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日本の音楽における美的感覚

  • 執筆者の写真: ゼミ 横山
    ゼミ 横山
  • 2月4日
  • 読了時間: 5分

―名曲『根曳の松』を聴いて

工藤琴羽

はじめに

突然ですがみなさんは日本の音楽と聞いてどのような曲を思い浮かべますか?雅楽の『越殿楽』やお正月によく流れる『春の海』、『六段の調』は誰もが知る名曲です。意外にも聴き馴染みがある一方で、どこか敷居が高そうだといったイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。私たちは常日頃さまざまなジャンルの音楽を耳にしています。


今回私は、何百年と伝えられ、現代の音楽が発展しているなかでも今もなお愛される地唄箏曲の魅力について、また、日本の音楽における美的感覚について、地唄箏曲の手事物の大曲である『根曳の松』を、実際に生の演奏を聴いてきた経験を通して考えていきます。


演奏会の概要

イベント名:岡村慎太郎 地唄箏曲演奏会

日時:令和6年 11月22日(金) 18:00開場 18:30開演

会場:紀尾井小ホール

曲目:『根曳の松』、『早舟』、『残月』

出演者:岡村慎太郎、藤本昭子、山登松和、青木鈴慕、藤原道山


『根曳の松』について

まず『根曳の松』について簡単に解説します。『根曳の松』は文政年間に松本一翁によって作詞、三ツ橋勾当によって作曲された《手事物》の祝儀曲です。地唄はさまざまな形式で描かれますが、《手事物》とは唄のない器楽部分である《手事》を含む形式の曲であり、そのなかでも『根曳の松』は『松竹梅』、『名所土産』とともに《三役物》という三味線手事の最高の曲とされています。


平安時代から、正月の子の日に小さな松を根ごと引き抜き、それを玄関に飾り若菜を摘むという「子の日の遊び」という行事があります。これは新しい生命を取り込んで無病息災を祈るまじない、呪術の意味があり、小松を引くのは松の霊力にあやかり長寿を得るために行われていました。『根曳の松』は新年の様子を歌い、最後は国の豊かさを寿いだ歌になっています。以下は『根曳の松』の歌詞です。


神風や 伊勢の神楽のまねびして 萩にはあらぬ笛竹の 音も催馬楽に吹き納めばや

難波津のなにはづの 芦原に 昇る朝日のもとに住む 田蓑の鶴の声々を 琴の調べに聞きなして 軒端に通ふ春風も 菜蕗や茗荷のめでたさに 野守が宿の門松は 老ひたるままに若みどり 世も麗らかになりにけり 

そもそも松の徳若に 万才囃す君が代は 蓬が島もよそならず 秋津洲てふ国の豊けさ


《現代語訳》

伊勢の神楽の真似をして、伊勢名物の浜荻ではないが、竹笛の音も催馬楽のように雅に吹き納めたいものだ。難波の港の難波の港の芦原、昇る朝日のもとに住む、田蓑の鶴の声々を、琴の調べに聴きまして、軒端に通う春風も、菜蕗や茗荷が育つめでたさに加え、野の番人の家の門松は、年老いてもそのまま若緑を保ち、新春を迎え、世の中も麗らかになったことだなぁ。そもそも松のように永遠に若く、でも長久の繁栄を祝う我が君の御代は、蓬莱の島もべつのものではなくて秋津島日本という国の豊かさであることよ。


生の『根曳の松』を聴いて

11月22日(金)、「岡村慎太郎 地唄箏曲演奏会」において、箏:山登松和氏、三絃:岡村慎太郎氏、尺八:藤原道山氏によって『根曳の松』が演奏されました。現在の箏曲界を彩る御三方であり、演奏前から楽しみにする観客の声で溢れ、私自身もとても楽しみにしていました。聴き終わってみると、前の席の方は身を乗り出して拍手を送り、合わせているというより自然に合っているという表現の方が正しいように思う素晴らしい演奏でした。


最も印象に残っているのは、「野守が宿の門松は」の後の表現です。これまでの箏曲らしい演奏とは打って変わって、この一か所のみどこか雅楽らしさに気づきました。雅楽らしさというとものすごく曖昧な表現ではありますが、明確な区切りやパターン化がされておらず、音の取り方が雅楽らしく、時の流れがゆっくりになるイメージです。私はこれまで『根曳の松』の演奏を何度か生で聴いてきましたが、このように感じたのは初めてで、心の底から「美しい」と感じました。


雅楽らしさを表現するというのは、古曲を中心に箏曲に取り組んで入れば必ず通る道です。それはとても難しく、しかし、箏曲とは違った美しさを表現できるおもしろい箇所のひとつです。いつの間にか始まり、いつの間にか色が変わり、いつの間にか終わってしまうようで、ただどこかでずっと続いているような音楽は、日本の音楽の美しさの特徴なのです。これを受け、高階秀爾著の『日本人にとって美しさとは何か』(筑摩書房、2015)より、


日本人は、遠い昔から、何が美であるかということよりも、むしろどのような場合に美が生まれるかということにその感性を働かせて来たようである。(165ページ)


日本人にとっての美とは、季節の移り変わりや時間の流れなど、自然の営みと密接に結びついている。(167ページ)


とあることを思い出し、日本の音楽を美しいと感じる要素として、「流れ」というものは非常に重要になってくるのだと気づきました。技術的に上手いはずであるのに、それを感じさせず、その時代の音楽の魅力や曲の魅力が最大限に表現された圧巻のパフォーマンスに、私は日本の音楽の美しさを見出し、感銘を受けました。


最後に

今回は『根曳の松』を通じて日本の音楽における美しさとは何かを考えました。そのなかで、私は日本の音楽の美しさの原点は雅楽にあるのではないかという気づきを得て、箏曲以外のことも積極的に調べてみました。


そこで見えてきたのが「変わりゆくもの」です。そもそも日本に限らず、音楽は「時間の芸術」であり、形として残りにくいものです。日本音楽はとりわけ形として捉えがたいのですが、一方で、そこにあったはずの時間を共有できる音楽でもあるような気がします。こうした魅力をより多くの人に知っていただきたいです。これからも研究を進めるとともに、私自身も邦楽を楽しみたいと思います。


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