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  • 執筆者の写真ゼミ 横山

変化する時代と箏曲の伝承

更新日:4月26日

山田流萩岡松韻氏 インタビュー


平塚風里、大谷心路、倉本彩花、水野姫花、伊藤七帆


みなさんは箏曲に触れたことがありますか。流派や種類が多岐にわたっていることをご存知の方はあまり多くはないかもしれません。

 

今回は山田流箏曲協会の会長をつとめていらっしゃる萩岡松韻さんに取材をさせて頂きました。流派の独自性をふまえながら、箏曲の豊かな伝統がどのように新たな世代に受け継がれているのかについてもお話を伺いました。

 

萩岡松韻氏プロフィール


(ご本人提供)


1980年、四代萩岡松韻を継承し、山田流箏曲萩岡派宗家となる。1990年、山田流箏曲歌本『撫箏唱歌集成』(全227曲)を創刊。1992年、NHKサービスセンターより山田流歌曲独吟集『歌傳抄』(全80曲)を発売。2002年第23回松尾芸能賞邦楽新人賞、「第一回萩岡松韻りさいたる」にて文化庁芸術祭優秀賞受賞。2005年、第55回芸術選奨文部科学大臣新人賞、2009年伝統文化ポーラ優秀賞、2014年第3回中島勝祐創作賞、2022年日本芸術院賞(令和 3 年度)、2023年紫綬褒章受章。ロンドン、韓国、ベルリン、コペンハーゲン等多数。萩岡會会長。東京藝術大学教授。山田流箏曲協会会長。(公社)日本三曲協会副会長。現代邦楽作曲家連盟副会長。2024年3月東京藝術大学教授退任。


流儀について


──はじめに箏曲の流儀についてお聞かせください。

 

もっと古い流儀がありますけれども、現在は生田流、山田流の二派が主な流派です。基本的に生田流というのは、関西及び九州の方面で仕上がったものですが明治以降、都が東京に移りましたから、そちらの名人も東京に移り住むようになり、今は関東でも生田流の方がいらっしゃいます。一方で、山田流というのは、山田斗養一検校が江戸の中期に、江戸で始めた箏曲です。

 

──具体的にはどのような違いがあるのでしょうか。

 

見た目では、爪の形が生田流では四角く、山田流では丸爪です。そのように部品が違いますから、座り方が生田では斜めに、山田では楽器に対して平行に座ります。それから、楽器の長さです。もともと生田流では200㎝の長さのものを使っていました。ですが、東京に移ってくると同時に、寸法も山田流の一間、つまり180㎝に変わってきました。

 

あとは、発祥が生田流は関西及び九州ですから、歌うための発音というのでしょうか、イントネーションや口の開け方にも影響がみられます。九州方面から来た先生方は九州弁、それから、京都、大阪、名古屋の先生方は、関西弁の発音がベースといった風にです。一方、山田流は東京・江戸でできましたから、「標準語」ということではなくて、江戸弁と言えるでしょうか、江戸なまりを基本に置いているのが私たちの流儀だと思います。

 

ただし、もう今ですね、関西、九州と言っても、そこの人たちのお孫さんだったり曽孫さんたちの時代になっています。みんな東京で生まれて、東京の学校に通っている。ですから、逆に関西弁が喋れなかったり、九州弁でもない人がほとんどです。ただ、元々はそういう日本地図で見られる配置の、各地域の特徴が色濃くありました。


(ご本人提供)

 

──初期にはどのような方が箏曲に携わっていたのでしょうか。

 

昔、生田流は、公家の方たちのお弟子さん、それから関西の商人たちが中心でした。 山田流では逆に、参勤交代で江戸に出てきた藩がありますよね。伊達、前田とか、そういった殿様方の奥方が始めた場合が多いので、東京よりも、東北の方に多いということになります。


邦楽について


──「そうきょく」にはいくつかの漢字が用いられますが、その違いは何でしょうか。

 

