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ヒップホップの音楽性と楽器の変容

  • 執筆者の写真: ゼミ 横山
    ゼミ 横山
  • 2022年5月31日
  • 読了時間: 8分

なぜMPCはヒップホップに求められたのか


吉原琢朗



この記事では、私が卒論でおこなった研究を紹介します。


研究の概要


今日では、ヒップホップという音楽ジャンルを構成するインストゥルメンタルの制作において、AKAI PROFESSIONAL社のMPCという機材が多く使用されています。私はヒップホップの誕生から、MPCが台頭するまでの歴史と、その音楽性の変容について検討し、MPCの登場の必然性を論じました。


ヒップホップにはMPC以外にも、ターンテーブルやドラムマシン、サンプラーなど、様々な機材を「楽器」として扱ってきましたが、その中でもなぜMPCが現代にいたるまで愛され続けるのかを解明することが本論文の目的になります。従来の研究では、MPC単体の特徴について述べたものや、ヒップホップの歴史の研究は多く存在しましたが、他と比較し「なぜMPCなのか?」については言語化されていない部分がありました。本論文では、この問題に焦点を当てることで、MPCの歴史的意義を明瞭にすることができたと思います。


研究にあたって、ヒップホップの歴史に関する文献、黎明期を代表するアーティストへのインタビュー、楽器そのものの先行研究などを検討しました。その結果、MPCはヒップホップが生まれてから登場するまでの歴史と深く関わりがあることがわかりました。MPCは偶発的な発見によった思い付きの楽器ではなく、歴史と密な関わりがあり、ユーザーの希望から誕生した必然的な楽器だったのです。



論文の紹介


以下では研究の一端を紹介するために、第3章の内容を要約して紹介します。ここでは1990年代のサウンドを象徴する「ブーンバップ」というサブジャンルを支えたMPCについて論じています。


MPCの誕生


日本の企業である赤井電機の電子音楽部門であるAKAI PROFESSIONALでは、1984年から電子サックスやサンプラーをはじめとしたさまざまな電子楽器を生み出してきました。

AKAIのMPCの根幹になったのがAKAI初のサンプラー「S612」です。


大島純によると、1985年に発売されたこの商品は、ループ機能や、録音されたものを再生しながら新たに録音を重ねるオーバー・ダブ機能、録音した音の高音域をカットし、低音域を強調するローパス・フィルターなどの機能も備わっており、更にはサンプリング時間も最大8秒まで録音することができるなど、すでにMPCの根幹となる機能は備わっていました(大島純『MPC IMPACT! テクノロジーから読み解くヒップホップ』 リットーミュージック 2020年)。


そして初代MPCであるMPC60は1987年に発売されました。サンプラーとドラムマシンの機能が併設されたMPC60は、初代サンプラーS612が最大8秒というサンプリング時間だったことに対し、本体内蔵RAMメモリに13.1秒の録音が可能で、更には外付けのメモリを増設すれば倍の26.1秒のサンプリングが可能であり。短いサンプルをチョップしたり新たに組み合わせたりすることで新たなリズムグルーヴを生み出すことを目的としました。


SP1200とAKAI


1987年に発売されたデジタルサンプラーE-mu SP1200は、AKAIのMPCかそれ以上に多くのヒップホッププロデューサーに信頼されていたことが、様々な文献に散見されます。大島によるインタビューで、ピート・ロックは「俺はMP(MPC)を手に入れるまでは、すべてのキャリアを通じてSP1200と結婚していたと言ってもいいだろう」とまで述べていました(大島前掲書)。


SP1200のサンプリングタイムは、AKAIのS950のサンプリングタイムに比べて短いという特徴があります。そのため、多くのヒップホッププロデューサーは、33回転のレコードは45回転の早回しにしてサンプリングし、後にSP1200でピッチを下げ、33回転のピッチに戻すという作業をしていた。その過程を通すことにより、SP1200のサウンドはAKAIと比較するとダーティなサウンドになり、この低音や音質の劣化が愛されていました。


また、一般的に、bit数が低くなればなるほど、アナログ→デジタルへの変換の際に、エイリアスノイズというものが発生します。しかし、フィルターの処理機能によってこれらの雑音は回避されます。AKAIのサンプラーはこの機能に優れていて、より元の音に忠実な音を再現できるのですが、SP1200はこのノイズがかなり発生したといいます。


さまざまな過程を通し音が「汚れてしまう」SP1200と、原音に忠実なサンプリングも可能で、かつフィルタ機能で「汚すこともできる」MPCの両者を比較すると、SPの特徴的なサウンドももちろんいいが、MPCのほうが汎用性に優れ、多くのビートメイカーに愛されていたのではないかと推測しました。


SPとMPCにはソフト面だけでなくハード面にもその違いがあります。AKAIによる初のMPCであるMPC60の外観的な特徴について言及すと、4×4の正方形のパッドが設置されていることがわかります。私は、このMPCのパッドこそが、MPCを今日まで普及させた重要な事項の1つだと考えます。これは、音を入力するラバーパッドであり、キーボードやシンセサイザーでいうところの鍵盤のような役割を果たします。このパッドは、共同制作者であるロジャー・リンが開発したLinnDrum Midistudioから継承されており、今日のMPC最新モデルまで、このパッドは引き継がれています。


