歌舞伎俳優養成の軌跡
- ゼミ 横山

- 2022年5月24日
- 読了時間: 14分
明治から昭和期を中心に
藤崎春花
この記事では、私が卒論でおこなった研究を紹介します。
研究の概要
歌舞伎界には世襲制度という伝統があるため、門閥出身者以外の人はその世界に踏み込みにくいと長年考えらえてきました。しかし、明治時代から、一般の家に生まれた者たちに対する歌舞伎俳優養成がおこなわれてきました。私は卒業論文において、門閥外出身者に対しておこなわれてきた三つの養成所を中心に歌舞伎俳優養成の百年の歴史について研究しました。
明治から昭和期にかけて門閥外出身者を対象にした歌舞伎俳優養成所としてあげられるのは、片岡少年俳優養成所、日本俳優学校、国立劇場歌舞伎俳優養成所です。卒論では、これらの三つの養成所の設立目的、研修内容、生徒たちの卒業後についてなどを明らかにしました。時代別に三つの養成所の問題点と評価できる点を捉えなおすことによって、今後の歌舞伎俳優養成の課題解決に少しでもつながるようなアプローチを提示することに本研究の意義があります。
研究にあたり、当時の新聞記事や、卒業生たちのインタビュー記事などを中心とした文献資料を中心に調査しました。また、歌舞伎俳優養成の新しいかたちとして注目されている「歌舞伎アカデミー こども歌舞伎スクール 寺子屋」で日本舞踊の講師を勤める藤間勘恵理氏にインタビュー並びに稽古見学をさせていただきました。このインタビューによって、本論文を通して浮かびあがった、十代やそれ以下の子供たちにプロと同じような本格的な歌舞伎を長期的に経験させるということが今後の養成の重要な鍵となるという考えに確信を持つことができました。
論文の紹介
以下では、第四章で養成の課題点を論じるうえで非常に参考になった、藤間勘恵理氏へのインタビュー内容をお示しします。ここでは、幼少期からの歌舞伎俳優養成が、歌舞伎好きを
誕生させることにつながることや、身体的優位性になどについてのお話を伺いそれについての感想を述べました。
藤間勘恵理氏インタビュー
こども歌舞伎スクール寺子屋における幼少期からの歌舞伎俳優養成について
——本論の最終章では、国立劇場の設立当初にあげられた歌舞伎俳優養成における課題について、年齢、期間、卒業後、専属劇団の四つにわけて論じています。私はこの四つの中でも、特に歌舞伎を始めるときの年齢がとても重要になってくるのではないかと考えました。そこで、幼少期の生徒たちを中心に養成をおこなっていて、新たな伝承の場として注目を集めている寺子屋についてのお話を是非お伺いしたいと考えています。
——寺子屋に通っている生徒さんや親御さんはどのような目的をもっていらしているのでしょうか。
歌舞伎俳優を目指していて、その基礎をやりたいという子供や、ただお稽古ごとを色々経験させて、何が好きかを探させるという親御さんもいます。海外に目を向けている方は、子供が海外にいったさいに、自国の文化を紹介できた方がいいと感じ、通わせている方もいますね。目的はそれぞれの生徒さんによって様々です。決して、歌舞伎俳優になるためだけのスクールではなくて、新劇や映画の世界に進んでいる生徒もいます。
——生徒さんの年齢層と1クラスの人数、男女比について教えていただけますか。
4歳から中学生までの生徒が在籍しています。年齢や在籍年数によってクラスが分かれていますね。最初は4歳から10歳の子供を募集していて、二年在籍したら、卒業することになっていたのですが、中学生になっても続けたい、残りたいと思う生徒がほとんどだったため、新しく三年以上の生徒が通えるクラスも出来ました。またクラスの人数ですが、最初は45人とっていて2年間はそうしたのですが、講師側が教えるのに苦労したため、25人に変更になりました。男女比は、今は男の子のほうが多いいけれど、最初は女の子の方が多かったですね。その年のオーディションによって変わります。
——生徒さんの人数からもすごく人気なのが伝わります。
そうですね。オーディションの倍率は噂によると5倍だそうです。まず、書類審査があり、そのあとに面接があって、25人に絞られます。
