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  • 執筆者の写真ゼミ 横山

ドラマトゥルクの視座から

演劇の作り方とその課題


瀧口さくら、大谷心路、藤田すみれ、張藝逸


今回お話を伺ったのは、立教大学のOBであり、演劇の役職の一つ、ドラマトゥルクの草分けの一人である長島確さんです。聞きなれないドラマトゥルクとはどんなお仕事なのか、今の演劇界が抱える課題はなにか、などなど…。演出や役者、照明や音響とはまた異なる視点からの、演劇の作り方をお伝えします!



長島確氏プロフィール


1969年東京生まれ。立教大学文学部フランス文学科卒。同大学院在学中、サミュエル・ベケットの後期散文作品を研究・翻訳する傍ら、字幕オペレーター、上演台本の翻訳者として演劇に関わる。その後、日本におけるドラマトゥルク(注)の草分けとして、さまざまな演出家や振付家の作品に参加。近年はアートプロジェクトにも積極的に関わる。東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科准教授。2018〜2020年フェスティバル/トーキョー・ディレクター、2021年〜東京芸術祭内のディレクションに参加。


(注)記事の中で仕事内容の紹介があるが、長島さんは翻訳を軸にしたドラマトゥルクなので、この記事ではその点について多く触れている。ドラマトゥルクの仕事は幅広く、翻訳に限らず様々な分野の知識が必要とされる。


(筆者撮影)



ドラマトゥルクになるまで


──平田栄一郎さん(注)がきっかけでドラマトゥルクと名乗るようになったと仰っていましたが(国際交流基金アーティストインタビューより)、あえてそのように名乗ることを決めた際に、どのようなお考えがありましたか。


(注)慶應義塾大学文学部教授。演劇学・ドイツ演劇。

 

最初に翻訳で関わったのが、演劇の小さなチームの現場だったんですが、翻訳の事前準備から本番までずっとついていたら、誰よりもたくさん働いてるみたいなことになっちゃって、世の中の大半の翻訳者はここまでしてないってことが、あとからだんだんわかってきました。自分がやっている仕事がそれまでの呼び方でうまく収まってなくて、そのときドラマトゥルクって仕事があると聞いて、それがいいかも!と思って、使うようになりました。


だから、ドラマトゥルクになろうと思ってなったわけではないんです、知らなかったし。そのときは「ドラマトゥルクを日本に普及させよう」みたいな意識もなかったですね。



──そうやって現場に関わっていくうえで、それ以前の学生時代の経験は関係ありますか。


関係はしてるんですけど、演劇とか劇場、舞台の勉強は全然してなかったので、だいぶ回り道になっています。学生の頃には立教大学の文学部フランス文学科(編注:現在はフランス文学専修に改名)というところにいて、フランス文学を勉強していました。特に僕自身は翻訳のことに興味があって、「どうやってフランス語などの外国語を日本語にするか」を考えていました。勉強して、翻訳もして、それが演劇の台本を翻訳する仕事に繋がっているという意味で、繋がってはいます。



──演劇の現場に関わることを早くやっておけばよかったと思いますか。

 

そうは思わなくて、それまでの経験がよい方向に働けばよいのだと思います。どんな仕事もみんなそうだと思うけれど、やっぱり10年ぐらいやると、ある程度何かがわかってきます。10年ぐらいやって慣れてきて得られた、そのノウハウをよそへ技術移転する、みたいなことを僕はどんどんした方がいいと思っています。


僕は学部から博士まで立教に11年通って、その間に大学である種のアカデミックな勉強をして、同じ時間に演劇をやってきた人とは違う経験を積んでいます。その蓄積を、論文を書く・研究するためのトレーニングじゃなくて、演劇を作るためにどう活かせるかを考えます。



──実際にドラマトゥルクを名乗るようになってから、稽古場や周りの人からの扱われ方は変わりましたか。

 

「はぁ、何それ」みたいな感じでした(笑)。「翻訳者の長島さん」と言った方が伝わりますね。もちろん「ドラマトゥルク」でわかってくれる人もいるけど、わかりにくいです。特に当時はドラマトゥルクという言葉自体もそんなに入ってきてなかったし、名乗り始めたの僕が初めてじゃないんですけど、日本でちゃんと専門職として、本業としてやっていき始めたのは多分一番最初に近いです。

 

なのでまずは、知られていないところへ仕事で入って行くと、ドラマトゥルクは敵じゃないっていうことを伝えることから始めないといけないんですね。現場との信頼関係みたいなものを築きます。僕の場合、ドラマトゥルクは業務受注的な仕事とはちょっと違って、演出家と、場合によってはプロデューサーとも親密に組んで、また俳優とかともすごく近い関係になって仕事をするので。その当時、日本の演劇の状況の中にそういうポジションがもっと増えないと良くないっていうムーブメントみたいなものがちょうどあって、そこに乗るような感じになりました。

 