よく間違えるのは、あの、竹冠を書いて争うって書く「筝」ですね。辞書で引いても出てくるんですよ。でも、そうではなく、竹冠に「爪」と書くのが正しいと言えます。

 

その昔は「こと」と言うと、木琴の琴の字を用いて「そうきょく」と呼ぶ場合もあったようですけども。昭和になってからでしょうか、学者の方々が区別するために、「琴」というのはアジア、つまりシルクロードの方から渡ってきたお琴、弦楽器のことを指そうじゃないかと。それに対して、日本の「こと」は先ほど言った「箏」という字を使おうということになりました。

 

──「三曲」という言葉がありますが、具体的に何を指すのでしょうか。

 

基本的には、1、箏、2、三味線(三弦)、それから3、胡弓、擦弦楽器というのでしょうか、洋楽器でいうバイオリンのような、弓で弦をこすって、弾くもの。これらを指しました。

 

ですが胡弓奏者は、箏の奏者が兼任していましたから、なかなかそれを弾く方たちが少なくなってきて、だんだん、それが三味線へと変わっていきました。

 

また、時代的に幕府がなくなって、それまでは、尺八の方たちは、虚無僧(こむそう)で行脚をして、門付けをしてお金をいただいたりと。原点は仏教音楽なので、お寺で会ったお公家様に捧げる音楽というか、そういうところから入っています。

 

ですが、明治頃でしょうか、色々仕事もしなくちゃいけない。じゃあ、箏の人たちと合奏しましょうということになっていきました。それまでの尺八は別個なジャンルとしての伝統がありましたが、今では尺八も合わせて三曲と呼んでいます。

 

──気に入っている作品があれば教えてください。

 

山田検校の作品は非常によくできた偉大なものだと思います。彼は、宝生(ほうしょう)流の能楽師といわれる三田了任の子に生まれました。ですが、目が不自由でその当時は見えないまま「舞う」というのは難しい…それで箏の道に進んだと言われています。

 

その中で、生田流を習って、先生を目指して、その道の最高峰である「検校」という位をもらうのは大変なことです。江戸時代だと、検校は大名と匹敵するぐらいの立場になりますからね。非常に努力なさった方だと思います。

 

──視覚にハンデがありながらも、箏を極めた方なんですね。

 

そうなんです。そして作品が 300年経ってもなくなっていない、それは本当に凄いことです。ベートーベンと一緒ですよね。 いくら古い時代でモーツアルトなどの有名な人たちの作品だって、もっとあったはずですよ。でも、きっと、派手ではないものであったり、もう自分が好きじゃないものは、だんだんと自然になくなっていく。そうやって削られてきた。

 

ですから、それで残ったということは、皆が愛したメロディだから。つまり、日本人の感性に触れるものがあったからだと思います。

 

──具体的にどのような作品が多いのでしょうか。

 

山田検校の作品は能楽を踏まえていることがすごく多いです。私はどの曲も好きですが、やはり「四ツ物」でしょうか。四ツ物とは《長恨歌曲》《小督曲》《熊野》《葵の上》の四つの曲のことですが、これらはみんな能から来ているんですよ。

 

長恨歌曲》というと、能では『楊貴妃』という作品がありますけれど、その通り楊貴妃と玄宗皇帝の物語ですね。かなり歌詞が似ています。それから、《小督曲》、《熊野》も同様に能(謡曲)の作品にあるものです。

 

「葵の上」は能では前シテ・後シテとありますが、山田流で扱ってるのはその前シテに当たる部分です。箏曲ですから、おどろおどろしいところはカット。

 

能のなかには、生霊だったり死霊だったり何かが暴れて、そして偉いお坊さんが出てきて、拝んで退散させるとか成仏させるっていうのが一つのスタイルとしてあるじゃないですか。

 

(光源氏の正妻の)葵上に前シテの生霊が憑いてしまうんです。それをなんとか巫女さんが払おうとして…でもだめで。 そして、ちょっと静まったかなっていうところ「枕に立てる破(や)れ車うち乗せ隠れ行かうようち乗せ隠れ行かうよ」までを歌詞としています。その後は、比叡山の横川の小聖というお坊さんがどうにか説き伏せて成仏するという結末です。

