とは違い、変わることのない基礎を大切にした芸術です。ただそれは私たち指導者にもかかっていると思います。伝統芸術は伝え、教えていくものなので、その伝え教えるものを簡略化してしまったり、大事なポイントを飛ばして教えてしまったら、もうそこは失われていく。ということはつまり、バレエが変わってしまうとしたらそれは、ダンサーではなく、指導者に責任があるんだろうと思います。


私も、小さいころからいろんな先生に教えていただいてきました。特に、新国立劇場バレエ団に入ってからは、国内外問わずさまざまな指導者の方から大切なことをたくさん教えていただきました。今の私の仕事は、自分が学んできたことを次の世代のダンサーたちに伝えていくこと。やはりそこで、私がなにか大事なことを見落としたり、習ったことの一部を失念してしまうと、それが今のダンサーたちにとってのスタンダードになっていってしまう。ですから、そこを注意していかなければならないと今お話していて改めて思いました。


──お話を聞き、伝統を伝えていくのはすごく難しいお仕事なのだと感じました。これまでで、人の生き方は変化してきていると思います。この世代にはこういう教え方をするなど、世代によって意識されていることはありますか?


子どもには特に、正しい教育をしなければと思っています。身体の正しい動かし方を繰り返し繰り返し伝えています。なぜなら、バレエは何度も繰り返していかないとできるようにならないから。いくつになっても、基礎が重要なので、小さいうちから身に付けてほしいと思います。それでも、踊っていくうちについてしまう癖もあります。その時は、やはり繰り返し正していくしかありません。耳にタコと思われているかもしれませんが、繰り返し言うのがこの世界の常ですから、根気強く伝えていくしかないと思っています。


また、昔に比べて今の方が簡単に情報を得やすくなってきているので、ダンサーたちも自分で「ああしてみようかな」「こうしてみようかな」と色々試行錯誤する材料を探しやすいと思います。私が現役のころは言われた通りにやるしかなかったけれども、今はいろんなものを参考にできるからこそ、逆に迷子になってしまった人がいたら、求められている道を示すのが私たちの役目でもあります。


──他のバレエ団に対してはどのように感じていますか?


芸術に正解はないと言われていますが、例えばこの絵を見てなにを思うか、好きとか嫌いとか、見る人が選んでいいわけです。それはバレエも同じ。私が他のバレエ団を見て素敵!!と思うこともありますし、各バレエ団にはそれぞれのカラーがあっていいと思います。たとえ、私たちの新国立劇場バレエ団に対してお客様が受けるイメージがどんなものであっても、それを好きだと思ってくださるお客様がいれば、それで良いと思います。


新国立劇場バレエ団がどのようにして今のカラーになったかはわかりませんが、今までの25年間でできあがったものなのだと思います。反対に、本当に同じバレエ団?となるくらい、作品ごとに違いがあってもそれはそれで素敵だなと思うので、作品によってもカラーをガラッと変えていけたら、より面白いバレエ団になっていくだろうなと思います。


──最後に、日本のバレエ界の課題についてどうお考えかお聞かせください。

新国立劇場には現在、研修所の研修生と予科生がいるんですけど、もう少し小さい時から育てられるカリキュラムが整ったバレエ学校ができたらいいなと思います。私は英国のロイヤルバレエ学校の生活に憧れがあったので留学しましたが、新国立劇場が求めるダンサーを幼少期から育てられて、学業も学ぶことが可能なバレエ学校が日本にできたらいいですね。

現在、新国立劇場バレエ団は研修所から入ってくるダンサーもいれば、外部からオーディションで入団するダンサーもいてバラバラです。そのため、基準とするメソッドを団の中で定着させるために、バレエ団が学校としてしっかり教育することが必要だと思っています。そのステップの第一歩として牧阿佐美先生(注)は研修所を作ってくださったんだと思うんです。次はもう少し小さい年齢から入れて、学業も学べる、「生粋のダンサーを育てる場」ができたらいいのではないでしょうか。

(注)新国立劇場バレエ団の二代目舞踊芸術監督として、1999年7月に就任。2010年8月までの11年間、芸術監督として、新国立劇場バレエ団の発展に大きく貢献した。また、2001年には新国立劇場バレエ研修所開所とともに所長に就任。新国立劇場におけるバレエダンサー育成システムを築いた。


──新国立劇場バレエ団のダンサーたちにはどんなダンサーになってほしいとお考えですか?