その頃に出会ったプロデューサーの市村作知雄さん(注)という方がいます。その方が当時よく話していたのは、日本の演出家が孤立して結構苦しんでいて、そこで一緒に作るパートナーみたいなポジションがあった方がいい、ドラマトゥルクが必要だっていうことでした。それから、翻訳者も演出家との緊密なコラボレーションが必要だってことですね。それでドラマトゥルクという仕事をドイツから取り入れよう、日本にも増やそうっていうことを積極的にやるようになりました。だからそういう人とは説明はいらないし、一緒にやってるチームでは馴染んでいますね。


(注)国内外の舞台芸術公演のプログラミング、プロデュース、文化施設の運営を手掛けるほか、アートマネジメント、企業と文化を結ぶさまざまなプロジェクト、NPO の調査研究などにも取り組む。2017 年 3 月まで東京藝術大学音楽環境創造科准教授。2014〜2015年フェスティバル/トーキョー・ディレクターズコミッティ代表、2016〜17年フェスティバル/トーキョー・ディレクター。NPO 法人アートネットワーク・ジャパン顧問。現在、NPO法人月面脱兎社理事。(市村作知雄プロフィールを元に追記)

参考:ドラマトゥルク導入期の市村作知雄インタビュー(2005年)



──翻訳は違う言語同士の橋渡しのような仕事だと思いますが、そのような立場だからこそ、ドラマトゥルクの必要性を感じやすかったのでしょうか。


それはありますね。僕は、上演のために翻訳するときに、言葉の選択について「誰が決めるか」「誰が判断するか」ということがすごく気になり始めました。

 

大学で勉強してた頃は、どう考えても日本語に訳せそうにないものをどうやって日本語にするかっていうことが面白くて、そういうものをやろうとしていました。ある種の作家や詩人は、自分の書いてる言語自体にものすごい負荷をかけていて、だから訳そうにも訳せない作家がやっぱりすごく面白くて、それでも訳すとしたらどうするか。そういう、説明・解説じゃなく、元の言葉でかかっている無理・負荷みたいなものまで込みでどうやって日本語に翻訳するかを考えていました。

 

ところが、それが小説とか詩とかならまだいいんだけど。僕は最初、海外の演劇作品の来日公演の字幕オペレーターのアルバイトとして現場に入ったんですけど、演劇の字幕は予め準備した日本語訳のせりふを芝居に合わせて生で出していくんですね。既に日本語訳も出版されていた作品なんだけど、それがそのときに外国から来てた上演の雰囲気と全然合わなくて。なんかキャラが違って、口調が合わなかった。


なぜかというと、英語やフランス語の元のセリフだったらそれ自体でいろんな言い方ができて、いろんな感じに演じる可能性があるんだけど、翻訳する際にはある程度ニュアンスを選んで決めて、固めないといけない。出版されていた翻訳にも、すでにそういう判断が入っていました。だからそれを使うと、字幕が目の前の上演と比べてやけに固い言い回しだったり、微妙にニュアンスの違う言い方になったりして、違和感を感じたんですね。

 

一方で、外国語の台本を日本人が演じるケースにも問題があります。日本語に訳されている台本からスタートする日本の演出家と俳優は、元々の言語からスタートする海外の演出家と比べて、選択肢が少ないんじゃないのかと思いました。たとえば、原語から日本語に翻訳するときには一人称の選択肢は複数あって、「私」も「俺」も選ぶ可能性があるのに、「僕」って訳すだけでキャスティングが変わっちゃうみたいな話です。

 

いずれにしても、現場の手前で翻訳者が言葉を決めているわけです。僕は「それをなんで翻訳者が先に決めなきゃいけないの」「おかしくないの」という疑問を持って、だから既にできている翻訳の陰に本当は別の選択肢があり得ることを、どうやって日本語で作る現場に還元・シェアしていくかを考えました。


一度翻訳されてるものは、間違っているわけじゃないんだけど、あくまで選択肢の一つです。本来その陰に隠れてる言葉からスタートすれば、選択肢はいろいろあるはずです。どこからスタートするかで同じ作品でもかなり違ったことができるはずだし、勝手に書き換えたりせず原作そのままで、既存のイメージとは全然違ったものが出てくる可能性もあるわけです。それで、翻訳にあたってはそこの隠れちゃってる部分を明るみに出して、演出家とか俳優の「自由」をどう回復できるかを考えてきました。



──現場ではどのように動くのですか。

 

今言ったように、先に翻訳者が決定した一つの正解を押しつけるのとは違う翻訳のあり方を、どうやって人とシェアしながら作るかを考えるようになって、すごく仕事が増えました(笑)。いろんなとこから仕事が来たって意味じゃなくて、一つの稽古場での仕事量がめっちゃ増えました。

 

翻訳を先にしちゃうと、もうそこで先に何か決めることになっちゃうから、できれば翻訳する前から打ち合わせをしたいというふうに、こっちは言います。だけど俳優や演出家の方からすると、「いやいや、とにかく一度訳してくれないと読めないから」という話になります。でも訳すと色がついちゃう、そういう鶏と卵みたいな問題が始まります。

 

