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  • 執筆者の写真ゼミ 横山

東京手描友禅という生業

更新日:2023年10月24日

東京手描友禅 岩間奨さんインタビュー


岩月七海、太田楓子、鈴木里夏、平塚風里


東京手描友禅は、江戸時代中期に京都絵師の宮崎友禅斉が広めたと言われる伝統工芸です。江戸の町人文化を背景に出来上がった友禅であるため、落ち着いた色彩の中にも江戸らしい粋や酒落が表現されています。


今回私たちは、東京手描友禅伝統工芸士の岩間奨さんに取材を行いました。岩間さんの工房は、一見するとマンションの一室のようでした。そんな工房で東京手描友禅を創りつ続ける岩間さんご自身のことや、東京手描友禅の歴史や今後について、お話を伺うことができました。


(ご本人提供)



岩間奨さんのプロフィール


昭和27年 東京手描友禅糊画師の二男として東京都新宿区に生まれる。

昭和46年 東京都立八王子工業高等学校色染化学科を卒業。

染色工芸家村井順三氏に師事。

昭和53年 独立し、練馬区に工房を設立。

昭和62年 埼玉県和光市に工房を設立。

平成13年 経済産業大臣認定「東京手描友禅・手描部門」伝統工芸士に認定される。


東京都工芸染色協同組合 理事長

東京手描友禅伝統工芸士会長


本インタビューの後に、岩間さんが令和5年春の叙勲で瑞宝単光章を受賞されました。


(ご本人提供)



ご自身について


──インタビュー記事で、お父様の影響で職人になることを決め、その後高校で染色について学び、弟子入りしたという内容を拝見しましたが、改めてご自身の経歴について教えてください。


私の父親は、糊置の職人だったのね。糊置は大事な仕事なんだけど、土台的なものだから、子供の頃の私にとっては派手さがなくて地味に思えて。でも、私が中学2年の時に、染色の業界に弟子入りしちゃって。それに、うちに出入りしてる親父のお得意さんだとかに、「弟さんもお父さんの後継いで!」と言われるようになって。だから、染色関係の高校に行こうと思って、八王子工業高校の染色科に進学しました。でも、授業中はほとんど寝ちゃったり、剣道部でずっと部活やったりで、遊んでばかりでしたよ。


卒業後に、兄がまだ修行中だったので、工房を見にいきました。 そうしたら、絵描いて、色をつけて、金箔を使ってるじゃないですか。自分はこういう派手なものをやりたいと思って、師匠のところに住み込みで弟子入りしました。内弟子として入ったのは私が最後だと思います。



師匠と修行


──師匠のもとでどのような修行をしたのでしょうか?


仕事は触らせてくれないから、鳥の餌をあげたり、 掃除したり、身の回りのことをやってたね。あと、修行としては、絵を描いてたかな。


──その絵に対して師匠は何か指導をされたのですか。


何も言わない。全く教えない人ではなかったけれど、怒りもしない。とりあえず辞めせられなければいいのかなと思ってたよ。


そんな感じで修行をしていたんだけど、修行は7年と師匠と約束していたから、7年で出てきたんだ。独立したのは、昭和52年ごろ。その頃はまだ、独立すると得意先が寄ってきたんだよ。


ただ、当時は下絵を描くのだって、紙に書いて下書きしないと出来なかった。下絵は修行中にやらせてくれないからね。


──なぜ下絵は教えてもらえないのでしょうか?


やっぱり一番基礎になるところだから、師匠としても下絵は譲りたくなかったんだろう。


修行も5年ぐらい経つと、だんだん自我も出てくるじゃない。修行時代に、目白の呉服屋さんの振袖を友禅していたら(※1)、呉服屋さんはその配色が気に入らなかったみたいで、「 俺はな。 君に仕事を頼んでんじゃない。先生に頼んでる」って一言言われて。つまり、勝手にやるんじゃないということです。それでも、師匠は何も言わないんです。でも、自分を出すのは独立してからっていうことだろうね。


色々めんどくさい人達が多かったけど、良いところで修行したと自分は思ってます。あの工房にいたから、今があると思ってるんですね。


※1 友禅染めを施すこと


──お父様やお兄様、お師匠さんから学んだことで特に印象に残っている内容はありますか?


