伝承される女方のわざ
- ゼミ 横山

- 2022年1月3日
- 読了時間: 20分
五代目中村雀右衛門氏インタビュー
取材日:2021年8月23日
加藤綾香・岩崎ゆう・寺門佳湖・福悠香梨

2016年3月歌舞伎座『祇園祭礼信仰記』雪姫
テレビドラマやバラエティ番組を通じて、歌舞伎俳優を身近に感じることが増えたように思います。しかし、歌舞伎の特徴である女方の芸については、劇場に行かないとなかなか触れる機会がないのではないでしょうか。
今回は、立教の大先輩であり、女方俳優として第一線で活躍されている五代目中村雀右衛門さんにオンラインでインタビューを実施しました。女方のわざとは、その伝承のあり方とは、どのようなものなのか。この記事を通して、雀右衛門さんの芸についてのお考えや先代からのわざの継承についてお伝えしたいと思います。
インタビューを実施したのは、2021年8月23日。雀右衛門さんが出演していらっしゃった『八月花形歌舞伎 第一部 加賀見山再岩藤 岩藤怪異篇』を取材グループ全員で観劇し、その後に取材のお時間をいただきました。
なお本記事に掲載されておりますお写真は、雀右衛門さんよりご提供いただいたものとなります。無断でのダウンロード・転載はご遠慮ください。
五代目中村雀右衛門

幅広い役柄を演じ歌舞伎界をけん引する立女方。
人間国宝で名女方だった亡父・四代目中村 雀右衛門の次男。
昭和39年、七代目中村芝雀を襲名。
平成28年、五代目中村雀右衛門を襲名。
日本芸術院賞(2008)、紫綬褒章(2010)、第25回読売演劇大賞・優秀男優賞(2017)、その他多数受賞。
女方のわざ
──本日は、岩藤の霊(市川猿之助)と尾上(中村雀右衛門)のお二人の立廻りのシーンが印象に残りました。女方の立廻りは立役と比べると少ないように思えるのですが、立役の立廻りと何か違いがあるのでしょうか?
歌舞伎には基本的に時代物と世話物2つの立廻りがあります。時代物は音に合わせて形を見せるもので、世話物は音は入るけどよりリアルな殺陣となり、ツケ(注)が多くなります。女方はあまり立廻りをしないのですが、するとしたら短刀を使うのが女方の立廻りの特徴です。
(注)ツケ…舞台上手(かみて)に置かれた、「ツケ板」とよばれる板に四角柱の木を打ちつけて出される効果音。俳優の演技に合わせて打たれ、動作や物音を強調する効果がある。
──女方は男の体で女になるわけですが、同じ「男の体」といっても、師匠とご自身と後継者の方で、それぞれ体格や体型など固有の肉体性の違いがあると思います。このような違いは、わざを習得するうえでどのような影響を与えるでしょうか。
歌舞伎の女方はいろんな修行の入り方があります。動きの基本は日本舞踊です。日本舞踊を稽古していくうちに、次第に体に身についてくるのです。そして舞台の上に立って実際に衣装を着たとき、体の動きを舞台正面や舞台袖から見ることによってだんだんと自分のものにしていきます。基本的には先輩の動き方を見て同じ動き方をする。おっしゃるように体型や身長は人それぞれですから、師匠と同じことをしているつもりでも、見る側からすれば違った動き方をしているように見えるかもしれませんね。なので、動作の方法は教えますけど、それぞれによって違っていくのです。
──雀右衛門さんご自身はどうでしたか?