——先生の思う寺子屋の推しポイントを教えていただけますでしょうか。
まず、講師たちはみなさん一流の方たちが集まっています。またコロナ以前は、毎月のように寺子屋の生徒が歌舞伎の舞台に子役として出演していました。歌舞伎のスクールではありますが、最初にふれたように、映像の俳優を目指している子もいます。最近の大河で渋沢栄一の幼少期を演じていたのも寺子屋の生徒でした。演技に関するすべての基礎を学べると思います。
——自由で、色々なことに挑戦できるという環境も、生徒さんたちが、寺子屋に残りたくなる理由の1つなのですね。他にはありますか。
各々のクラスでは、毎年、修了発表会というのがあります。それとは別に、寺子屋の生徒のために、歌舞伎版『風の谷のナウシカ』の脚本も手掛けた戸部和久さんという方が脚本を書いて下さり、藤間勘十郎が振り付けをしてオリジナルの舞踊劇をやっています。衣装デザインも依頼するくらい本格的ですね。来年の三月にも公演が予定されています。
——みなさんすごくかわいいですね(過去の公演の写真を見せて頂いた)。私もバレエを習っていたので、公演数が多いい方が、楽しくやる気が出るという気持ちがとてもよくわかります。
みんなで作っていくものは楽しいですよね。公演の配役もオーディションをして講師で決めています。踊りで審査しますが、生徒各々のキャラクターにあった役をつけています。入ってすぐはみんな何も知らない中で、一年目に基礎踊りをやり、二年目、三年目で踊りらしい踊りをするようになると、踊り以外の演技、所作においても得意、不得意が出てくるようになるので、普段のお稽古の様子も判断基準になっていますね。
——子役として興行の舞台にも立つとのことですが、どのような生徒さんが選ばれるのでしょうか。
演技ができ、口跡がよい子が選ばれます。はっきりとセリフがいえることがとても重要だと思います。また、興行の舞台では、失敗があってはいけないので、子役の指導をする先生は非常に厳しいです。引き受ければ、地方公演にもいかなくてはいけないので、学校も休むことになります。つまり、それなりの覚悟が、子供だけでなく親にも求められます。その厳しさに耐えられる子が選ばれていますね。
——先ほど1クラスの人数が25人でも多いいと感じたのですが、相手は小さな子供たちなのでとても体力を使うのではないでしょうか。
本当に大変です。ずっと声を出しています。すり足を教えるさいも、生徒の足をもちながら、一歩ずつ指導します。1年目は、足がぶらぶらしていますが、2年目になると、みんな稽古前に自然とすり足の練習をするようになります。授業はコロナ前は1回90分だったので、4歳の生徒の集中力を保たせるのもすごく大変です。体力はすごく使いますが、子供に教えるのはすごく楽しいです。
——先生は幅広い年齢の生徒に今まで踊りを教えてきたと思いますが、やはり幼少期から習っている人の方が、教えることに対する反応は早いと感じられますか。
そうですね。くせがでない時にやるのが一番です、小さな頃からやっている方が、自分自身もやっていて辛くないですからね。歌舞伎において踊りは全ての基本です。幼少期からやっている人は、踊りの中で、身体を使いながら自然に型や所作ができていますね。自然にということがとても重要なんです。
——伝統芸能は、師匠、弟子の関係が重んじられていると思います。寺子屋では、先生と生徒という関係性ですが、特に意識していることはありますか。
寺子屋では礼儀に関しては4歳でもしっかりと挨拶や感謝を伝えられるように教育しています。古典芸能の世界では、礼儀が身についていなければ、生きていけません。大きくなってはじめてやるとなると恥ずかしくて、中々出来ませんが、小さな頃から習慣化してしまえば、それが当たり前になります。礼儀が身につくという点で習わせにきている親御さんもいますね。
——クラスでは男子と女子が一緒に、習っていると思いますが、それに関するメリットなどはありますか。
それに関してはとくにないです。中学生になると、公演のさいは男女別々の演目で出演するようになります。男子は歌舞伎をやり、女子は踊りを発表します。
