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文献紹介『サウンドアート──音楽の向こう側、耳と目の間』

  • 執筆者の写真: ゼミ 横山
    ゼミ 横山
  • 2024年5月28日
  • 読了時間: 4分

             吉岡初

はじめに


私は卒業論文で音の芸術であるサウンドアートについて研究をしたいと考えている。サウンドアートは1970年代後半に提起された用語であるが、それに伴う共通の合意というべき定義は未だにほとんどない。サウンドアートとは曖昧な用語であるからこそ様々な可能性が潜んでいると考える。私自身、サウンドアートについて完全に理解しているわけではないため、サウンドアートを理解するためにも、アラン・リクトの著作『サウンドアート──音楽の向こう側、耳と目の間』(フィルムアート社、2010年)を紹介してみたい。




音楽家3人によるサウンドアートに対する考え


序文に、音楽家3人によるサウンドアートに対する捉え方が書かれている文章が載っていた。1960年代から、すでにある要素としての音楽を探求し、コンサートホールから離れ、さらには楽器による音楽創造からも離れ、作曲の新しい手法を探究してきたアニア・ロックウッドとマックス・ニューハウス。そして過去25年の間に美術の世界と音楽の世界の境界線に穴を開けたクリスチャン・マークレイ。この3人の音楽家による言葉を紹介する。


アニア・ロックウッド


エレクトロ-アコースティックをリソースに使用した自分の作品を、会場としてはギャラリーや美術館など、音がパフォーマンス(表現内容)としてではなく、単なるメディア(ビィデオとかレーザーと同じ意味での機能的媒体)としてみなされることが多くなっている場所で展示する場合に、私はこの用語を使う。


マックス・ニューハウス


音楽の範疇にはすべての秩序ある(組織された)音が含まれるとして、音楽の定義を拡張した。ジョン・ケージはさらに先まで行って、無音状態までを音楽に含めた。それを本質的に新しい音楽だと断言するまでには至っていない。つまり音楽の定義には手を触れずに、「サウンドアートという別名を付けるしかない。


クリスチャン・マークレイ


音と音楽にこれほど関心が注がれているのは素晴らしいことだ。しかし、アート界の構造全体はまだそれに対応する準備はできていないと思う。音を提示するとなると、音楽の場合とは違うテクノロジーとアーキテクチャーが必要だ。音を共有するための手段はより手軽で簡単になっているから、何を聞くべきか、アートの専門機関に教えてもらう必要はない。自由で勝手気ままで、亀裂があれば通り抜けて、本来行ってはいけないところへも浸透していく。それが音の本性だと思う。


これらの文章から筆者はサウンドアートを以下のように定義している。


① 音環境を設置するが、その基準を決めるのは時間ではなく空間(または音響環境、あるいはその両方)であり、それは視覚芸術作品と同様に展示されるものである。


② 音を生成する機能をもつ視覚的作品のこと。


③ 視覚芸術の作家による音で、もっぱら他のメディアで表現されているその人物の審美的感覚の延長上に位置付けられているもの。


多くのサウンドアート作品は始まったら一直線で終わりまで行く。一連の流れを設定したら、あとは自動的に電気信号が働き部屋に放置しておくだけで機械が動きそれだけで済む。サウンドアートにはこうした非パフォーマンス性という一面がある。

音楽にはほかの時間芸術や物語を軸とした表現様式に似て、聞く者を引っ張っていく流れのようなものがあるが、サウンドアートには音楽のそうした潜在力を拒んでいると筆者は述べる。そのため、時間が限られているようなパフォーマンスではなく、美術館のような場所に展示され、時間の制限はなしに空間を体感してもらうものを筆者は重視している。また、様々なサウンドアート作品をみると、音だけではなく、視覚要素も含まれた作品が多く、視覚と音が組み合わさって初めてサウンドアートが生まれるということがこの定義からも分かる。




最後に


私はこの書籍を読んで、サウンドアートは「音」と「美術」が融合して成り立つ作品であると改めて感じた。筆者は、人は音(環境音や好きな音楽など)を聞く際に、暗闇の中で聞くことは少なく、なにかしら視覚をしていると述べる。この本を読んで、視覚と聴覚は切り離せないものであり、こういった人間の知覚の特徴からサウンドアートが生まれてきたのではないかと感じた。サウンドアートに共通の定義はないため、これから研究を行っていく中で、展示方法であったり、人間にどのような影響を与えているのかであったりと、自分なりに定義を見つけ、作品を絞り、研究を進めていきたいと思った。


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