とりあえずは継続をするための我慢ですね。さっきの話にも、独立してから自分の個性を出せっていうのがあったけど、じゃあ独立したからって自分の好きなようにできたかっていうとそうじゃない。やっぱり絵描きの仕事をしているわけじゃないから、自分の好きなものを描くわけじゃない。依頼主が白生地を持ってきてそれに描くわけだから。そうすると、納得いかないでやってる仕事もあるし、教わることの多い仕事もあるし。それはもう千差万別ですよ。


独立したときも、メインと言っていい依頼主はあったけど専属にはならなくて、5件とか6件くらいは並行して仕事はできてた。独立したときにスナックにボトルを置くのが夢でね。毎日スナックに通って夕方から飲んだりしてました。25にしては相当稼いでましたよね。


──そういう時代だったという感じでしょうか?


良い時代だった、ということだよね。それだけ仕事量があった。だって3ヶ月先くらいまでの仕事は持ってたもんね。あ、いま私、半年先の仕事を持ってます(笑)。当時は、5、6年私みたいに遊ばないで真面目にやってたら、30代で家建ててたもん。25歳で独立って当時でも早い方だったけど。普通は10年、15年修行して、30歳くらいで独立。昔は、中学卒業してこの業界に入るのが多かったから、まず3年間くらいは師弟生活。仕事云々というよりも、相撲部屋とか競馬の騎手の学校みたいな感じですよ。それになるためには、どうしても3年間、高校の期間くらいまでは世の中の勉強みたいな。だから、独立が多いのはだいたい30過ぎくらいだよね。


──技術とかではなくて、他の部分の勉強が多いような感じでしょうか?


技術とかっていうのは、もうどれって言えないの。だから、自分がこうやって独立して師匠の凄さを実感することはある。何かの拍子に、「ああ、そうだよな!」って。そうそう、師匠が広告の裏だとかそういう紙ぺらに、「葉脈はこの形で入れろ」みたいなことは書いてくれた。そういうものはみんな取っておいてる。探せばどっかにあるよ(笑)。独立した頃は、それは絶対手元にあったと思う。



友禅染の技術


──友禅染の工程の中で特に大事にされている工程はどこですか?


やっぱり下絵は下絵、糸目は糸目で大切さはあるんだけどね、好き嫌いからいくと、友禅さしが一番好き、色を挿すのが。たとえばこういうような、色がたくさん使われたものの場合、私は何色から塗るかわかりますか?


──それは、技術的な問題でその色からがいいっていうものがあるということでしょうか?


そうそう。私は絶対白から塗るんですよ。染料って、たとえば薄い色を塗りますよね。そうすると、もうちょっと濃くしたいっていったら上からのせられる。でも、白は染料じゃないんです。白はチタンっていって、顔料なんです。だから、こういう艶のあるものに塗るとツヤを欠いちゃう。だから白は変えられない。


文科省の管轄に、日本伝統工芸展をやっている日本伝統工芸会ってのがあるんだけど、そこで友禅をやってる人たちはあんまり白を使わない。やっぱり工芸品としては邪道的な意味合いがあるのね、白を出したかったら生地の白で残せば良いじゃない?っていう。だからあそこに入選するときには白を使わない。最近はまた変わってきたけど、昔、私らが若い頃はそうだった。


工芸会に入ってる人でうちの組合に入っている人も沢山いるんだけど、向こうの場合は絵描き的な感覚の団体で、人間国宝に繋がるところだから文部科学省の管轄。どちらかというと見せるもので、着るものではないっていう感覚のところ。我々は職人団体だから、我々を司っているのは文科省じゃなくて経済産業省。作り手の方。


──岩間さんはどうして白を使われる派なんでしょうか?


白を使うのは、ある程度肉をつけたいというか、迫力を出したいんだよね。こういう大きなところで白を使うと浮いて出てくるんだよ。私にとっては、そのことの方が、「あんまり白を使わずに生地目で白を出す」みたいな工芸品のこだわりよりも大事ってことですね。


金箔砂子を乗せる岩間さん(著者撮影)


──技術を習得するまでの苦労や工夫について教えて下さい。


やっぱり独立したとき、さっきの話にも繋がるんだけど下絵を描くのが大変で。本当にめんどくさがり屋だから、紙に描くのを好ましく思ってないんだけど、描かざるを得ないんだよね、だって描けないんだから。


──最初は紙で練習するんでしょうか?