——平均的に生徒さんはどのくらいの期間、在籍されるのでしょうか。
最初は、二年間という予定でしたが、先述したように、ほとんどの生徒がそれ以降も残ります。一番長い生徒は、寺子屋が今8年目なので、4歳から在籍していて、来年中学生になります。中学を卒業してしまうと自動的に籍は解消されてしまうのですが、卒業した生徒で最年長は、来年大学生になります。8年ということもあり、何者になったという実績はまだないですね。
——みなさんの将来がすごく楽しみですね。お話を聞いている限り、寺子屋はすごく楽しそうで、中学生まで残りたくなる気持ちがとてもよくわかります。
寺子屋の代表をしている梅玉さんや社長さんは、歌舞伎俳優を育てたいというよりも、とにかく生徒達に、歌舞伎を楽しんでもらいたい、好きになってもらいたいということをいつも口にしています。でもやはり中学生まで残っている男の子は、歌舞気俳優、女の子は歌舞伎にはいけないので、女優を目指していると思います。新派にいく子もいます。東京新聞の主催する舞踊コンクールの邦舞部門で優勝している子がいたり、卒業生の中には、愛之助さんの部屋子の愛三郎くん、幸四郎さんの部屋子の幸一郎くんがいます。
——お二人はスカウトされたということですか。
いいえ、自分からアタックしたのだと思います。二人ともすごくまじめで、とにかく歌舞伎が大好きな子たちです。幸一郎くんの場合、幸四郎さんが『演劇界』にお弟子さん募集を出していたのを自分で見つけて応募したみたいです。幸四郎さんも、まさか小学生が応募してくるとは思わなかったみたいですが、夏休みのあいだ、とりあえず楽屋に来てごらんと呼ばれ、あまりの熱心さから子役として次の舞台に出演し、そのまま入門したみたいです。去年、国立劇場賞特別賞もいただいています。
——見習いたい行動力です。親御さんがすごく歌舞伎好きのお家だったのですか。
不思議ですけど、それが違うんです。お家が山梨にあって、親御さんは特に歌舞伎が好きというわけではなかったみたいなのですが、幸一郎くんが何かで歌舞伎をみて、夢中になり、どうしても習いたいということで寺子屋にやってきました。
——山梨から通っていたということですか。
そうです。だけど叔母様が東京在住で、寺子屋があるときは、そこに泊まることもあったみたいです。けど、ある舞台で子役を勤めることになったとき、交通費を出すのに、あまりにも高すぎてしまうので、東京の公演は他の子に頼むという話になったみたいで、それなら叔母さんの家の子になって、そこから通うと言い張り、小学生にして親元を離れ、学校も転校することになりました。それほどに歌舞伎に対して情熱がある子です。
——10歳も年下とは思えない強い決断力が伝わってきます。本当に歌舞伎が好きなんですね。
寺子屋以外にも、私のところに踊りを習いにきていましたが、ある時、いろんな毛を集めて紙にテープで貼っていて、私のところにそれを持ってきて、この中にはおじいちゃんのひげもあるんだと言って、頭に付けてこれで獅子ができますと言いながら頭を振っていました。いつも歌舞伎の真似をしていましたね。本当にかわいらしかったです。
——私は今回の卒論研究で、過去の歌舞伎界は、門閥外の歌舞伎俳優が一流俳優として活躍していくにはどうしても厳しい世界であったと改めてわかりました。先生からみて、現在の歌舞伎界は、門閥外出身者に対しても優しく、受け入れるような姿勢になってきているのでしょうか。
昔に比べれば、受け入れるようになってきていると思います。それこそ講師の梅玉さんは、一般家庭出身で、部屋子だった莟玉くんを養子にしています。愛三郎くんや幸一郎くんもそうですが、一生懸命やっている優秀な子は育てていこうという姿勢になってきていると思います。世襲制だけでは、確実に成り立たなくなりますしね。
——歌舞伎俳優たちは、自分の子供にも歌舞伎を教えるわけですが、門閥外出身者に歌舞伎を教えることには積極的なのでしょうか。
それは、人それぞれですね。積極的な人もいれば、そうでない人もいます。寺子屋に来ている講師たちは積極的であると思います。今の若手の俳優たちは自分の子供たちに対してすごく教育熱心です。宗家のところに、お手伝いにいくと、たくさんの小さな御曹司たちがにぎやかに練習しています。
