〈カテゴリー名〉からみる宝塚歌劇レビュー史
- ゼミ 横山

- 2022年5月31日
- 読了時間: 7分
津田 瑠奈
この記事では、私が卒論でおこなった研究を紹介します。
研究の概要
宝塚歌劇団では、レビューという芸能スタイルが長年受け継がれています。レビューとは一言でいえば、〈音楽・舞踊・寸劇などを盛り込んだエンターテイメントショー〉で、そのほとんどに一貫した物語性がないのが特徴です。日本では1927年に宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)の手によって初めて上演されました。私はこの宝塚レビューについて、卒業論文で表現様式の変容を研究しました。
宝塚レビューには、タイトルよりも前に〈カテゴリー名〉のようなものが付されることが多くあります。例えば、近年の作品ではロマンチック・レビュー『モアー・ダンディズム!』やダイナミック・ショー『Music Revolution!』における〈ロマンチック・レビュー〉や〈ダイナミック・ショー〉という名称がそれにあたります。
従来のレビュー研究では、レビュー自体の演出や作者についての言及はあるものの、こうした〈カテゴリー名〉についての研究はあまりなされていませんでした。そこで、私はこれらに〈カテゴリー名〉という仮称を与えて、その誕生から確立期までの歴史を検証しました。とりわけ近年は〈カテゴリー名〉に多様化の傾向が見られることから、私はこの謎に包まれた〈カテゴリー名〉の世界を少しでも解き明かすことで宝塚レビュー表現史に新たな知見を与えられるのではないかという意義を感じ、本研究を始めました。
研究にあたっては、主に文献資料をもとに分析・考察しました。宝塚歌劇団及びレビューに関する先行研究を読みこんだうえで、劇団の月刊誌である『歌劇』をはじめ多くの劇団発行資料、雑誌や新聞のインタビュー記事を調査しました。すると、〈カテゴリー名〉には作者の思惑だけでなく、上演当時の舞台機構技術、人手、経済状況など、様々な事情が絡んでいる可能性が高いということが判明しました。
論文の紹介
以下では、研究成果の一端を紹介するために、第2章の一節をお示しします。ここでは、1934年に初演された『ヂヤブ・ヂヤブ・コント』という作品のカテゴリー名、〈ノンストツプ・レヴユウ〉について考察しました。
〈ノンストツプ・レヴユウ〉
1934 年、ノンストツプ・レヴユウ『ヂヤブ・ヂヤブ・コント』が上演されました。本作品は日本のお風呂をテーマにして歌と踊りが繰り広げられるということで、お湯が沸き出るような情景を彷彿とさせるタイトルもひときわ個性的です。作者は上方舞の舞踊家で宝塚音楽歌劇学校の教授でもあった楳茂都陸平で、本作品は彼が1年間のヨーロッパ外遊を終えてから初めて手掛けたレビューでした。そのため、作品の構成も海外からの影響を大きく受けていたようです。楳茂都自身が語った言葉に、次のようなものがあります。
私は、これからの「レビユウ」「ヴアラヱテイ」は、特に舞臺裝置で見せねばならない。といふ事を歐米を廻つてをつた時から絶えず考えてをりました。……中略……あちらの「レビユウ」や「ヴアラヱテイ」を觀ると、先づ幕が上つて驚く事は……中略……各場の舞臺轉換に凡ゆる異つた技巧が用ひられ而も鮮やかな事、等であります。……中略……之れには勿論、いろんな機械的設備も要る事であり、また舞臺そのものゝ構造も大いに改めて行かねばならないと思ひます。(『歌劇』1934: 12–13)
つまり、楳茂都が海外の舞台芸術に触れて目の当たりにしたのは、日本と海外の舞台技術の差でした。ただ客席の前に一定のスペースを設けてそこに人を立たせ、装置を回したり背景を吊ったりしているだけでは、日本のレビューは行き詰まってしまう。色彩や背景画の美しさも含めて、もっと「舞台装置で見せ」る技術を養わねばならないと考えたのです。
そこで、楳茂都は帰朝後第1作である『ヂヤブ・ヂヤブ・コント』において、当時の日本レビューではかなり挑戦的ともいえる構成をなしました。それが、30もの場面を1時間半で上演するというものです(『歌劇』1934)。本作品より遡ること7年、日本初のレビューである『モン・パリ』が全16場で2時間弱、その3年後に白井が手掛けた『パリゼツト』が全 20場で1時間半の上演時間でした(『歌劇』1947、桜木2015)。それらと比較すると『ヂヤブ・ヂヤブ・コント』の全30場を1時間半(実際は1時間50分)で通すというのは、当時の関係者や観客にかなりの目まぐるしさを感じさせたことでしょう。
実は、この目まぐるしさ、つまり舞台が展開するスピードの速さこそが、〈ノンストツプ・レヴユウ〉というカテゴリー名を冠された由来でもありました。これについて、楳茂都の言葉が残っています。