私は父が歌舞伎役者でしたから、師匠=父でした。舞台は大勢の役者が出ていますよね。大勢で作るものだから舞台上での振る舞い方は実際に公演があるときでないと教えてもらうことは難しかったです。けど、日本舞踊は一人で踊れるものだから、公演がないときでも教えてもらえました。そのときに六世藤間勘十郎先生や三世藤間勘祖先生から体の動かし方や足の動かし方を一つ一つ、少しずつ教えてもらいました。
──時事ドットコムのインタビューで「男が女を演じることには無理がある。無理を克服していくには、体の使い方や殺し方を身に付け、所作をよりきれいにしなくてはいけない」とおっしゃっていましたが、 体の動きを殺すということについて詳しくお聞かせ下さい。
男性なので肩幅が広かったり、足の動きも大股であったりがに股であったりします。役柄を表現するときに、たとえば肘をぐっと張るようなことをすれば男らしく見えますが、逆に肘をなるべく張らないでくっつけるようにすれば、その分優しく見えます。また背の高い人が女方をするときはより一層足をかけて、腰を入れて。腰を入れてというのは日本舞踊でもよく言われるんですけど、そういったことをしながら膝を曲げるとか肘をつけるとか。
よく親が言っていたのは、胸を横に無限大を書くように動かす、そうすることによって動きが柔らかく見える。そういったことは、日本舞踊の踊りの稽古をしているとよく言われることです。その中で殺す。たとえば座るときでも、座高が大きい人だったらなるべくお尻をつけて低くする、とういうようなことですね。
ですのでその分、制約がより大きくなるから、動きを滑らかに見せるのは練習するしかないですよね。無理なところから無理なところに繋がる間の部分を綺麗に動かすということになります。たとえば手を合わせるとか、ちょっと手の形を柔らかくするとかっていうのも殺すことのひとつかもしれないですよね。
──形を柔らかくするというのは、具体的にはどのようにするのでしょうか?
正面を向いて立つときでも、やや上向きにして20度なり30度なり体をねじります。歌舞伎のお芝居は基本的によっぽど強調するときは正面を向いてますけれど、そうじゃないときは大概体をちょっとどっちかにねじってますよね。そういうふうにすることによって、その形のよさを見せたりするし、手もなるべくパーにしないでくっつけておく。自分を指すときでもなるべく上の方でやれば若く見えるし、下の方で指を指すと割と老けた人になるとか。このような動きの変化などで、上手に綺麗に途中をまとめていくということですね。

2017年3月歌舞伎座『助六由縁江戸桜』 三浦屋揚巻
役作り
──雀右衛門さんは立役としても活躍なさっています。女方を演じるときと役作りの面で相違点はあるのでしょうか?
基本的には女方をメインにしているのでね、立役といっても若いうちは多少いろいろな強いお役とか、やくざの子分みたいなのもやったことはありますけれども、基本的には、たとえば『勧進帳』でいえば義経のような、どちらかといえば白く塗って綺麗な優しい男の人をやりますよね。 ですから男ではあっても、そんなに荒々しいことはやりません。男の役をやるからといって、男らしく強くするっていうことではなく、普通に役作りとしてつとめていますから、男です女ですっていう意識はないです。それぞれの役柄とか役自体を演じるっていうことですね。
──その役柄を考えるにあたって、雀右衛門さん自身が先輩から教わったものに自分なりの解釈や味を付け加えたりすることはあるのでしょうか。
何回かやっていくうちにね。同じ役をやらせていただくときも、毎回同じようにはできないですよね。だからもう一度稽古しなおすような形でやっていくので、たとえば3回やったら3回違うということはあると思います。ただ、教えてもらった役柄の範疇とかバックグラウンドからは、あまり出過ぎないようにはしています。
『熊谷陣屋』という作品中の相模という役があるんですね。熊谷の奥さんの役なんですけど。お芝居の内容としては、自分の子どもが身代わりで死んでいるという役なんですけれども、父が言っていたのは、今まで何十回もやっていたのに70を超えてやっと熊谷夫婦の感情が分かるようになってきたと。そのくらい、だんだんそれぞれの人生であったり親子というものであったりを経験していくうちに、いろんなものが体に身についてくるということなんじゃないでしょうかね。
歌舞伎のお芝居っていうのは、だから、お客さんの方もやはりお年を重ねて下さった方の方が理解がしやすいということがあります。年を重ねていくと、今まで自分が経験した嬉しいこと悲しいこと寂しいこと、いろんな喜怒哀楽をお芝居の中に見出して、共感して楽しむということが増えてくる。 つまり見ていて「あーそうだったのか」っていうようなことが増えてくる。ですから、お年を召して見ていただくと分かっていただきやすいというのが、歌舞伎のお芝居だなと思いますね。
──人生経験が役に繋がっていくということがあるのですね。
そういうことはありますね。ただ何でも経験すればいいということでもないですけどね。芸の肥やしになる人もいればならない人もいるんでね。
──女方の感情表現の方法についてもお聞かせいただけますか?
