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書籍紹介『アイドル/メディア論講義』

  • 執筆者の写真: ゼミ 横山
    ゼミ 横山
  • 5月11日
  • 読了時間: 7分

小池 なつ海



はじめに


現在、世の中には「アイドル戦国時代」とも呼ばれるほど、多くのアイドルが存在している。卒業論文でアイドルグループのイメージについて考察するにあたり、私はその前提となるアイドル論への理解を深めたいと考えた。そこで本稿では、西兼志『アイドルメディア論講義』を取り上げ、「終わること」と「終わらないこと」、「若さ」、「ハビトゥス」といった視点に注目しながら、アイドルという存在がどのように捉えられているのかを紹介していきたい。

 

アイドルモデルの誕生

 

本書では、1980年代に登場した松田聖子と、同時期に引退した山口百恵が、対照的な二つのアイドルモデルとして比較・検討されている。松田聖子はヒット曲を連発して高い人気を獲得したことで、それまで存在していたアイドルへの偏見を打ち破り、アイドルの社会的地位そのものを引き上げた存在として位置づけられている。一方、山口百恵について本書が注目しているのは、引退記念コンサートに象徴される「終わり」の場面である。マイクをステージに置いて立ち去り、その後一切姿を現さないという振る舞いは、単なる引退ではなく、“伝説”として繰り返し語られていくものとなった。

 

本書では、この二人が伝説的なアイドルモデルとして成立している要因は、「終わり」に対する対照的な態度にあるとしている。「山口百恵はきっぱりと引退し、姿を完全に消してしまうことで〈アイドル〉のモデルとなったのであり、逆に、松田聖子は、さまざまなスキャンダルに見舞われながらもしぶとく活躍し続けることで、同じく〈アイドル〉のモデルなのです。言い換えれば、一方は終わること(山口百恵)、他方は終わらないこと(松田聖子)によって、伝説となり、モデルとなるわけです。しかしそれはまた、「終わること」も「終わらないこと」も、ともに〈アイドル〉を定義する「若さ」を維持するものだからにほかなりません」(pp. 27–28)と述べている。ここから二人のアイドルモデルは対照的でありながらも、両者は「若さを維持する」という点で共通していることが分かる。山口百恵は表舞台から姿を消すことで若い姿のまま記憶に残り続け、松田聖子は活動を継続することで現在進行形の若さを更新し続けているのである。

 

終わることと終わらないことを両立させたアイドルグループ

 

著者はアイドルグループについて、「ふたりが体現している「終わり」に対する異なった態度や矛盾というアイドルのモデルを一挙に解決するものとして現在のアイドルグループは存在しているといえる」(p. 28)と述べていて、さらにこの矛盾を解決させるための方法として「卒業」という制度が存在しているとしている。個人は卒業によってグループを去り、「終わる」存在となる一方で、グループ自体はメンバーの入れ替わりによって存続し、「終わらない」存在として更新され続ける。この構造によって、グループはアイデンティティを保ちながらも変化し続けることができ、その結果として寿命や賞味期限を延ばすことが可能になる。

 

この点は、現代のアイドルグループを考えるうえで非常に重要な視点であるように思われる。なぜなら、アイドルグループは単なる個人の集合ではなく、個々のメンバーの卒業と加入を繰り返しながら継続していくシステムとして成り立っているからである。本書が指摘するように、ここには引退や移籍を含みながらもチームとして存続していくスポーツチームへの愛着と似た構造も見られる。個人を応援する感情と、グループ全体を応援する感情が重なり合うことで、アイドルグループは長く、深く支持される存在となるのだと考えられる。「こうして「終わること」と「終わらない」ことによって特徴づけられるふたつのアイドルのモデルを矛盾なく成立させている点で、アイドルグループこそが、もっとも〈アイドル〉的なわけです」(p. 33)とも述べられているように、松田聖子と山口百恵というふたりの伝説的なモデルを両立させるアイドルグループ、そして卒業という制度は〈アイドル〉の〈アイドル〉性を確保していく上でとても重要な存在である。

 