やはり、向上心をもって精一杯踊ってくれるダンサーが増えてほしいですね。今の新国立劇場バレエ団のダンサーたちはみんな、「プロのダンサーとしての覚悟」を持って臨んでくれています。趣味ならば楽しいだけで良いけど、お仕事としてバレエを踊るということは、ただ踊りが好きなだけではダメです。バレエを生業とするということは、お客様にお見せして、喜んで、感動していただいて、それに対してチケットを買っていただくということなんですよね。たとえ大好きなバレエでも、それを職業にするとなると辛いことの方が多いと思うので、常に向上心を持ち続けて精一杯踊ってくれるダンサーが増えてほしいと思います。


私は、地方から出てきている身なので、踊ることだけで東京で生活できることがどれだけ大変なことかはよく分かっています。踊りを仕事にすることを日本で最初に可能にしてくれた場が、この新国立劇場バレエ団ですから、ダンサーたちにはこの環境に感謝して、責任を持って踊ってほしい気持ちがあります。プロとは何かという心構えをずっと忘れないでいてほしいです。


──たくさんの貴重なお話を、ありがとうございました。


こちらこそ、ありがとうございます。






インタビューを終えて


新野:今回、湯川さんからプロのダンサーを育てる上での意気込みについてお聞きし、伝統芸術を伝承することの難しさを感じました。誰もが簡単に世界中の情報を手に入れられる便利な世の中になっていることが、わざを伝承する立場にある指導者にとっては負担に繋がる時代です。そうした中で、湯川さんは日本で唯一の国立バレエ団とダンサーたち、そして、クラシックバレエという芸術そのものを、正しい形で守り抜いていくために日々奮闘されているということがわかりました。


遠藤:今回のインタビューを機に、「バレエミストレス」という仕事を知ることができました。表に立ってスポットライトを浴びるバレエダンサーではなく、裏でバレエ団やダンサーを支え、引っ張る立場にあるバレエミストレスが技の継承やバレエ団存続において大きな役割を果たしていることが分かりました。新たな視点でバレエを知ることができたので今後バレエを鑑賞する際には、一つ一つの動きの背後に様々に工夫された技術継承の積み重ねがあることを考えながら見てみようと思います。


寺岬:バレエダンサーを育てるということは、踊りを教えるだけではなく、ダンサー一人一人の特徴を見つめ、体調面から精神面までサポートすることだと実感しました。私は幼少期にバレエを習っていたのですが、当時の先生たちの親身なご指導に込められた思いは湯川さんに近かっただろうと想像し、今になって当時のレッスンのありがたみに気づきました。これから新社会人として、上司の方から指導をいただく機会が増えると思うので、湯川さんのお話を忘れずに、常に指導者の思いを想像しながら行動していきたいと思います。


太田:時代に即した指導方法について伺った際、様々な情報にアクセスできすぎてしまうことの懸念をお話しして下さったのが印象的です。自分の軸が定まりにくい時代で悩むことも多いですが、湯川さんの憧れを追い続ける姿にとても勇気づけられました。バレエミストレスとして伝えていくのは、バレエの技術にとどまらず、その経験を踏まえた生き様であり、今この日本でダンスを生業にすることの誇りと責任なんだと思います。


根間:湯川さんのように世界を経験してきた指導陣が、日本人バレエダンサーの特徴と課題を把握することで、新国立劇場バレエ団の高い水準が実現していることがわかりました。技術面はもちろん、プロダンサーとしての精神面もとても大事にしていることが印象的でした。また、口頭での指導だけでなく、湯川さん自らも動きを見せ、ダンサーとともに表現を創っていくといったお話の一つ一つが具体的で説得力があり、常にダンサー視点を忘れることなく指導にあたられていることが伝わって来ました。貴重な機会をありがとうございました。


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