男の役でも女の役でも、人間の根本的な喜怒哀楽に合わせて表現の形が決まっていくわけです。ただ反応のしかたが、女方だったら多少こうだろうなとか、そういうようなことがあるから、それに合わせて役作りはしていくんですけれども、極端に変わるってことはないです。基本的には、人間としての喜怒哀楽であったり、女方だったら色っぽさであったりっていうことを表現するようなことが多いですよね。
──歌舞伎について調べていくうちに「肚芸」という言葉を知りました。雀右衛門さんは肚芸についてどのように考えていらっしゃいますか。
役の「性根」という言葉があります。役の性根というのは、役柄の背景などから出てくることです。それを身につけ、諸先輩から教えてもらった動きもしっかり自分のものになると、その芸が手に入ったということになります。そうなったときに初めて、この人は何者でどんな条件のもとに今いるのかを、動かなくても外に表現して、伝えることができるようになってくる。それが肚芸です。それなりに熟練した歌舞伎役者は、出てきただけでその役柄になっている、らしく見える、ということになります。
──肚があるという状態になるまでには個人差があると思うのですが、「肚」というのは師弟間で伝承可能なものなのでしょうか。
何回も何回もなぞっていくうちに身についてくるものだと思います。ただし、よく先輩が言っていたのは、芸は坂道を上るようにうまくなるんじゃなくて、階段を上るような形でうまくなっていくんだと。そういうふうに表現されてました。大きいお役をやることになって、それで鍛錬してたものが身について、ぱっと表現できるようになったり、襲名の際に自分の中の気持ちの変化によって今までやってきたことが外に顕在化したりする。だから、肚芸というのは、こうやるんだと教えて伝わるといったものではないけれども、伝承は可能だと思います。
お稽古
──歌舞伎は、新しいものを取り入れながら発展していったと思います。稽古においては、ビデオの利用などの新たな試みや変化などはありましたでしょうか。
昔は、嫌でも見て覚えるしかないからずっと芝居を見て覚えていました。今は、ある程度まではビデオを見ることによって覚えることはできます。ただ、基本的にはお役をやったことがある先輩に直接習います。このときの登場人物の思いなどがビデオを見てわかるようになるには、それなりの経験がないといけないし、ビデオでは映っていないところもあります。お手本にしたビデオの映像が全て正しいわけでもないということもある。だから、ビデオをもとにあら稽古をして、自分の中に形や動きや流れをある程度取り入れてから、直接ちゃんとお稽古をしてもらうことが大切だと思います。
──ビデオのメリット・デメリットについてもう少しお聞かせいただけますか?
たとえば踊りのお稽古でも、手先から足の動かし方から何から何まで、一度じゃ覚えられないので、何回も何回も繰り返して見るということになりますね。そういった意味ではありがたい時代です。 昔は、踊りのお稽古というのはビデオがないからその場で覚えるしかなかったわけです。ですが、 その代わりその場で身にはつきますよね。必死だから。それから、ビデオで形や動きはわかるけれども、役をやった方に話を聞かないと性根まではわからない。同じ下を向くのでも、悔しいのか情けないのかわからないでしょう?このときはこういう思いでこういう風にしているというお話を聞くと、 実際に演じるときにそれが出て、お客様に伝わる。それが、一番最初にお話しした「肚」の部分になりますね。
──お稽古の際の距離感についてお尋ねします。お稽古のときは、実際に師弟間で直接触って手の高さや角度を直したりされますか。あるいは「ここだよ」などと口頭で指示されますか?
それはお師匠さんによりけりです。教える人に対してどこまで熱心かによっても違いますね。自分が子供のときは、親から、ぎゅっと手を握られたり、だめだなと肩を叩かれたりしました。昔のお稽古だとお扇子が飛んでくるようなこともありましたからね。プロになるような人には、そういう風にするだろうし、そうじゃない人には、優しく教えますよね。なんとかしようと思ったから、距離感が近かったのかもしれませんね。
──ご自身が教える際はいかがですか?