そこでやっぱりたたき台を作って、いろんな選択肢も出して、その上で決めて、あとは稽古場で直すということになります。そのときに演出家と同時にあれこれ意見を言うと稽古場が混乱するから、とにかく僕は黙ってずっと見てて、終わった後で演出家と打ち合わせします。


たとえば、単なる俳優の言い間違いなんだけどそっちの方が面白いよね、そういうふうに変えない?ということもあれば、俳優がなんか慣れてきちゃって、なんか流れてしまうときもあります。言いにくいから直しちゃうとか、逆に言いやすすぎるから直す、みたいなことも、台本の書き換えというレベルでやるんじゃなくて、翻訳の幅のなかで可能なアジャストみたいなことを、演出家と組んでやるようになりました。



──翻訳には、ある種の権力が伴いますよね。たとえばいろんな選択肢があるなかで、日本の観客に合わせて受け入れられやすいように翻訳する、といったことですが。このような翻訳の権力の問題についてはどのようにお考えですか?

 

僕は、良くも悪くも翻訳というのはその都度ちゃんとどうしたら機能するかという、機能の問題として考えています。だから、絶対的に正しい唯一の翻訳がフィックスできるとは全く思っていないんですよね。


たとえば、同じ翻訳でも字幕用に翻訳するのと、日本語の台詞として日本人の俳優が声に出すために翻訳するのと、あと吹き替え用の翻訳とかでも、それぞれ変わってくるし。そのときに、どうすれば自然に負荷なく読んでもらえるか、それでもあえて負荷をかける必要があるのか、あえて、引っかかる必要があるのか。こういうことを、宛先とか何のために翻訳するのかということを基準にして考えます。


元のテキストは変わらないものとしてあるんだけど、いつ誰が、誰のために訳すのかっていうことでバリエーションがあること自体は、面白いことだと思います。あと、翻訳の賞味期限の短さが演劇の上演と似ていると思っています。なぜか翻訳は原作より早く古びます。


もちろん、そこに権力関係みたいなのもあります。翻訳者としては、原作者の番人みたいにもなる。つまり、原作が偉くて、その偉さをどう守るのか、作家の味方をするというときもあります。逆に、原作を素材として使うような破壊者になるときもある。



──その立場を決めるのは、演出家ではないのですか?


そこは、ケースバイケース。僕自身は、どちらかと言えば、原作を死守するよりも新しい使い方が見つけられることが大事というスタンスかな。原作をリスペクトするのは当然ですが、新しく使うことを翻訳者として抑圧したくない。



ドラマトゥルクの仕事について


──今は主にフリーランスで活動していらっしゃいますね。

 

フリーが基本なんですけど、厳密に言うと、中野成樹+フランケンズという劇団に入っていて、中野成樹という演出家(注1)と組んでずっとやってます。あとは今東京芸術祭FTレーベルのディレクターとして契約もしています。それは一人でやっているのではなくて、河合千佳さんという共同ディレクター(注2)との二人体制でやっていて、それぞれ違う専門でツートップでディレクションしています。


あと東京芸術祭ファームで、多田淳之介さんという演出家(注3)と共同ディレクターという形で、プログラムと方針を決めています。とはいえ、二人だけで決めてるわけじゃなくて、事務局長という大事な人がいて、あと担当者とか、いろんな人がチームにいて、アイディアを出してくれます。海外もそうだけど、こんなふうに複数体制でディレクションするというのが最近の流れになってきていて、KYOTO EXPERIMENTも去年からディレクター三人体制になりましたね。今の時代、ワントップよりこの方が全然いいと感じています。


(注1)演出家。中野成樹+フランケンズ主宰。日本大学芸術学部教授。(一般社団法人なかふら/中野成樹+フランケンズホームページより引用)。

(注2)武蔵野美術大学卒業。劇団制作として、新作公演、国内ツアー、海外共同製作を担当。2018〜20年フェスティバル/トーキョー共同ディレクター。2021年〜東京芸術祭FTレーベル・共同ディレクター。日本大学芸術学部演劇学科非常勤講師。(東京芸術祭ホームページより引用)

(注3)演出家。東京デスロック主宰。富士見市民文化会館キラリふじみ芸術監督(2010〜2019)。青年団演出部。四国学院大学、女子美術大学非常勤講師。(東京芸術祭ホームページより引用)



──先ほどドラマトゥルクは演出家と信頼関係を築いて作品を作るとおっしゃっていましたが、運営が複数人体制になっていく流れとの関連性はあるのでしょうか。

 

演劇、あるいはダンスも含めてですけど、全般的に言える良いところは、やっぱり集団創作であること、一人じゃないことです。お互いに欠かせない良いチーム、あるいは良いメンバーやパートナーがいたら、一人では思いつかないようなものを思いつきますしね。逆に言うと、演劇は一人のビジョンを実現するのには向いていないですね。


たとえば小説だったら一人で書ききれるというか、一人で支配できるジャンルだと思います。それに比べると、パフォーミングアーツはやっぱりスタッフにしても、キャストにしても、その人の個性があるし、意思があるし、人権があるし、スタッフやキャストは演出家の「素材」や「道具」じゃない。そういうことを尊重し始めると、単純に個人のビジョンを材料を集めて実現するとかそういう話ではないジャンルだと思います。演劇は集団で、生でやっているものだから、個人ですべてを完全にコントロールしたい人は、他のジャンルに行った方がいいですね。