商品となるものの絵を紙に描いて、それを写せば良いじゃん。昔は同柄で二点とか三点とか、っていうのもあったから。それだったら紙に描く。糸目で直したり、っていう力がないと、とにかく下絵を描かなきゃいけない。でも、今なんか、自分で糸目を引くものの場合は下絵はあんまり描いてないんです。


例えば、桜をわあっと描くんだったら下絵はいらないよ。丸かいてチョンしておいて、あとはどんどん糸目引けば良いわけじゃん。ただし、さっきの縫い合わせ、合い口っていうんだけどそこだけはちゃんとかく。そこはちゃんとしておかないと、加工したときに生地の縫い方が違ったら狂っちゃうから。


──下絵がいらなくなったのはいつ頃なんでしょうか?


フリーハンドでかいていこう、という気になってからそれができるようになったと思う。江戸指物っていう工芸品があるの知ってるかな?40代くらいのときに、今日本の工芸士会の会長をやってる戸田さんという方が、横浜の高島屋で実演をやってたのね。指物って、調度品とかを釘を使わないで全部指し込んでいくの。これがすごい技術で。その実演がかっこよかったんですよ、所作が。


それで、友禅でかっこよさというか、人を釘付けにして魅せるにはどうしたら良いかなって思ったんですよ。そしたら、何もないところでかいたら寄ってくるかなと思って。それからですよ。そうすると、緊張感がある中で描いてるじゃないですか。で、「あ、失敗した」と思ってもそういう顔をしない(笑)。もし、失敗したっていうのがみてる人たちにもわかったら、「のりで直すんですよ」みたいな笑。でもそれは良い訓練になってて。


糸目が引かれた布地(著者撮影)


──作品の意匠や模様の構想は、どのように思いつくのですか?絵画や写真など他のジャンル から刺激を受けることもあるのでしょうか?


もちろん、絵描きさんの本とか、いろいろありましたよ。最近はほとんど開けることもないけど。自分が歴史物に弱いから、歴史物が来たとき、例えば、昔、細川ガラシャを描いてくれっていうのがあったの。そうすると時代考証からになっちゃうんだよ。人だけ描くんじゃなくて他もいろいろ描くことになるから。NHKの大河ドラマと一緒で、そこにつける調度品とかがその時代に本当にあるのか、調べる。昔は本当に図書館に走りましたよ。「もう何にもないー」とか焦りながら。今はPCがあるので便利になりました。


──ご自身で気に入っている作品はありますか?


自分で「良いんじゃない?」って気に入ったものもあるし、「あんまり良くないんじゃ?」って思って納めたら、「良かった」って言われて、「あ、そうなんですか、ありがとうございます」ってなることもあるし。でも商品として考えてるから、あんまり作品という感覚はないんだよね。ただ、何年か前に桜の着物をやったんだけど、それが都知事賞を取って。それは気に入った作品と言えるかも。若い頃からずっと、染芸展に出すときは色数の少ない桜がモチーフだったのね。普段は有色(いろんな色数を使うこと)が多いんだけど。桜は、あんまり色数を使わないで品があって華やかさを見せるには一番だと思っていて、大好きですね。


あと、一時自分が夢中になっちゃったのは夜の新宿の高層ビルですよ。夜あそこを通って見たら、とにかく綺麗っていうか、桜を見るのと同じような気持ちになった。良いなあって。だから、そのビルのモチーフも帯とかに使ったりしました。作品として何が残ってるって言われると、桜とビルくらいかな。


──自分でいけたな、っていう感触があったときにそれがあまり評価されなかったときとかって落ち込んだりしないですか?


意外と落ち込まない人なんですよ。自分の師匠の一番弟子の人が、組合をやめた理由がそこでした。技術的にはすごく器用な人で、師匠のやってたことを一番素直に受け継いだ人なんだけど、染芸展(※2)で賞に入らなくてね。評価されてないと思って。組合に入る意味って昔の人たちは染芸展っていうコンクールに出せるっていうのが一番の目的だったのね。今だって90パーセントくらいの人はあそこに出してるし。


でも私はあんまり落ち込まない。網膜剥離になって作業が難しくなったことがあったけど、今もこうやって続けてるし(笑)。


※2 東京工芸染色協同組合が年に一度開催する東京手描友禅のコンクール展示会



東京手描友禅について


── 友禅について沢山お話伺ってきましたが、東京手描友禅ならではの特徴や、修行方法の違いなどはあるんでしょうか?