いろんな方がいるから、いろんな方に合わせて。僕の場合はどっちかというと優しすぎるのかもしれない。優しすぎるということは、無責任なのかなという気はしないでもないですけどね。でも、どちらかというと優しいと思いますよ。
──私はダンスを習っているのですが、練習の際に鏡を見過ぎないように注意されることがあります。 歌舞伎のお稽古では、鏡はどう扱われますか?
鏡は使いますよ。鏡の前で、自分がどうなっているか、自分が教えてもらったところが再現できているか、確認する。何回も何回も再現できれば、鏡を見なくてもその動きについての形は決まりますから、そこで初めて魂を入れればいいわけです。魂を入れるのも、一回でできるわけじゃないから何度もやります。そういった意味では、鏡の前で動きをなぞるのも、その後で魂を入れていくのも、 繰り返し稽古をしていく中のひとつの段階ということじゃないですかね。
──松竹の寺子屋(注)に所属して子役から歌舞伎役者を目指す場合と、養成所出身の場合ではわざの習得方法にどのような違いがありますか。
(注)寺子屋…歌舞伎座内の稽古場でおこなわれるこども歌舞伎スクール。和装での所作、礼儀作法、日本舞踊、子役の演技などを学ぶ。
寺子屋に入るにしても入らないにしても、中学を卒業したら国立劇場の伝統歌舞伎保存会の養成所に入ることができます。養成所は2〜3年間学校のようにお稽古だけをする場所なので、 歌舞伎が好きであることがとても大切です。多少の苦労もクリアできるじゃないですか。いやいやるのは大変ですからね。
寺子屋はそこまで集中的に学ぶわけではありません。全部が全部役者になるために教育してるわけじゃないのでね。でも、小さい頃から歌舞伎をしていることで身につくことはある思います。年を取っても昔のことはけっこう憶えているものなんですが、間の取り方やリズムについて、「あ、こういうことかな」とわざわざ教えたり教わったりしなくても、感覚的にわかってくるのです。そういう点で、小さいうちから経験しておくことはいいことだと思います。

2018年10月大阪松竹座『神明恵和合取組』女房お仲
先代のこと
──雀右衛門さんのインタビューをいくつか拝見したのですが、しばしば先代の教えに言及していらっしゃいますね。
先代とは親子だから、日常生活を送っているわけで、いろいろありますよ。うちの親が晩年に言っていたのは、「楽しくなくちゃだめだよ。好きで好きで楽しくなくちゃだめだ」ってことですね。本当に、物事をやるということにおいて、好きであって、やっていて楽しいということはすごく重要なことだと思いますね。私の親は、「日曜日は休むためにあるわけじゃない。翌日仕事を円滑にするために休養するのが日曜日だ」という言い方をしていたんですね。そのときは、あぁなるほど、偉いもんだなぁ、四六時中それしか考えていないのかなとか思っていたんだけど、亡くなったあとよくよく親のことを考えていたら、好きだったんですよ。好きであれば、日曜も土曜も関係ないですから。 ずーっと好きでやっているわけだから、苦労でもなんでもなかったんだろうな、ということを思いましたね。
──襲名の際の取材で、「芸はなぞって、なぞって、ようやく自分のものになる」という先代のお言葉に言及されていたのが印象的でした。
そう、完全コピーですよ。ただ、それぞれの個性があるから、全く同じになることはないですよね。 ただ、やり方とかその役のとや思い、先輩から受け継いだ台詞回しみたいなものも含めてできるだけ同じように体で身につけて、なぞってなぞっていくということだと思うんですね。それをなぞっていくうちに、だんだん自分の身についてきて、自然とそれが出てくる。
それから、昔はよく「1回台詞を覚えて忘れろ」と言われていました。忘れても言えるくらいの状況にする。つまりなぞってなぞってということは、そうやっていったん身についたら、どんな条件になったとしても、ちゃんとそれだけの表現ができるようになることじゃないですかね。
──先代は「女方は女の真似をするのではない」「こころやいのちが前に出てはいけない」と述べていらっしゃいますが(注)、 現実の女性をどの程度表現するのかについてお伺いします。
(注)四代目中村雀右衛門『女形無限』(白水社、1998年)94ページ。