──ドラマトゥルクは漫画編集者みたいなイメージがありますが…

 

ある程度似たところはあると思います。ただやっぱり違うのは、舞台だったら、登場人物(俳優)も、いろんな音響とか照明とかのスタッフさんも、生きている人たちがやっているということです。だから、作る過程でいろんな人と接します。作家に対しての担当編集者みたいに演出家だけについちゃうこともあるだろうし、もっと距離をとって全体を見ることもあるし、俳優やスタッフと相談することもあります。ケースによるとは思いますが、最終的に決めるのは作家だけど、資料を集めてアイディア出したり、打ち合わせしたりってところは、近いと思います。



──ボーダーレスな関わり方をすると、作品の追求に限度がない気がするのですが、ドラマトゥルクの仕事はここまで!といったリミットはあるのでしょうか。


作品の最終決定権は、やっぱり絶対に演出家なりアーティストのものだと思うんですね。僕は、アーティストじゃない。作品は共同作業の産物だけど、アーティストのものであって、僕のものじゃない。たとえば僕が自分のやりたいようにやりたいんだったら、お前が演出しろとかいう話になるから。そこは結構ドライなリミットがあります。だから、ちゃんと手柄も失敗も(笑)アーティストのものにすることが大事。


もちろん、一緒にやっていて、自分も一緒のチームなんだけど、僕の表現じゃないっていうか、僕が自己表現する場じゃないっていうか。そこはけっこう線を引きます。ただ、だからと言ってドラマトゥルクに責任がないわけじゃないし、うまく行かなかった作品について、これはドラマトゥルクの責任だろう、というケースはあります。

 


──演劇を作る際には、没入して台本を書いたり演じたりする人と、一歩引いて意見を言える人がパキッと別れてくると思うんですけど…


責任を持って仕事をするときに必要な視野の狭さみたいなものがあるのは確かなので、僕はみんながそうなっているときに一番引いた目線を持っておくというか。それは、僕もアートプロジェクトでディレクションとかで関わることがあるけど、自分でもギョッとするほど、立場によって違いが出ます。自分の視野が狭くなったりする。


たとえば、レンズで広角と普通のレンズってあって、同じ距離で撮っているのに写り方が全然違う、みたいな感じです。演出家がふつうのレンズで見ているんだったらこっちはワイドレンズで見ている。隣で見てるのに、全然違う。そういう役割分担ですね。



──それは意識的に?

 

そうしようと思ってます。そうしないと、2人で同じことを見てるみたいになっちゃうから。

 


──ドラマトゥルクの仕事が今まで日本に少なかった要因として、たとえば、平田栄一朗さんの『ドラマトゥルク―舞台芸術を進化/深化させる者』という本では、演劇において日本ではエンタメ性が強く、ドイツだと知性や教育などが求められるという土壌の違いが書いてあるのですが、長島さんはどうお考えですか。

 

ちょっと違う考え方をしています。その本は、平田さん自身がわかって狙ってやってるんだけど、ちょっと演劇が知的であることを求めすぎです(笑)。当時は、劇場法とかが議論されている文脈の中で、行政とか政治家を説得するためにある種の権威も利用しながら「こういう仕事が必要だ」とアピールする役割を意識して書かれていたと思います。


(筆者撮影。『ドラマトゥルク―舞台芸術を進化/深化させる者』書影)



──ドイツのような「社会に開かれた演劇」の必要性についてはどうお考えですか。


まず社会の中でのコンセンサスが違います。ドイツだと、公共のインフラとして社会的に機能すべきというコンセンサスがあります。税金を使ってあえてそれをやるというコンセンサスです。それに対して、日本は演劇に対して歴史的に国の支援がない国で、国立大学の演劇科もないし。むしろ民(民間)がやるみたいなところが歴史的にもある。エンタメか知的かという二項対立は単純すぎます。言い換えれば、エンタメにもドラマトゥルクが必要だし、日本にはドイツとは違った社会への開かれ方があるとも思っています。


実際、国によってけっこう違うんです。ドイツは連邦制で、国内で競い合ってたりする。それに比べて、フランスはもっと上からっていうか、もっと中央集権的。アメリカは逆に、上からを嫌うので、徹底的に民で行こうとする。国立みたいなものを徹底的に嫌う。寄付に対する税の優遇みたいなのがあって、ヨーロッパだったら国立にするところを全部民でいく。図書館すらもです。



──海外経験をもつドラマトゥルクの方が多くいると思いますが、ドラマトゥルクになるために海外経験は必要だと思われますか?