 

あとは《殺生石》という曲も同じですね。悪い狐を弓で討って一度死んだと思ったらそれが石に化けた。そして、その石のそばを通る生き物はみんな死んじゃうわけです。 それで、困ってまた偉いお坊さん、玄翁和尚が拝むと石が割れて、中から精霊が出てきて成仏できました。ありがとうございます、という風なお話です。

 

​​──曲の背景を知ると、より箏曲を楽しめると感じられました。

 

そうですね。ですから、私たちはただ上辺だけ音程を口から発して歌っていればいいのではなく、能のことも知っていないといけないと思っています。

 

一方で、その辺の研究は非常に難しい。ただその分、非常に奥深いともいえるし、格調高いという特徴があります。箏曲の一番売りとしている「品格」を大事にしているという点で、最高に良く出来た作品で、研究は死ぬまでやっても無理でしょうというぐらい難しいと思っています。ですから、山田検校の作品が好きですね。

 

(ご本人提供)


曲のアーカイブ化について


──萩岡様はこれまで作品をアーカイブに残すことを重視してこられたとのことですが、アーカイブに残すことと、口頭伝承で後世に伝えていくことの違いを教えてください。

 

その違いをつくづく感じたのは、先程申し上げた江戸中期に活躍した箏曲音楽家の山田検校の作品についてです。彼は盲人であり、当時お弟子さんも盲人が多く、各々の記憶の中にあったことや、手書きであったために貴重な歌本も随分なくなってしまったとも言われています。

 

このようなことを考えると、楽譜も曲も、アーカイブに残すことの意義を感じます。ちなみに、現在残っている歌本もありますが、それは関西のお寺の周りの古本屋などにあります。それは第二次世界大戦の際に被害を受けなかったためです。

 

アーカイブに残すこと以外の手法として、公開演奏会を開催することもしています。稀な曲「稀曲」を1曲演奏して誰もが聞いてもらえる環境を作っています。

 

口頭伝承について、その魅力はそれぞれのレベルに沿った指導ができることです。特に注意して指導していることは「歌い方」です。首から上を使って歌う方が多いですが、身体全体使って歌う歌い方が正しいです。

 

特に、足の筋肉とお腹の筋肉。足の筋肉について、座って正座をしているので足の甲の方の足袋が擦れます。それだけ足の筋肉を使っているということです。腹筋も非常に使います。お腹の筋肉について、こんな話があります。私が以前名人の先生のNHKでの録音を見学した時、帯を解いて歌っていらっしゃいました。歌う時にお腹に力が入るあまり衣擦れが起こって、それがぎゅっ、ぎゅっと録音されてしまうんです。

 

学生を指導する際にも「お腹は使っていますか」と聞くことを意識しています。身体に染み込むまでが大変です。大きな声ではなくて全身を使って声を出すことで、舞台でも通る声になります。90歳を超えた先生たちでもNHKホールや国立大劇場で声が通るのは喉だけを使って歌っているわけではないからです。

 

また、学生の口の動きも注意深く見ています。どのように口を開けて歌っているかをよく見ています。時間がかかりますが、このようなことを大切にしています。中途半端なクオリティのものを何曲も持つより、一つでもいいから自信作を持たせることを大切にしています。

 

作曲活動について


──作曲活動のきっかけをお聞かせください。

 

そうですね、個人的には、作曲というのは実はあまり重視していないんです。ただ、古典というのは非常に難しい。今の若い人たちにしてみると、「難しくて、なんか長いし、正座しなくちゃいけないし、くたびれてしまうし、ああいうのはおじいさんやおばあさんがやるものだ」と思ってしまうことも多いでしょう。

 

いや、でもそうじゃないと。日本のメロディーっていうのは、非常に感性をくすぐるものがあるんだと伝えたい。なので、そのアプローチとなる曲を作りたいというのがきっかけで始めました。