女方っていうのは、役柄の一つなんですね。だからあんまり生々しくなりすぎちゃうと、歌舞伎のいろいろな型なりなんなりの美しさっていうものが削がれちゃって、たとえば極論ですよ、ショーとしてやってらっしゃる方々の魅せ方と同じになってしまうと思うんです。女性の色気を極端に強調するみたいな。それが生々しいっていうことになるのかと思います。そうじゃないところで、女方の様式の美しさがあるわけです。
──現実の女性を参考にすることはないということでしょうか。
身近な女性の気持ちのあり方とか、このお役はこうですよっていうこともあわせて、本来は身近にそういうものがあったらいいんだけどね。演じているのは江戸時代の話ですからね。そのときの女性の心情と、今の女性の心情は当然乖離しているだろうとは思うんです。ただね、今の女性でも、たとえば肩をポンポンと叩かれたときの、一瞬の反応、あ、どうしたんですかってニッコリ笑って返事をするとしても、気に入った相手とそうじゃない相手の違いっていうのはあるじゃないですか。当たり前のことなんですけど、そういう表現とか反応のしかたは、見ていて勉強になることはありますよね。
──もう一つ、先代は「型をなぞるだけでは芸にはならず、『練り』が必要である」と話されていますが(注)、 「練り」についてはどのように受け取っていらっしゃいますか。
(注)四代目中村雀右衛門『女形無限』(白水社、1998年)184ページ。
なぞってなぞってっていうときに、自分の中で染みこんでいくということが練り込むということですよね。役柄なりなんなりをね。練り込んでいって自分の手に入れると、初めて表現していてお客様に通じるようになる。仏作って魂入れずじゃないけれど、仏を細かく作っていても最後には魂が入るような部分がなくてはいけないから、それは練り込んでいくうちに次第に魂が入っていくことになるんじゃないでしょうか。繰り返しそのお役をやって、お稽古を自分なりに続けていく。自分の場合もそうやって何回も何回もやっていくうちに、次第にこの役はこういうことなんだなって見えてきます。
役柄を作る・入るということについて、昔よく母から聞いたことだけれども、名人と言われた六代目尾上菊五郎さんは、楽屋で支度が終わってから舞台の袖でお弟子さんたちと普通にお話した後でパッと舞台に出ると、その役に入っていた。一方では、初代の中村吉右衛門さんは、心の重いお芝居だと、楽屋に入ってくるときからその状態になっていたというようなこともあります。
──役の心持ちをどう入れていくかは、俳優によってそれぞれということですね。
そうですね。ただ、気持ちを深く持つというところは一緒ですね。歌舞伎のお芝居っていうのは、まあどのお芝居もそうなんだけど、物語を筋立てて見るっていう楽しみもあるけれども、そのときの喜怒哀楽を見るというのが大事。それぞれの「あってはならないこと」、たとえば『寺子屋』っていうお芝居だったら身代わりに自分の子供を差し出すとか、そういうことは江戸時代だってそうそうあるわけじゃないんですよ。でも、それがお芝居になるからには、それくらい切羽詰まったときの人の喜怒哀楽を感じとってもらう、見てもらう、それで江戸時代の人のことであっても、今までの自分の経験値と照らし合わせながら、人間にはこんなことあるよねって共感してもらう。そういうことが、歌舞伎の中核にあると思うんですよね。
それで、そういう人間の心のありようとかを、舞台上でどういうふうに見せるのか。見得だったり、ツケという音が入ったり、女方で言えば、クドキ──音に合わせた踊りなんだけれども──そうやって心情を表現してみたり。そういった見せ方を楽しんでもらうのが、歌舞伎のお芝居だと思うんですよね。
最後に
──振り返って、心から歌舞伎に向き合おうと思ったきっかけはありますか。
6歳で初舞台を踏んだんですが、小学校も通っていたので、学校が終わったら迎えにきてもらってお芝居に連れて行かれる、お稽古に行くというようなことが普通でした。中学くらいになって、なんでするのかな、と単純に思って母親に聞いたところ、「やるからやるのよ」と言われたのね。うちの母親も役者の娘だから、あんまり理屈はなかったんでしょうね。なんでそんなことを疑問に思うのという感じだったと思うんですよ。