対してSP1200を見ると、同じく正方形のパーツにはなっているもののラバーで構成されているMPC60とは、素材も配置も異なり、それらはプラスチック製のボタンで構成されていることがわかります。また、MPCは4×4の正方形にパッドが整列されていますが、SP1200は横一列24に8つのボタンが整列されています。これらの操作性には「叩く」か「押す」かという音楽制作の進捗を大きく左右する違いがあります。


MPC60をはじめとして、MPCシリーズで実際に操作しているアーティストの動画を見ると、共通してパッドの表面を指が跳ねるように「叩いて」演奏していることがわかります。これらのラバーパッドは、ボタンを押し込んで操作するのではなく、叩いて操作するのに向いているのです。私も実際にMPC StudioⅡという機材を所持していますが、それらを操作する感覚は、机などを指で叩いて「コツコツ」と鳴らすような感覚に似ているように感じます。


対してSP1200の動画を見ると、プラスチック製のボタンを押し込み、演奏と共に「カチッ」という音が鳴っていることがわかります。MPCの操作感を机に例えましたが、こちらはパソコンのキーボードが「カタカタ」と音を鳴らす感覚に相似しているように思えます。


この「押す」か「叩く」か、というのには明確な違いがあり、SP1200は押して操作する「マシン」であることに対し、MPC60のようなパッドは「叩いて」音を出す楽器に近い。リンは直感的に作業できる操作性にとことんこだわったとされていましたが、ドラムのように叩けるラバーパッドは、リンの思惑通り作動していると考えられます。さらに、粗雑に叩けるというのもラバーパッドの大きな特徴であり、SP1200のようにプラスチック製のボタンは、その耐久性からドラムのように叩くように押すのには不向きであるのに対し、感覚的に叩けるMPCのパッドは、試行錯誤しながら楽曲制作するのに向いていると感じました。


現在、AKAI社以外のドラムマシン、サンプラーにもこのラバーパッドが採用されているように、このハード面は多くのユーザーに求められていたことがわかります。


MPCの台頭


MPCを愛用したアーティストの中に、J・ディラというアーティストがいます。彼はMPC3000を愛用し、多くのプロデューサーが彼に憧れMPCユーザーとなりました。彼がプロデュースするThe Pharcydeの『Bullshit』(1995)を初めて聴いたクエスト・ラブは、そのキックドラムを「酔っぱらった3歳児がキックドラムを叩いているように聞こえた」とレッドブルミュージックアカデミーのインタビューで答えています。実際に聴いてみると、予想ができないタイミングで響くキックドラムの低音を感じることができ、それは同時に、機材で作られたような機械的で正確な並置である音楽とは隔離しているように感じます。


様々な書籍や文献を見ると、たびたび「MPCの都市伝説」という文言が登場します。これはMPCユーザーがMPCでのビートメイクにおいて、打ち込んだ音をクオンタイズしても、微妙にズレたような独特なノリを感じる、というものです。このズレは心地よく、しばしばAKAIユーザーから好評だったことがわかります。この「都市伝説」について、MPCの創設者の一人であるリンは、アタックマガジンのインタビューでこう言及します。


I merely delay the second 16th note within each 8th note. In other words, I delay all the even-numbered 16th notes within the beat (2, 4, 6, 8, etc.) In my products I describe the swing amount in terms of the ratio of time duration between the first and second 16th notes within each 8th note.
In my drum machines, I wrote the software in such a way that the notes play exactly at the correct timing location. And for the included drum sounds, I insured that the beginnings of the samples were closely trimmed to minimize any delay at the start.

つまり、リンは偶数番目に位置する音を意図的にずらすことで、独特のスウィングを生み出していたのです。このようにリンが携わったドラムマシンやAKAIのサンプラーには、機械的な修正や特徴があり、それらがユーザーに好評だったのではないかと推測できます。ディラのクオンタイズ機能を使わない制作、MPCのズレたように感じるクオンタイズ、対極にある両者ですが、それらは「揺れ」という共通した聴き心地の良さを演出し、どちらをとってもMPCだからこそ成しえる特徴だといえるでしょう。


MPCが今日までヒップホップシーンを台頭し続けているのは、根本的なヒップホップの特性を満たしながらも、そのテクノロジーで、ユーザーそれぞれが「名人」になり得るという特徴があったからなのではないでしょうか。


最後に──卒論に取り組んで


私は、本ゼミに所属し、伝統芸能を含む多くの芸能に触れました。そのなかで、伝統は時代や人によって緩やかに形を変えていくものだという気付きがありました。そういった意味では、ヒップホップはまさに伝統的な文化であるということを本論文を通じ改めて理解することができました。


どの時代を切り取っても、その時代ならではの面白さがありながら、根本的な文化的な部分や在り方というものは変わらない。それがヒップホップ最大の魅力だと感じます。論文では特に楽器に焦点を当て述べてきましたが、この文化で、受け継がれながら変容していくのは楽器だけではありません。グラフィティ、DJ、MC、ブレイクダンス、4大要素のどこをとってもこの特徴は見られます。


絶対に譲れない根幹的な部分をそれぞれが大切にし、それを最大限表現するにはどういった手段が適当なのか、その文化に生きる人々が考え、挑戦するからこそ、文化やテクノロジーは発展し、伝統が形成されていくのだと思います。卒論で自分が好きな事をとことん研究することで、こうした気づきに到達できました。私にとって、とても貴重な時間でした。





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