 

そして、今年(取材時:令和5年度)は藝大で和楽の美という公演がありましたけれども、そこでは『源氏物語』を扱った《白き花》という作品を作りました。これは、『源氏物語』の中の「夕顔の巻」を題材にしたものなのですが、そちらにゲストとして歌舞伎俳優の松本幸四郎丈を迎えて公演しましたね。やっぱり絵とか芝居が音にくっつくとわかりやすいじゃないですか。

 

素の演奏だけだと、歌詞は難しいし、長いし、分かりにくいって思われるかもしれない。それを分かりやすくして、たとえば海外の方が聞いても、「ああ、日本の楽器もいい音がするんだな」と思ってもらえることを目指して作品を作っています。それも、古典を聞いてもらいたいがゆえですね。


(ご本人提供)


伝統の継承について


──現在、お弟子さんはどのくらいとっているのでしょうか。

 

東京芸術大学に週2・3回教えにきて、土日は演奏活動をしているので、ほとんど毎日のように活動があるのですが…。それでもコロナ禍前は、20人ぐらいは教えていました。それとは別に、地方の支部にこちらが出向いて稽古をする講習会もやっていました。

 

ただ、コロナ禍になってからは、お年寄りが来づらくなっちゃったんですよ。コロナのために、リモートで教えたりもしましたが、合奏はできない。こっちと向こうの音がずれてしまうからね。

 

だから、課題を弾いてもらって、こちらが細かく「そこは違う」とか「もう一回弾いてみて」というように指導をつけるようにしました。逆に昔風なのかもしれませんよ。オウム返しというか。こっちのやったレッスンを真似してもらう、返してもらう。

 

そういう意味ではリモートでも問題はないのかもしれないけど。ただ、合奏ができないことはちょっと難しいですね。

 

──稽古は具体的にどのような順番で進めるのでしょうか。また、時間はどのくらいかかるのでしょうか。

 

それはね、位があるんですよ。例えば、目的の絃を探すことから始めたりしますが、人によっては、もうこれだけ弾けるなら、こんなに細かくやらずに次を教えちゃおうとかね。そういうこともやってます。

 

昔はね、毎日お稽古だったんですって。僕が生まれる前の祖父の時代ですけど、楽譜は見ない。さっきのリモートの話じゃないけれども、少しずつ歌って弾いてみせて、それを返していた。楽譜の1ページ行くかどうかぐらいを弾いていき、何十回もかけて繋げて曲にしていくということだったようですよ。

 

──世阿弥の「上手は下手の手本、下手は上手の手本」という言葉を大切にされているとのことですが、お弟子さんや生徒さんに教えられる際にはどのようなことを感じられますか。

 

「上手は下手の手本」は当たり前ですよね。「下手は上手の手本」について、弟子や生徒の成長は自身の反省材料になります。弟子は自分自身の鏡です。悪いところほど真似されてしまいます。「僕は弟子の目にはあのように映っているのかな」とチェックしています。

 

また、日本を代表する箏曲家の中能島欣一先生は「他の生徒・弟子の練習を見学することが大切だ」とおっしゃっていました。自分が指導していただく時間は上手くなろうと夢中になっています。他の生徒の方の練習は、落ち着いて見ることができる。そこで他の生徒さんの技術を学んだり、自分自身の反省をすることができます。

 

──箏曲の先生が実際に生徒さんに触れて感覚を伝える様子を見たことがあります。実際にそのようにされることはあるのでしょうか。

 

初歩の人達にはあることのようですが、僕は初歩はあまり教えないので、その場面には遭遇しません。弾いている手の形をなおしたり、前に押していくようにしなさいと手に触れて指導をしているのは見かけることがあります。

 

──萩岡様は、伝統を若い世代にも引き継ぐことも大切にされていると存じます。現代の若者が伝統に親しむためにはどのようなことが必要だと思いますか?