専門による、現場によるという感じで、マストではないです。日本の現場で、能のドラマトゥルクをしている方も知っていますし。海外経験があるドラマトゥルクの方が求められるケースが多かったかもしれないけど、それを言うと、僕だってちゃんとしたキャリアとしての海外経験はない。留学も嫌で行かなくて、行き損なった口なので。


フランス文学を勉強していたときに、フランスで学歴を積んで、それが日本で肩書きになって、みたいな感じに対して、それって文化的な植民地じゃない?って僕は思ってました。本国がフランスなのは確かだけど、そこに認められたいからやってるわけじゃないよなって反発心みたいなのがあった。あとで、あのとき留学行っときゃよかったなと完全に思いましたけど(笑)。


だから、何をするかによって海外経験は必要だったりするし、もうちょっと一般的に言って、いまの現場の活動を引いたところから見るための参照項としては役立つかもしれないけど、マストではないと思います。だいたい「海外経験」っていったいどこ?みたいな。行き先によってきすごい違うし。



ドラマトゥルクの育成について


──マニュアルや「ドラマトゥルクのわざ」を言語化したものはありますか?

 

ドラマトゥルクのわざや仕事を直接明確にした日本語のものはありません。英語やドイツ語だときっと多少はありますが、直接仕事の内容を記したものというよりは、ドラマトゥルギーという専門領域について記したものが多いと思います。

 

そういったドラマトゥルギーに関する本がドラマトゥルクのマニュアルにあたるのかというと難しい話ですね。たしかにドラマトゥルクは言葉の成り立ちとしては「ドラマトゥルギーの担当者」という意味です。僕は公演情報で「ドラマトゥルク」とクレジットされるようにしてきましたが、それは厳密にはちょっと変な書き方で、「演出」や「照明」といった言葉に対応するのは「ドラマトゥルギー」なんですね。「演出家」に対応する言葉だったら、人を表す「ドラマトゥルク」でいいのですが。

 

今日本でも若い世代で「ドラマトゥルギー」という書き方にしている人が出てきています。いいなぁと思っていますが、僕自身仕事を始めるときに、そこはまわりの人とけっこう話し合った部分で、「ドラマトゥルク」というポジション、役職の存在が知られていくことが必要だから、あえてドラマトゥルクと書こうと判断しました。2000年代の真ん中くらいですね。ドラマトゥルク、ドラマトゥルク、と、とにかく書くようにしました。

 


──ドラマトゥルギーについて、もう少し教えていただけますか。

 

ドラマトゥルギーはとても広い概念で訳しようがないのですが……劇作から演出、演技、照明など幅広い視点が合わさって、どうやってドラマができているかを考える専門領域なので、ドラマトゥルクだけの仕事ではないんです。そういう広い意味でのドラマトゥルギーの入門書や解説書はありますが、それがドラマトゥルクという役職の仕事だけの説明かというと、そうではないということです。

 

僕もシンプルな説明の仕方に辿り着くまでにけっこう時間がかかったのだけど、ドラマトゥルギーはごく簡単に言うと、ドラマのでき方とそれを扱う技術のことです。ではドラマって何?というと、元々の語源は「行為」です。それが複数並ぶとある種のストーリーができて意味が発生してきます。それがドラマの根本的な成り立ちです。行為の種類、順序、誰がするのか、などの組み合わせが変わるだけで意味が大幅に変わります。簡単にいうとそれを扱うのがドラマトゥルギーなんです。ドラマの「意味」を扱う技術というか、作業というか、それがドラマトゥルギーです。

 

だからドラマの「意味」は、おおよそは劇作家が書く台本で決まるとも言えるし、一方で台本にはない俳優のちょっとした仕草でも変わってくるとも言えます。照明や音楽の入れ方でも変わってきます。演劇を作るあらゆるセクションが複合してきますし、そのときの社会の状況、社会のできごととも連動してきます。戦争や災害の前と後とで、同じ戯曲の意味が変わってしまったりする。そうすると、ドラマの「意味」を扱うのは、決してドラマトゥルクだけではありえません。それぞれのセクションの専門家が共同で作業していく中で、一番引いて見ながら助言をしたりケアしたりフィードバックしたりできるポジションが、ドラマトゥルクと言えるでしょうね。

 

 

──一番、こう、「見え方を見ている」ということですか?

 

そうかもしれないです! 演出家もそうなんですが、より引いて見ている感じです。メタ認知的ともいえますね。

 

 

──先ほどおっしゃっていたように国や地域ごとに演劇を取り巻く状況が異なる中で、仮にドラマトゥルクのわざを言語化するとしたときに、その地域に合わせた形が立ち上がってくると思われますか?

 

そうですね、そういうことも起こり得るかもしれません。実際、具体的には国や地域ということ以上に、作る現場によってドラマトゥルクのわざは変わってくると思います。

 


──土地に根付いた文化というよりも、属人的だから文字になっていないということですか?

 

そうですねえ……属人的、ないしは現場的といいますか、都度都度なのかもしれないです。とはいえある程度知っていた方がいいこともあります。演劇に限った話をすると、物語のパターンは知っていた方がよくて、昔話なんかは物語パターンの宝庫ですね。たとえば桃太郎は鬼を退治しにいく移動型の話です。他にも鶴の恩返しや浦島太郎など何らかのパターンがありますね。そういった基本的パターンを分かっていると、共通認識として使うことができます。パターンは作品を作る上で、みんなで整理して考えるときに使うことができます。

 

 

──どういうときに使うのですか?