今でこそ体型が整っていますけど、僕は小学校の時は本当に丸々と太っていたんですよ。中学高校もそうだったので、これはヤバイなと。で、その頃名古屋の御園座という劇場で『京人形』という芝居をやったんです。今の尾上松緑さんのおじいさんが左甚五郎をやってらっしゃいました(注)。そこで僕が、戸棚から転がってきて助けられて引っ込んでいく井筒姫という役をやったんですよ。体型が体型なので、戸棚から出ていくのも大変でした。そしたら松緑のおじさんが「お前本当に芝居をやりたいんだったら痩せろ。それじゃだめだよ。役柄に限度があるから」って言うので、 ひと月で10キロくらい痩せました。そういった経験から、ああ自分はこの世界でやっていくんだなということを、はっきり自覚しましたね。
(注)『銘作左小刀 京人形』(めいさくひだりこがたな きょうにんぎょう)。1974年10月御園座。左甚五郎役は二代目尾上松緑。
──雀右衛門さんの今後の目標をお聞かせください。
四代目が現役時代に演じてきた役の中で自分がやっていないものはいくつもあります。体型や思いが親と違うところがあるから、親がやらなかった役柄を自分が挑戦できるようになればいいなと思います。特に舞踊ですね。
少し舞踊のことを説明しますと、歌舞伎は世話物・時代物・所作事と三つに分かれていて、所作事がいわゆる歌舞伎舞踊です。舞踊というのは明治以降にできた言葉で、もともとは踊ると舞うは別のことでした。舞うときはかかとを地面から外さないで動くんですけど、神事に近かったのです。ダンスという言葉が西洋から入ってきて、それに対応するように舞踊という言葉ができました。ただ、 私たちが歌舞伎舞踊と言うときには、純粋にダンスだけじゃなくて、お芝居の要素を含んだものを指しています。
歌舞伎舞踊の中で、女方としての代表的な作品に『京鹿子娘道成寺』があります。この白拍子花子を、父はライフワークのように何回も務めていました。たとえば京事(注)のようないろんな形の地歌で、道成寺を表現していたものはいくらでもありました。父が長年やっていたことなので、自分もそんな役ができたらいいなと思います。
(注)京風手事物(きょうふうてごともの)…手事物は、三曲の音楽である地歌、箏曲、胡弓楽において、器楽部である手事を備えた楽曲形式、また曲種のこと。京都ではこれを八重崎検校などが受継ぎ、なかでも京都で作曲された松浦検校や菊岡検校、石川勾当らの三弦手事曲に替手式の箏の手を盛んに作曲したので、「京物」のなかでも特に「京風手事物」とも呼ばれ、地歌と箏曲との区別が明確でなくなっていった。

1999年9月歌舞伎座『京鹿子娘二人道成寺』白拍子花子
(左)四世雀右衛門(右)五代目雀右衛門
編集後記
加藤
事前の調査から先代のお考えを大事にされているということは分かっていたのですが、演技をする上での視点を詳しくお聞きする中で女方への愛情が伝わり、歌舞伎俳優としての誇りを持っていらっしゃるのだと感じました。私も今後、自分の役目に誇りを持てる生き方をしたいと思いました。
岩崎
オンライン上ではありましたが、雀右衛門さんにお話をしていただけたことは、非常に貴重な経験でした。先代からの教えを大事にし、歌舞伎役者として日本の文化を守り後世に繋いでいこうとする想いがインタビューを通して伝わってきました。特に「練り」についてのお話が印象的で、演じる役を本当に大切にしているのだと感じました。ぜひまた舞台を拝見したいと思います。
寺門
女性を演じるということについて、女だからと考えるのではなく役柄として捉えるというお話が最も印象的でした。雀右衛門様の幼少期のお稽古のお話など、当初は聞くことができないと思っていたところまでお話ししてくださり、非常に楽しい時間を過ごすことができました。
福
今回のインタビューを通して、美しい歌舞伎のひとつひとつの動きには並々ならぬ思いと鍛錬が詰まっていることを知りました。私たちが芸を見て何かを感じるのは、表現者がたくさんの時間と努力を重ねた結果生まれる瞬間だと実感しました。コロナ禍で人と人が向き合う機会は減ってきてしまっています。ですが、人と人が対話して芸を継承しお客様に届けていく循環はなくしてはならない価値あるものだと、多くの人に伝えていきたいと思いました。



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