 

これは、大変難しいことですよ。早く上手くなりたいなら、昔のようなお稽古をしてもらった方が良い。ただ、現代の生活で、昔の僕らが受けた稽古をしたらみんなやめちゃうでしょう。

 

現代の若者に言えることは、吸収することが大切だということです。僕らはそのことを「盗む」といいますけれど。教えてもらったことって、勉強になっていない。すごく嫌な思いしたとか、 恥ずかしかったなとか、すごいうまいな、どうしてああいう風になるのかなって思ったものは、未だに残ってますよ。やっぱり習うっていうのは、教わるのではなくて、吸い取るというか、盗むということなんだと思います。


レッスン風景


今回、インタビュー後に東京藝術大学での実際のレッスンの様子を見学させていただきました。対面した状態で、マンツーマンで学生へ指導をされていました。

 

それぞれの学生のレベルに合わせた楽曲でレッスンを行うそうで、学生の方は弾き方の指導だけでなく、姿勢や声の出し方など細かなアドバイスを受けておられました。

 

貴重なレッスン風景を拝見させていただき、ありがとうございました。


(著者撮影)


編集後記


平塚

箏は伝統ある芸能であり、守り続けていかなくてはならないと思います。しかし、時代が変わる中で、その継承の形も少しづつ変化をしています。萩岡様は、私たちのような若者にも非常に柔らかい雰囲気で接してくださいました。また、現代の若者への伝承や伝統のあり方について試行錯誤をしながら、真摯に向き合っていらっしゃると感じました。萩岡様は、箏という伝統を守るだけではなく、伝統と共に生きていらっしゃる方でした。お忙しい中貴重なお話をいただきありがとうございました。

 

大谷

私にとって、日本らしい音楽といえば「箏」やそれを含む三曲という印象があり、その格式高さから、今回の取材は普段よりも緊張しながらお伺いしました。しかし、取材中は終始穏やかな空気で、箏曲の基礎から、その音色がどのように受け継がれてきたのか、また萩岡様の箏曲に対する思いを聞かせて頂くことができました。「何百年も受け継がれてきた音には訳がある」というお言葉が印象的で、今後はより曲の背景を知りながら、日本の音楽の素晴らしさに触れたいと思いました。ありがとうございました。

 

倉本

古典芸能の中には存続の危機にあるものもあり、その点で後世に残るようにアーカイブ化を行ったり公開演奏会を開いたりされている萩岡様のお話を拝聴することは非常に興味深かったです。箏を指導することに対してのお考えは、学生であり何事も学ぶことが多い私にとってはとても勉強になりました。「技は吸収するもの」という言葉が印象的であり、これからも忘れないようにしようと思います。箏の魅力を、伝承するという視点から改めて知ることができました。お忙しい中貴重な時間をいただき、ありがとうございました。

 

伊藤

アーカイブ化と口頭伝承、そして伝統自体の継承についてのお話を通じて、伝統音楽の重要性とその価値をあらためて感じました。萩岡様は、直接的な継承だけでなく公開演奏会や作曲活動も合わせて伝統音楽を広く普及させ、新しい世代へのアプローチなど新たな観客を魅了することも目指されているとお話しされており、伝統に対する理解が深まりました。現代の若者には伝統音楽自体に触れる機会が多くはありません。しかし一方で、伝統音楽のお稽古方法自体からも老若男女問わず学べる面が本当に多くあると思います。そういった側面も知ることができ、大変勉強になりました。

 

水野

箏曲をはじめ古典芸能の文化継承には、当然ではありますが現代の環境がとても深く関わっていることを再認識しました。継承というと全く同じ形を引き継いでいくようなイメージのものと、それとは別に時代の環境に適応するようなものがあると思います。両者について試行錯誤することは簡単なことではないと思いますが、そのどちらにも注力されている点が印象的でした。社会の様子や考え方の遷移に左右されることも多いはずですが、そのなかでよりたくさんの人コミュニケーションが箏曲、また伝統芸能の周りで生まれていくことが望ましいと感じました。貴重なお時間を頂き誠にありがとうございました。

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