〈アイドル〉にとっての「若さ」とハビトゥス


本書では、「ローマの休日」におけるオードリー・ヘプバーンの身体を三つに分類し、とりわけ新しい状況に臨み、学んでいく姿勢を映し出す「シネマティックな身体」に注目している(pp. 73–82)。そしてこの議論を通して、アイドルにとって必要不可欠な「若さ」とは何かが論じられている。本書によれば、アイドルにおける「若さ」とは単なる年齢の若さではなく、新たな状況に置かれ、そこで学んでいく未来に開かれた状態によって支えられている。そしてこのアイドルが持つ未来予持性、成長していく過程こそが見る人の心に刺さるものであり、アイドルを定義するものであるとされている(pp. 81–87)。

 

この視点から考えると、アイドルにとって重要なのは、完成された姿を見せることだけではなく、誕生し、成長していく過程を視聴者やファンと共有することである。さらに本書では、「ハビトゥス」という概念を用いて、アイドルが新しい状況に臨み、そこから学んでいく姿勢を示すこと、そしてその姿勢をファンが学び取っていくことを説明している(pp. 111–112)。アイドルはしばしば新たな状況に置かれ、それを乗り越えることで自らの成長を可視化する。その際に表れる身振りや態度がメディアを通して私たちの元に伝達されることで、先の見えない状況にどう前向きに向き合うかを私たちは学ぶことが出来る(pp. 120–121)。


私はドキュメンタリー映画はこのような身振り、ハビトゥスを最も鮮明に伝達するものではないかと考える。普段公開されない裏側や、アイドル達が壁を乗り越えようと苦戦する姿が他のメディアと比較して、よりリアルに私たちに伝えられるからである。実際、私自身も好きなアイドルグループのドキュメンタリー映画を見た際、表舞台で輝く背景にある努力する姿に触れ、自分も困難な状況でも諦めずに頑張ろうと思えた経験があり、こうした経験は、まさに本書で著者が述べている〈アイドル〉の「ハビトゥス」を学んだ瞬間なのではないかと考えた。

 

アイドルとメディア


著者はなぜアイドルとメディア論を結び付けて考えたのであろうか。本書では全体を通して、アイドル本人や彼女たちのファンのあり方だけでなく、それを伝達するメディアのあり方についても述べられている。日常生活の中で私たちとアイドルを繋ぐメディアという存在の性質を、本書では歴史のなかでアイドル、スター、タレントなどと呼ばれてきた人々を介して説明しようとしている。



これまで私は、アイドルと私たちを媒介するものがメディアであると考えていたが、本書を通して、むしろアイドルを通してメディアのあり方そのものを考えることが出来ると気が付いた。この視点の転換は、私にとってとても新鮮なものであった。


また、これまでの私はアイドルを応援するとき、アイドル本人やファンの反応ばかりを見てしまっていた。しかし、なぜ自分やファンがこのような受け取り方をしたのかを考えるうえで、アイドルがファンに伝わるまでにメディアが及ぼす影響をしっかりと認識し、その特性を理解することが重要であると気づかされた。著者は、多くの人にこうしたメディアが持つ特性、さらにはその存在を認識してもらうことを目標として、本書を『アイドルメディア論講義』と名付けたのではないかと考えた。


終わりに

 

以上のように、本書はアイドルを単なる娯楽の担い手としてではなく、「終わり」と「継続」、「若さ」、「成長」といった観点から多面的に捉えている点が印象的であった。特に、私は今までアイドルの「若さ」を考えるとき、単に年齢だけで考えてしまっていたので、年齢だけでなく、未来に開かれた状態として「若さ」を捉えるという視点はとても興味深いものであった。そして、未来予持性とともに必要となる年齢としての「若さ」もまた、新しい状況に置かれ、学ぶ姿勢を求めるがゆえのものであるという記述は、アイドルオーディション等で年齢制限が設けられることの説明にも繋がるのではないかと感じた。本書で述べられているアイドルグループという仕組みの意味や働きの考察も参考にしながら、今後さらにアイドルやグループという制度についての理解を深めていきたい。


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