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意外と知らない、日本最古のロックフェス

  • 執筆者の写真: ゼミ 横山
    ゼミ 横山
  • 2022年6月30日
  • 読了時間: 4分

更新日:2022年7月13日


寺岬 優


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(朝日新聞2009年5月24日)


はじめに


日本における野外フェスティバルの歴史は、なんと1969年(昭和44年)にまで遡る事をご存知ですか?この年、岐阜県中津川市で日本初の野外音楽フェスティバル「第1回全日本フォークジャンボリー」が開催されました。1969年の第1回から1971年の第3回まで、合計参加人数は少なくとも3万人にのぼるといわれています。


当時の雰囲気を体感する為に、私は第2回の様子を映したドキュメンタリーだからここに来た!─全日本フォークジャンボリーの記録─を鑑賞しました。この記事では個人的ポイントをいくつかご紹介します。まずは、全日本フォークジャンボリー開催の経緯について説明しましょう。


開催の経緯──中津川労音とフォークソング


1950年代半ば、開催地である中津川市に中津川労音という音楽鑑賞団体が誕生します。彼らは「安く、いい音楽を広めること」を目標に掲げ、定期的に例会(コンサートのようなもの)を開催することで会員を集めました。15万人の会員がいた「東京労音」に比べて、700人しかいなかった彼ありませんでした。そこで注目されたのがフォークソングです。


しかし、なぜフォークソングが選ばれたのでしょうか。


当時、フォークソングはアマチュアミュージシャンによるものがほとんどでした。若者の間でブームが起こっていた一方で、社会全体までには普及していなかったのです。従って、フォークシンガーは当時人気のポピュラー音楽の歌手よりも招待しやすい存在にありました。その為、63年に中津川労音によって高石ともやのコンサートが開かれます。結果は大成功であり、地域全体からの支持につながりました。これが全日本フォークジャンボリーのきっかけと言われています。


自由な若者たち


『だからここに来た!』には、参加者へのインタビューが収録されています。個人的に最も印象的だったのは「何しに来た?」という取材者の質問に対し「あたし自身。人間。ヒューマン。女の子。」と答えた女性です。


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だからここに来た!』3分47秒)


この言葉は、自分の好きなように生きる当時の若者の価値観が表れていると考えました。というのも、70年代では学生運動やヒッピー族が若者の中でブームとなりました。これらは共通して「特権へ反抗と意見の主張」という価値観に基づいた文化であるからです。余談ですが、当時の若者たちは話し方がかなり特徴的で、聞き取るのにとても苦労しました...。


等身大で歌うフォークソング


私がここで紹介したいのは、高田渡の『銭がなけりゃ』という曲です。


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高田渡(だからここに来た!』20分54秒)


タイトルから分かるように、この曲は平和や愛など壮大なものを歌っているわけではありません。時代を問わず、学生において「金欠」というテーマは最も共感を生む言葉のひとつであり、若者の心に強く刺さります。しかし、現代の日本ほど生活水準が高くなかった当時、この曲の若者への影響はどれほど大きかったのだろうか…。想像するだけで胸がアツくなりました!


海外からの出演者


全日本フォークジャンボリーという名ですが、出演者はフォークシンガーだけではありませんでした。第2回の開催では、チェコスルク大舞踊合唱団を招いています。これは、フォークだけでなくクラシックや舞踊など、例会によって音楽を様々な切り口で提供してきた中津川労音らしさが表れています。東谷護によると、チェコスルク大舞踊合唱団を招致するために9つの労音からの金銭的協力があったようです。(東谷護,2019)これほどの協力を得られたのは第1回全日本フォークジャンボリーや、高石ともやによるコンサートの成功による功績と考えられます。


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チェコスルク大舞踊合唱団(だからここに来た!』41分34秒)



まとめ


作品を通して、全日本フォークジャンボリーは出演アーティストだけでなく参加者も一緒になって自由を体現するイベントだと感じました。このフェスの自体の歴史は3年。ただの地域イベントにも見えるかもしれません。しかしSNSもなく交通網も整っていない当時でありながら、3万人もの若者を集めたこのイベントは伝説と言っても過言ではありません。


ライブシーンはこの先もしばらく不安定な状況が続くと思われます。今、フェスやライブに行くことは難しいですが、その代わりに過去開催されたロックフェスやライブを調べてみるのはいかがでしょうか。そこから新たな音楽の趣味が見つかるかもしれません。おすすめです!


参考文献

東谷護(編)『復刻資料「中津川労音」──1960年代における地域の文化実践の足跡を辿る』風媒社、2021年。

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1件のコメント


たろ
たろ
2022年6月30日

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