 

今作っている話がどういう構造なのか、なおかつそれをどう裏切るのかということを考えるときです。とはいえ、セオリーだけではなく現場の経験が必要で、これはドラマトゥルク志望者へのアドバイスとしてよく言っているのですが、ドラマトゥルクになりたかったら、料理に喩えると、どれだけ舌が肥えていてもそれだけではダメで、厨房がどんな場所で、そこでどんな感情がうごめいているかを知らないといけない。作る現場がどんなタイム感で、どのようなエネルギーで回っていて、そこでどのような感情がうごめいているのか、現場を知っていることが大切だと思います。

 

 

──わざの伝承には経験の共有が大切だと思います。ドラマトゥルクの現場経験を共有する場はありますか?

 

座・高円寺という杉並区の劇場の養成コースで10年近くドラマトゥルクについての授業を持っています。あと東京藝大でやっている授業もそうですが、ドラマトゥルクを育てるというよりは、意識的、自覚的にドラマトゥルギーをどういう風にみんなで理解し考えるか、具体的な実例を基に考える授業です。ある作品が、誰が、いつどこで、どうやって作るかによって、その作品が持つ意味がいくらでも変わってくるはずです。そういったことを扱うのがドラマトゥルギーなんです。

 

 

――ドラマトゥルクの養成機関の可能性についてはどうお考えですか?

 

そうですね…ドラマトゥルクにはある程度知識が必要です。またオールマイティではなく専門性の偏りがあっていいです。翻訳もその一つですね。何らかの専門知識は必要ですが、その専門領域は人それぞれでよいということです。専門知識を現場でどう繋げられるかが問題です。現場で、引いた視点をきちんと持てるか否かが大切なので、やはり養成のためには実際の現場経験が必要なのだと思います。


また、絶対に見習い期間が必要です。いきなり現場に入っても潰れるだけなので。どのポジションもそうだと思いますが、現場に見習いとして入るような研修機会が大事だと思います。


(筆者撮影)



環境改善とそれに対するドラマトゥルクのアプローチ


ドラマトゥルクの養成については今言ったとおりですが、優先順位でいうとドラマトゥルクよりも制作者(マネジメント担当者)の地位向上の方が重要です。ほかにも俳優のギャラとか、スタッフの仕事の分量もだし、個人の尊厳みたいなものも含めて、そこが日本はずっと弱いんです。

 


──それは具体的にどのように改善されるものなのでしょうか。一個人にできる範囲には限りがあると思うのですが。


一つはやっぱり仕事の可視化で、どんなシャドウワークがあって成り立っているのかがもっと見えるようになったほうがいいと思っています。日本は裏方の美学みたいなのが強すぎて、隠しすぎるので。自分のことだけならそれでいい気もするけど、問題なのは、それだとどんな仕事をやっているか社会的に認知されないし、なりたいと思っている人もどうやってなったらいいかわからない。これはマネジメントとかドラマトゥルクとか、とくにそう。


もう一つは、力を持っている立場の人、演出家なり主宰が勉強して、自分の権力を解体しないといけない。これはエグい話になりますけど、主人と奴隷、奴隷労働とかケアワークの話になってくる。そこをちゃんと解消するには、もちろん下から声をあげるのも必要だけど、ちゃんと上が権力構造を自覚しないとダメです。ハラスメントや過剰労働、労働搾取の問題は深刻で、今そこでは、自覚をしてクリーンでフェアな現場を作ろうとしてる人たちと、無自覚な人たちとがキッパリ分かれている。その二極化がすごく問題だと思っています。そういうところの改善が、ドラマトゥルクの養成より先ですね。



──その「地位向上」というのは、団体の中での、ということですか。それとも社会の中で、職業としてということですか。


まず、「ギャランティをちゃんともらえているか」問題。単純に金額の面で、俳優やとくに制作スタッフの地位が高いとは言えないと思います。あとは、ケアの話というか。一部の王様的なアーティストとそのお世話をする係、のような関係で、お世話係の立場はものすごく想像力を使って、アーティストのサポートをし、ご機嫌取りをしてるんだけど、アーティストはお世話係のそういう部分を全く考えずに、作品の中のことだけに対して想像力を使って、作品を世に生み出す。その、二種類の想像力に優劣があってもいいのか。


ないと成り立たないようなケアワーク、シャドウになっているほうの想像力は知られず評価されず、作品の評価がアーティストだけのものになっていく、その待遇差はいいのか。本来そこはどっちも大事だし、どっちかだけが偉いってなるのは、歪な関係と言わなきゃいけない。あるいはたとえば、シャドウになってる仕事は隠れたままでもその人のお給料はめちゃくちゃ高いとか、そういうのなら別にいいんだけど。その辺を含めたときに、シャドウワークの人の地位が低すぎるのが問題です。



──弱い側にもその権力構造に気が付いていない人もいると思います。作品至上主義というか、作品のための駒になること、搾取されるのがやりがいや美徳になっているケースもあります。そこにドラマトゥルクが、あるいは第三者が介入する必要があるのでしょうか。