私自身、他の地域の友禅作家たちとあまり交流がないんですよ。意外とお付き合いしないで生きてこられちゃった。友禅自体についてはね、京友禅の第一人者って呼ばれてる田畑喜八さんはもう5代目なんだけど、「京友禅の特徴は特徴がないことだ」って言い出したくらいだからね。それくらい、各地の特徴は無くなってきちゃったんだ。


── それは一般化されたんですかね、それとも細分化されたんですかね。


情報がいろいろ入ってくるし、交流も増えて、土地関係なくデザイナー本人の色が出てくるようになった。どこでどんなものが売れるかってのも関係あるね、やっぱり大消費地は東京だから。京都の人も沢山こっちに来て商売するわけだしね。売れるデザインを求めると地域性は薄れていくのかなと思う。


── なるほど。


修行の仕方に関しても、聞くところによるとあまり差がないみたい。


── そうなんですね!岩間さんが住み込みで修行を受けた最後の代とお聞きしたんですが、住み込みの良いところは何ですか?


住み込むという関係の中でしか得られないものはある。気が抜けない環境だからね、やらなきゃいけないと思って色んなものを見て盗んだね。


── 今はどうなんでしょうか?


住み込みはもう難しいから、通いが多いかな。ただ、その修行を受けている人がどれくらいのレベル感の育成を求めているのかが曖昧になってきているところはある。昔みたいに一家の大黒柱になりたい男子なんかは、僕はもう弟子には取れないね。なぜなら、もうこれでは食べていけない、稼げないから。10年後くらいには何か作品が作れるかも、というくらいのスタンスで入って来ないと、厳しい現状があるよと。もうだからこちらが生徒に甘えている状態。「給料はないけどそれでも来るなら」「仕事として一人前を目指せる時代じゃないけどそれでも良ければ」という感じで弟子は取ってる。


── では今は職人になることは非常に難しいんですね。


情報はあるから、道具とかやり方とかを調べて作ることはできるかもしれないけど、色彩とかデザインの部分の感覚は培われないだろうね。ここは正解がない、教えられることもないものだから。数をこなして、たくさん失敗をした中で自分の色が出来上がるんだよね。僕の子供たちが結婚する時に、モチーフの全く違う着物を3点ほど作ったんだけど、女房のおじさんは色合い的に同じ人が作ったものだって感じとってくれた。そういうのが「自分の色」です。


── 住み込みという環境でしか身につかない技が存在するということですね。少し話が変わるのですが、それぞれの色がある中で、良い友禅職人っていうのはどんな方だと思われますか?


僕個人としては、受け入れられる心を持っている人。人の言うことを一度自分に取り込める人。もう何十年もやってるから、やり方とか考え方は固まっちゃってるんだけど、受ける仕事は相手のやりたいことを汲む仕事だから。そんなことはできないなんてことはしたくないよな。ただし、この業界、この考え方の人ばかりだと気持ち悪い。それぞれにそれぞれの考えがあっていいし、あるべきだと思う。どんな理不尽な人だって、いてくれることに価値がある。それが伸びる社会じゃない?


── 良い職人像がさまざまにあることが、これからの友禅の業界を広げていく鍵になるということですね。


そうだね、その中で、僕の仕事で言えば「分かりました」とできる懐の広さが大切だと思う。


── なるほど、ありがとうございます。最後にコロナ禍の東京手描友禅についてお伺いしたいのですが、以前お受けになっていたインタビューの記事で、仕事が増えたと拝読しました。


全国的には、コロナ禍が明けた後のことを考えて、在庫を確保したいという問屋が多かったんじゃないかな。個人としてはコロナ前のご縁がいくつか繋がって連絡をいただいたり、贔屓先の若い子が「先生の手は開けられません!」なんて言ってくれて、仕事振ってくれたりしたなあ(笑)。正直安い仕事だったけど、その気持ちは嬉しいじゃない?そんなこともあって、コロナ禍が始まった頃はいつも以上に仕事場にいたかな。