ノンストツプ・レヴユウといふのはロンドンで流行してゐます、然しロンドンで云ふノンストツプの意味は毎日午後から同じレヴユウを何回も休みなく演ずるといふ意味なので、今度『ジヤブジヤブ・コント』のノンストツプといふのとは大分意味合が違ふのです。此方のは非常にスピーデイであるといふのでノンストツプとつけました。(『歌劇』1934: 13)
このように、作者自らが〈ノンストツプ・レヴユウ〉と名付けた理由にずばりスピーディーさがあると述べています。また、これは私の推察ですが、スピードを意識した本作品にあえてロンドンで流行っている名を付けたのは、楳茂都の〈海外レビューに追いつきたい〉という強い願いがあったと考えられます。ロンドンのノンストップ・レビューはスピーディーだからという理由でそう呼ばれているわけではないにしても、舞台技術において日本の前をゆく海外レビューの 1 つであることに変わりはありません。その言葉をそっくりそのまま日本レビューのカテゴリー名に活かすことによって、意欲作である『ヂヤブ・ヂヤブ・コント』により強い意味を持たせようとしたのではないでしょうか。
短い場面を立て続けに見せ、またそれに伴う多くの舞台転換を滞りなく速やかに済ませることで、意味は違えどロンドンで流行しているものと同じ名前を冠した〈ノンストツプ・レヴユウ〉を成功させる、そしてその成功こそが宝塚の舞台に技術と自信を与え、日本のレビューを前進させるきっかけになるだろう…。楳茂都が『ヂヤブ・ヂヤブ・コント』に〈ノンストツプ・レヴユウ〉と名付けた理由には、そういった意図もあったのではないかと推測します。
さて、結果としてこのノンストツプ・レヴユウ『ヂヤブ・ヂヤブ・コント』は大いに話題を呼び、続演もされて人気を博しました。その一因としては勿論、全30場を1時間半で上演せんとするというスピーディーさも挙げられます。しかし、実は本作品には、それ以外にも観客に新鮮な感動を与える新しい試みが多く仕込まれていました。それが、作品を通して一貫した登場人物がいない〈ノンストーリー形式〉、日本のお風呂という日常生活に馴染み深いものを題材とした〈身近さ〉、そして〈本格的なマイクロフォンの使用〉です。つまり楳茂都は本作品に、ただでさえ挑戦的な作品構成の上、さらに何層もの画期的な要素を盛り込んでいたのです。レビュー日本上陸からわずか7年。作品のスピーディーさも然ることながら、楳茂都の日本レビューを進化させようとする計画そのものも、かなりのスピード感を持って実行されたように考えられます。
参考文献
『歌劇』、1934、174 号、宝塚歌劇団、12-13 頁。
『歌劇』、1947、265 号、宝塚歌劇団、30-47 頁。
桜木星子、2015、「『パリゼット』~レビュー黄金時代」、
https://allabout.co.jp/gm/gc/431966/(2021 年 9 月 15 日閲覧)。
最後に——卒論に取り組んで
執筆期間を振り返って一番大変だったのは、「やる気が出ないときに、どうやってやる気を出すか」でした。みずからが書きたくて始めた卒論ですが、もちろんずっとモチベーションMAXなどというわけにはいかず、パソコンの前に座ることすら億劫な日々が続きました。そんなときに有効だと感じた対処法は、まず「“とにかく”パソコンの前に座るだけ座る」、「パソコンの起動“だけ”してみる」、「“とりあえず”Wordを立ち上げる」など、1つひとつのアクションを毎回ゴールのように設定することでした。そうすると、いつの間にかすんなりと作業に入ることができたり、ほんの少しでも前に進んだような気がしたりして、やる気を回復することができました。この方法は卒論以外の何事にも通じるように感じていて(家事や仕事など)、今後の生き方にも大きく役立つ経験ができたと考えています。
私たちのゼミでは3年生の秋学期から研究計画書を作成するなどして、約1年にわたって卒業論文に取り組んできました。始めの頃は「本当に研究/卒論として成立するだろうか」という不安でいっぱいでした。しかし、4年生になってからは毎週研究成果の発表に追われて一心不乱に国会図書館へ通い、資料を漁り、文章を練り……。気づけばあっという間に時が過ぎて、無事卒論を完成させる段になっていました。こうして必死に駆け抜けることができたのは、近くで見守ってくれた家族や、多くのご指導・叱咤激励を下さった横山先生、そして一緒に卒論を頑張りつづけた4年生の仲間たちのおかげです。この場を借りて御礼申し上げます。

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