うん、介入は意味があると思います。作品至上主義は、時代に合っていない気がします。あってもいいけど、スタンダードなモデルとしてはもう古い。19世紀、ベートーヴェン型の芸術家像。日本で言えば昭和かよ、みたいな感じがします。


もう一つ、社会的なコンテクストとして、プロセスがどうでもよくない時代が来ています。作品さえ良ければプロセスはどんなでもいい、みたいなのは通用しないというか、ダメでしょそれっていう扱いになってきた。そういう中で、どうやって作品を作るかっていうプロセス自体が、作品のメッセージになってきています。


ドラマトゥルクの仕事は二つあって、作品の中のことを考えることと、作品や劇場が社会の中でどんなことをやるかを考えること。それは広い意味でプロセスの持つメッセージ性をケアすることと繋がっています。作品が良いだけではなく、それがどんな人によってどんなふうにどんな社会に向けて作られているのかっていうのがメッセージになる。だから、そこまで含めてドラマトゥルギーのケアをする立場としては、プロセスがクリーンじゃないものにはそれはダメでしょうと言わないといけない。その意味で、第三者というか、内側からにはなりますが、ドラマトゥルクが声をあげることは必要だと思います。



──トークやプログラムノートのように観客にプロセスを見せるための枠組みがあり、長島さんはそれに携わっていらっしゃいますが、その際に意識していることはありますか。


演劇に限らずアートには、出来上がった作品を見る・聴くだけじゃなく、「作る楽しみ」「やってみる楽しみ」が絶対あると思っています。その部分を今まではアーティストが独占していたけど、アーティストが作品づくりに取り組んで楽しんでるプロセスを、オープンにしてシェアした方がいいと思っています。


そこも面白いんだ、って思う人がいるはずだし、そここそもっと知りたいって人もいるはずだと思うんです。そこを見たい人にドアを開けてあげれば、結果的にシャドウワークの地位向上や認知にもつながるはずだし、そういう仕事をやってみたい人も出てくると思います。


でも、それって作品を作りながらやるのは難しいというか、二度手間になってしまうんですね。作品づくりで忙しい中、プロセスの見せ方まで考えるのは難しい。稽古場ブログとかつまんなくなっちゃうじゃないですか。だから専門の人がいるとか、アーカイブが残ってるとかが重要なんだけど、ともかくコストは課題ですよね。やればいいし意味はあるけど、それ自体が労働搾取にならないようにしないといけないですね。



──プロセスが面白いものだったとしても、その面白さを伝えるのは難しいということですね。


我々にはプロセスを語る言葉が足りてなくて、そう、「プロセスの言葉」って呼んでいます。世の中には出来上がった作品を出発点にして語られる言葉、たとえば評論や感想などはいっぱいある。それに権威が付きまとっています。だけど一方で、作品がどうやって出来上がってきたのかを語る言葉は相対的に少ないし弱いっていうことが、我々の宿題というか課題です。


岡田暁生さんっていう音楽学者の、『音楽の聴き方』っていう本があって、岡田さんがドキュメンタリー映像で観たというオーケストラの練習風景の話が面白いんです。あるバイオリニストが上手く弾けないときに、指揮者に「人の肌に触れるように弓を当ててほしいです。かつ、すぐ肌にではなく、産毛から触れるように」って指導されて、バイオリニストの音がよくなります。


このドキュメンタリーのカルロス・クライバーという指揮者はちょっと飛び抜けてるかもしれないけれど、こういう言葉って現場の人間からするとけっこうあることで、「また上手いこと言ってるなあ」みたいにも思います。そして、すぐれた指揮者なら、もしさっきの指導でうまくいかなかったら、あ、それ忘れてって言って別の方法を試したりすると思います。だからその比喩自体はすごく面白いしクリエイティブなんだけど、使い捨て。しかも、指揮者は最終的に本番の演奏を聴いた観客に、「まるで人の肌に触れるようだった」と思ってほしいわけでは全くないわけで。


そういう感じでプロセスで使い捨てられていく言葉を、現場に入る人間は勉強する必要があるんだけど、出来上がったものにはそれは残っていない。それをどうやって残すか、シェアするかがポイントです。研究者もほとんど知らないから面白がるし、きっと一般の人にとっても面白いと思う。役に立つって人も一定数はいるはずです。



──「わざ言語」ですね。


岡田さんの本では生田久美子さんの研究を引いて「わざ言語」っていう言い方をしています。だけどもう少し広く、打ち合わせで使われる言葉なども含めて、プロセスの言葉と僕は呼んでます。