── 人と人との繋がりの中で作品を作ってきたということがよくわかるエピソードですね。


コロナ禍の時期に仕立てた帯を今回の染芸展に締めてきてくれた人もいたよ。



今後について


──友禅について調べるなかで、「手描友禅とインクジェット染のような性質の違う商品を同列にあつかわれることへの不安・不満をもつ人もいる」という情報がありました。岩間さんは、以前デジタル友禅について話されていましたが、デジタル友禅についてどう思いますか?


さまざまな意見がありますが、手でやったものを目指したいという意志を持ち半端な気持ちではやっていないと思います。プリントされるデザインは技法にに乗っ取って実際に作った手描友禅染めを使用しています。お金を稼がなければ古いものは守れないという現実を見たうえで、しっかり頑張ってくれていて、絹製の商品の購入は難しいが友禅に興味を持っている人の入り口となりうると個人的には思います。


──次世代を担う若い人達に対してどのような思いを抱いていますか?


今の若いもんは…というようには決して思いません。よく考えており、分からないことは調べてきてくれる。今回開催した染芸展ではSNS発信やフォトスポットを企画してくれたり、カード支払いやPayPayでの支払いを設定してくれて技術面以外でのサポートも考えてくれています。また作品でも技術的に劣っていない、良いものを作っていますよ。


──友禅の今後において懸念している課題は何かありますか?


課題はあります。今後先日染芸展をしたような規模の会場で展示をできなくなるのではないかということです。今探しているところではありますが、幸いコロナの反動で購買欲が上がりまだ黒字を維持しています。


そして一番はやはり需要です。どうしても必需品ではないから後回しにしていいものなので。東北大震災の時も計画停電になり納品が迫っているなか蝋燭を立てて仕事をしていた時もありますが、あの時はどんな良いものを作ってもカップラーメン一個には負けてしまうなと落ち込んでいました。


昔も友禅というのは何かがきっかけで消えてしまうものだったと思いますが、こうやって続けられるのはそういうことを乗り越えてきたということだと、自分の中で消化しています。



編集後記


平塚

取材の前に、染芸展で様々な東京手描友禅を拝見しましたが、その模様や手法の多様さに驚きました。作品として洗練されている東京手描友禅ですが、岩間さんは何度も、お客様のために作るということが大切だとおっしゃっていました。いくら作り手がいても、買い手がいないとビジネスとして成り立ちませんし、その工芸品が生き残ることができません。そのため、時には新しいものを受け入れながら、お客様のために友禅をし続ける岩間さんの姿勢は、非常に勉強になりました。


岩月

制作することを楽しんでいるだけではなくビジネスとして捉え責任を持って向き合っていらっしゃる姿がとても印象的でした。自分もデザインに携わる仕事がしたいと思っており、岩間さん自身のお話に共感する部分、また制作に関する考え方や実際の運営指針などでは新しく勉強になることが多く、とても有意義な取材になりました。また目の前で実演も見せていただき揺るぎない確かな技術の凄さを肌で感じとても感動しました。お忙しい中貴重なお話ありがとうございました。


太田

伝統工芸品の職人というと勝手に厳かで職人気質な方が想像されると思いますが、岩間さんは対極にいらっしゃるような柔らかい雰囲気をお持ちで、インタビュー中は常に笑いに溢れていました。技術力だけでは生き残れない厳しい世界で、モダンな柄やデジタル友禅等、職人それぞれの個性や思惑が輝くのは、多様性を認める友禅社会ならではの特徴なのだと思います。住み込み徒弟制の生のお話もお伺いする事ができ、大変貴重な経験をさせていただきました。ありがとうございました。


鈴木

実際に友禅の技術を見せていただき、改めて職人の技の美しさを実感しました。昔と現在では職人が置かれている環境がかなり異なっていること、その中で古き良きだけを大事にするのではなく、継承のために新しいものを取り入れていることも知りました。終始にこやかにたくさんのお話をしてくださり、インタビュー後には、楽しかった!という気持ちが大きく、とても有意義な時間でした。貴重な経験をありがとうございました。


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