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文献紹介『大向うの人々 歌舞伎座三階人情ばなし』

  • 執筆者の写真: ゼミ 横山
    ゼミ 横山
  • 5月7日
  • 読了時間: 5分

更新日:6月4日

映像身体学科4年 藤原希


私は卒業論文で、芸能における観客と役者の相互影響の関係性について研究したいと考えています。今回は、山川静夫の『大向うの人々 歌舞伎座三階人情ばなし』(講談社、2009年)を読み、大向こう(おおむこう)という歌舞伎の観客たちがどのように舞台に影響を与えてきたのかを紐解いていきます。



「大向こう」とは


大向こうという単語を初めて聞いたという人も多いのではないでしょうか。大向こうとは芝居小屋で舞台から一番遠い席、歌舞伎を上演する劇場ではたいてい3階後方や一幕見席を指します。その席には歌舞伎の見巧者が集まり、彼らは上演中にしばしば「音羽屋!」など掛け声をかけていました。すると次第に、大向こうが「掛け声をかける歌舞伎の見巧者」を指す言葉へと変化していきました。


本書は大向こうと掛け声の歴史を紹介しています。とはいっても、大向こうや掛け声はあくまで自然発生的なものに近いため、丁寧な記述や史料が残されているわけではありません。大向こうの掛け声の原点は、神楽の舞台で見物客が掛けていた”ほめ詞”や”悪態”といった野次にあるのではないかと山川は考えます。役者の名演技に感激した客が、大向こうという舞台上から一番遠い席でもその感動と感謝を伝えようとする行為が掛け声なのです。1700年代初頭には歌舞伎において掛け声が掛けられていた記述があり、大正時代の初代吉右衛門と六代目尾上菊五郎の時代には、幕が上がる前から掛け声が飛ぶほど活発だったといいます。


山川によると、大向こうには、お約束とも言うべきいくつかの特徴があります。まず、1階席(劇場によっては2階席も)からの声掛けは禁止です。本来の大向こうの意味は劇場から遠い席のことであるからです。実際に私が歌舞伎座で観劇した際にも、掛け声をしていた男性がいましたが、彼が座っていたのは3階後方席でした。続いて、女性は大向こうになることができません。この理由は定かではありません。そして、スカウトされると大向こうの会に所属できます。この会に所属すると顔パスで劇場に自由に出入りできるようになり、他の大向こうや贔屓客を通じて役者と仲良くなれる場合もあります。



大向こうの腕の見せ所


大向こうにとって掛け声は、芝居を盛り上げるいわば「効果音」。だからこそ上手く掛け声がはまると「舞台監督にでもなったような錯覚」に陥ると山川は言います。確かに、3階後方席や一幕見席に座って公演を見ると、舞台全体がよく見えます。そこから自分が効果音の演出を施すことで、舞台全体を把握しながら自分も公演の演出のようなことができる。まさに舞台監督という言葉通りだと感じましたし、そのような錯覚に陥るのも納得しました。


山川は、他にも大向こうの掛け声について以下のように述べています。掛け声を入れるタイミングは、台詞のあいだや見得の時など限られています。また、上手く掛け声を入れるには何度も劇場に通って、所作や出ハケ、役者の気持ち、音楽などを把握したうえで掛け声をする必要性があります。台詞や音楽の「マ」を理解することは大向こうにとって必須条件でしたが、何度か劇場に通えば理解できるというものではありません。読み合わせをしたり勉強会に参加したりと努力を重ねて、認められる大向こうになれたのです。中には、大向こうとしての腕を高めるために日本舞踊や長唄、三味線などを習う強者もいたそうです。

そのような努力を重ね、役者と大向こうの呼吸がぴったり合わせられると、掛け声によってより一層舞台が盛り上がるのです。


しかし、掛け声がすべて舞台に効果的に働くわけではありません。『蘭平物狂』という演目の見せ場で、殺陣師が宙返りして屋根から石燈籠に飛び移るシーンでの出来事です。殺陣師が宙返りしようと息を吸い込んだ瞬間に掛け声がかかり、それに驚いたのかタイミングが狂って宙返りに失敗して大けがを負いました。役者の息を狂わせてしまう掛け声はかえって逆効果になり、演目を台無しにもしうるようです。


私自身の観劇経験に照らしながらこうした記述を読むと、役者と演目を引き立てることも、逆に危険にさらすこともある大向こうの掛け声は、演出の一つといっても過言ではないと再認識しました。だからこそ、単なる観客ではなく演目をしっかり理解すること、大向こうとしての腕を磨くことが重要であり、認められるまで長い道のりであることは致し方ないことでしょう。



役者にも愛された大向こう

山川は大学時代、大向こうをしていた学友たちに誘われたことをきっかけに歌舞伎にハマります。劇場に足繁く通って大向こう席で掛け声を続けていると、スカウトされて大向こう会の会員になりました。十七代目中村勘三郎の声真似をしてテレビに出演したことが本人の耳にも届き、その声真似を活かして実際に、早着替え中の勘三郎の代役として声の出演をしたこともありました。会では様々な大向こうや役者と仲を深めていき、役者との懇親会や旅行に参加することもありました。


役者たちに愛された大向こうもいました。例えば大向こう会「弥生会」の中心人物だった三宅鶴太郎は役者にファンも多く、歌右衛門・幸四郎・勘三郎の三人が三宅氏に還暦のお祝い品としてちゃんちゃんこを送ったほどでした。「声友会」会長の渡辺貞之助が病床に伏したときは、中村屋が舞台の合間に見舞いに駆けつけました。山川とも親交が深かった水谷謙介の訃報を耳にした勘三郎は、電話口でひたすら泣きじゃくったといいます。このように、自分の演技の理解者であり、舞台を引き立ててくれる大向こうは役者にとってもかけがえのない存在でした。



最後に

大向こうが努力を重ねて役者や演目を理解し、役者と息を合わせて掛け声を掛けることで、その演技や演目をより魅力的にするということが分かりました。また、掛け声を効果音という言葉で例えられていたのも印象的でした。


本記事では大向こうという存在を中心に紹介しましたが、本書では多くの歌舞伎役者と大向こう名人たちについて、彼らの人柄が垣間見えるエピソードとともに紹介されています。大向こう会やプライベートを通して人間関係として仲の深まりがある様子を見ると、役者と観客という違う立場だとはいえ、同じ舞台に向き合っているから信頼関係が築け、影響を与えあえるのだと思います。


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