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  • 執筆者の写真ゼミ 横山

宮藤官九郎『ゆとりですがなにか』はなぜヒットしたのか

                                     宮本栞里


はじめに


『ゆとりですがなにか』とは、2016年4月17日から6月19日まで、日本テレビ系日曜ドラマで放送されたテレビドラマである。ゆとり世代である登場人物の家族、恋愛、仕事を描いた、社会派日常ドラマだ。「第89回ザテレビジョン・ドラマアカデミー賞 脚本賞」で1位を獲得。5年の時を経て、2023年10月13日『ゆとりですがなにか インターナショナル』として映画化を果たしている。私自身も、2016年放送当時から繰り返し視聴するほどの、ゆとりファンの一人だ。


ところで、映画化されるドラマは、サスペンス・ミステリー・医療・刑事等のジャンルが明確であるという印象を私は持っている。同様の日本テレビ系で例を出すとするならば、『ラストコップ』『あなたの番です』『金田一少年の事件簿』だ。では、何故明確なジャンルに分類できない『ゆとりですがなにか』が、長年にわたって愛されて映画化に至る作品になっているのか。脚本を務める宮藤官九郎の表現の工夫に秘密が隠されているのではないかと考えた。具体的に、以下の二点を指摘したい。

 

ヒット要因(1)放送当時の時代背景と社会派ドラマの描き方

まず、「ゆとり世代」を批判する側を逆照射するような切り口に宮藤の特徴がある。「ゆとり世代」とは、2002年〜2011年の間に義務教育として「ゆとり教育」を受けた世代のことである。知識量編重型の教育方針を是正し、思考力を鍛える学習に重きを置いた経験重視方の教育方針を持って、学習時間と内容を減らしてゆとりある学校を目指した教育だ。


2016年、そんな義務教育を受けてきたゆとり世代と言われる人々が20代後半となり、社会の核として働き始める。先行世代が決めた制度に従っていただけであるのにも関わらず、先行世代は当事者に「ゆとり世代バッシング」を浴びせる。そんな理不尽に対するゆとり世代の不満を、宮藤官九郎は汲み取った。ゆとり世代を批判する先行世代に向けた、挑戦的な物語だ。


そんな「社会派ドラマ」を取り上げる中で、宮藤官九郎は発生してしまった「事実」を軸として描くのではなく、物語の登場人物一人一人に、考えて、選択、行動させることで物語展開を行っていると考える。例えば、主人公『坂間正和』(役:岡田将生)が後輩『山岸ひろむ』(役:仲野大賀)に理不尽なパワハラで訴えられる場面である。


正和は謹慎期間中、母から就職活動に行かないと嘆く妹『坂間ゆとり』(役:島崎遥香)への説得役を任される。最初は渋々と叱っていた正和の感情は徐々に昂り、「イメージしてねえよこんな社会人生活。でもやるよ兄ちゃんは。得意先まわって頭下げて焼き鳥焼いて年上のバイトにコキ使われて部下に笑われて、意地でも辞めねえよ。今辞めたら何にも得るもんねえから。元取るまで辞めねえよ。」とぶつけ、「ああ、なんかスッキリした。ありがとう」と言い放った。正和は自分の感情を整理したことで前に進み、最終的にエリアマネージャーへの昇格を果たした。


この一連の流れから、正和は『パワハラで訴えられた』という事実からの立ち直りを他をきっかけにするのではなく、自分自身で整理することで解決していることが分かる。シナリオにおいて主人公の葛藤・再起をどれ程リアリティにできるかという点は視聴者の心を動かすためにも重要な鍵となる。その中で、正和による自分一人での葛藤が『結局は人間誰しも一人で生きていかなければならない』というリアリティを映し出しているのではないだろうか。このように、「人間」を軸として描くからこそ共感や親近感を得られる。これも、ヒットを生む要因ではないだろうか。


ヒット要因(2)サブキャラクター

この項では、渡辺和徳氏(※1)が『SPLOT LIGHT-シナリオの書き方講座- 2-5キャラクターを配置する』(※2)で提起している「サブキャラクター」に注目して本作を分析する。渡辺は、サブキャラクターの重要性を指摘したうえで、それが同じコミュニティ内に属している・あるいは同じコミュニティに属していた者同士であるとシナリオが描きやすいと述べている。


(※1)脚本家・演出家、9PROJECT主宰。北区つかこうへい劇団に入団後、つかこうへいに文才を認められ、氏のもとで作・演出を学ぶ。商業演劇を中心に数多くの演劇作品の脚本・演出を手がける。

(※2)渡辺和徳が脚本の書き方・演出のやり方などの他、小学校のための台本、上演料無料で利用できる脚本なども公開しているサイト。


しかし、『ゆとりですがなにか』に出演する主人公3人が所属するのは、営業マン・学校教師・風俗店店長という全く異なるコミュティ。その3人を繋ぐものは、『ゆとり世代』という年齢の括りのみだ。そしてその3人の異なる人物のそれぞれに連なる多彩なサブキャラクターを登場させる点に、宮藤のドラマ作りのもう一つの特徴がある。


渡辺によると、サブキャラクターが存在する条件として、「主人公の心情や行動に影響を与える人物」「サブキャラクターにもバックグラウンドがあり、キャラクターの多様さがある」ことが必須だ。そのため、「必要最低限の人数」で収める必要がある。


しかし本作では、第一話で登場する人数として、適応人数であるとされている4人を超えた20人のサブキャラクターが登場する。そして、そのそれぞれに個性とバックグラウンドが存在し、一人一人が無駄なく主人公の人生選択に貢献している。人物造形において類似したキャラクターが存在しないことは、宮藤官九郎が持つキャラクターの引き出し数の多さを示している。キャラの増加による物語の複雑化、キャラの渋滞も発生しない、それでいて日常ドラマとして完成されているという部分も、キャラクターへのファンが多くつき、愛された理由ではないだろうか。


まとめ

今までは作品全体を「何となく好き」という感想のみでまとめ上げてきたが、作品全体だけでなく台詞や場面一つ一つに着目することで以上二点のヒット要因を提示することができた。シナリオは言うまでもなく奥深い。今後も宮藤官九郎研究において役立て、新たな発見ができるよう動きたい。



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