──ゼミでわざの伝承を勉強していると、そういう言葉が出てくるんです。やる人がやる人へ使う言葉といいますか。


うんうん。ドラマトゥルクはそれを記録しやすい立場にはありますよね。



──そのプロセスの言葉を残す媒体や形が今増えてきているということですかね。


この20年くらい盛んにおこなわれているアートプロジェクトと呼ばれるジャンルでは、ドキュメントを残すことがひとつのポイントになっています。アートプロジェクトでは、ジャンルや専門を超えて、劇場や美術館などの専用施設を出て、いろんなことが試されています。最終的な成果物よりも、プロセスとかコミュニケーションに価値を置いている活動が領域横断的に起こっています。だからこそプロセスを残すことを考えないといけなくて。そういうプロセス重視のものがプロジェクト型と呼ばれるものにもなっています。


僕が以前かかわったプロジェクトの記録として『アトレウス家の建て方』と『つくりかた研究所の問題集』っていう本があって、それもそういう考え方で作りました。例えば「アトレウス家」は、劇場ではなく、民家で上演をやる企画だったんだけど、そうなると会場は小規模だから入れられるお客さんが少なくて、でも東京都から出てる税金でやってるから成果はちゃんとある程度の数の人に届くようにしてほしいって言われていました。じゃあ後から役に立つようなドキュメントを残すから、イベント自体は小規模にやらせてくれってことで、あの冊子を書いたんです。イベント当日の瞬間的な集客を増やすよりも、記録集を作ることで、時間軸で後ろに向けて、プロセスを開くことを考えました。



──最後に、大学生やこれから舞台芸術を志す人へメッセージをお願いします。


今はやっぱり作り方自体が変わろうとしている時期だと思っています。コロナ以前からその流れはあったんだけど、今までのやり方が通用しなくなっていて、手探りの時代に突入しています。これは大変なんだけどいいことでもあって、今までの過重労働やハラスメントなどの見過ごされていた問題が、いやダメでしょうと言えるように明らかに変わってきています。


では、それをどうやってやめるのか、そうじゃないやり方をどういうふうに見つけていくのか、試行錯誤が起こっています。そういう意味では混迷期なんだけど、僕は希望だと思っています。良い方向に変わるチャンスだと思っているし、やり方がわかっていないからこそ試す余地が良い意味でたくさんある。失敗もすると思うけど、試すことに意味があるし、作り方を試す権利があります。


今までの、よくないやり方をそのまま倣うことが正しいことでは全然ないって状況だから、これからに向けて自覚的になれば、すごくいろんなことができる。逆に言うと、今までを疑わずに再生産してしまうとよくないから、分かれ道です。そこをぜひ面白がって、どんどん試してもらえるといいなと思っています。


 

(筆者撮影。左から藤田、長島さん、瀧口、大谷、張)



瀧口:私自身長く演劇に携わっているので、現場の課題について思うところもあり、長島さんにお話を伺えて光栄でした。これから将来どのように演劇に携わっていくかを考えたとき、それまで普通とされてきた環境に疑問を持って臨むことが重要なのではないかという視座を改めて得ることができました。ドラマトゥルギーの役割やその重要性も強く感じ、学生であるうちにもっと幅広く学び、かつ現場をたくさん経験しようと決めました。大切なきっかけを頂戴し、本当にありがとうございました。

 

大谷:今回、日本におけるドラマトゥルクの草分け的存在である長島さんにインタビューをさせていただけたこと、非常に嬉しく思います。一口に「ドラマトゥルク」といっても個々人で専門分野が異なること、また多様な切り口から演劇やその他芸能に関わるお仕事であることを知り、その幅広さへ驚きと可能性を感じました。さらに、演劇業界の課題や日本でのドラマトゥルクの展望についてお聞かせいただき、今後の日本の演劇の変化に目を向けようと思いました。お忙しい中、大変貴重なお話をありがとうございました。

 

藤田:暑い中お時間を割いてくださり貴重なお話をお聞かせいただいたこと、大変嬉しく思います。私は今回初めてドラマトゥルクというお仕事を知り、本や資料で学びましたが、直接お話を伺うことで理解できることが多くありました。特に育成に関するお話が印象に残っています。お話を伺うまでは何か方法論があるのだと思っていましたが、基本パターンを共通知識として習得した上で現場経験を重ねることで初めて「引いた視点」を得ることができるのだと分かりました。私はダンスを習っているのですが、そこでも基本パターンの習得と実践の両方が大切だと感じています。今後は演劇を鑑賞する際に、作り手や作り方にも注目したいと思います。長島さん、貴重な機会をくださりありがとうございます。

 

張:今回は立教の先輩である長島さんの話を伺うことができてとても嬉しかったです。取材の中で、私は特に団体制作のプロセスと、外国語にまつわる植民地的な状況のお話が印象に残りました。長島さんのおっしゃるとおり、舞台芸術には一定の集団創作が宿命付けられています。そこで私が考えたのは、他者と関わることが舞台芸術の本質にある以上、それは他者と共に生きるための知恵や仕組みの宝庫であるに違いないということです。私は今後大学院でインターカルチュラル・パフォーマンスを研究する予定ですが、このインタビューを通じて言語文化と現場の観点から新たな研究視座を獲得することができました。立教の後輩として、この経験を活かして頑張っていきたいと思います。東京芸術祭の忙しい期間中にもかかわらず、2時間強もの貴重なお話をしていただいて本当にありがとうございました。


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