——寺子屋に数年間通っていれば、歌舞伎俳優になるための基礎的な力はつくのでしょうか。
そこまではいかないです。お稽古数がすごく多いいわけでもないので、踊りのお稽古も公演前は毎週ありますが、踊り以外のお稽古もあるので、普段は月に1回しかないんです。
——同世代の御曹司に比べてもということですか。
全然違いますね。生まれた直後から、お父さんの舞台を見て育ち、毎日その世界にいる子とはどうしても雲泥の差がでてしまいます。生徒の中でも、俳優になろうと決心した子は、寺子屋のお稽古の他に踊りを習いにきています。受けとろうという気持ちがすごく強いから、何に対してもすごく熱心だし、自分から色々な世界に飛び込んでいきます。そういう子は、御曹司たちにも負けないかもしれませんね。共通していることは、とにかく歌舞伎がすきだという気持ちが強いということです。
——寺子屋から国立劇場の養成所に進んだ生徒はいるのでしょうか。
歌舞伎音楽の方で、葵太夫のもとで義太夫になるために入所した子はいます。けど俳優の方はまだいませんね。中学生の生徒に、中学を卒業したら国立の養成所に入ろうか迷っていると相談を受けましたが、もう少し我慢して、高校までは卒業した方がいいと助言しました。国立の養成所は、通信教育になってしまうので、そこは賛成できないですね。
——なるほど、応募資格者の年齢が上がっていることを課題としてあげていながらも、高校に通うことが出来ないということを、問題点と考えるに至っていなかったです。
——本日はご取材を引き受けて下さり本当にありがとうございました。
インタビュー後記
今回、勘恵理先生にお話を伺うまで、私は大人から歌舞伎をはじめた歌舞伎俳優が他の俳優と同じように活躍できないのは、不公平なのではないかと考えていました。しかし、その考え方に少し変化がありました。門閥出身ではないけれど、幼少期から歌舞伎一筋で頑張っている俳優の卵たちの存在を知り、その子供たちでさへ、歌舞伎の家に生まれた御曹司と稽古量で大きな差が出てしまうのであれば、大人からはじめた人たちは出身ではなく、芸の技術面で勝らないことは当たり前なのではないかと考えました。
作品をみるお客さんにとっては、歌舞伎が上手な俳優がより重要な役を勤める方が良いはずです。良いものをみせるという点でも、幼少期から修行を続けている技術がある俳優の舞台を見たくなることも自然であると思いました。不公平なのではなくて、美しいものが求められる社会で、お金をとってみせる以上当たり前のことであるかもしれません。
以上をふまえて、門閥外出身者が求められるものは、とにかく歌舞伎が好きであるということだと考えます。まず、本当に好きでなければ、続けることは難しいと思いますし、歌舞伎界に飛び込んでも馴染めないのではないでしょうか。門閥外出身者でも歌舞伎に対する情熱がとても強く、優秀であれば、受け入れるような体制ができてきているという話もありました。
歌舞伎俳優養成において最も重要なことは、幼少期から始めるということ、そして何よりも歌舞伎が好きなひとを増やしていく活動が必要なのだと改めて思いました。だからこそ、歌舞伎好きを増やしている場として寺子屋は次世代の歌舞伎俳優を生む場として相応しいのではないかと考えます。生徒に楽しんでもらうということが教育理念にあるからこそ、生徒たちは歌舞伎をより身近なものとして取り組むことができていると思います。また寺子屋だけで俳優になることは難しかったとしても、ここをきっかけにして、より本格的な世界に進んでいくことが可能な場所になっていると感じました。
最後に——卒論に取り組んで
はじめに資料を集めるにあたり、養成所の名前だけをいれて検索しても中々見つけられなかったため、検索名を色々工夫することからスタートしました。また、執筆面では、前半はほとんど歴史叙述だったため、一章ごとにどのように問いを立てるのかについても悩みました。結果的に、研究対象を狭めるのではなく、広くしたので、文量も多くなりましたが、対象を増やしたからこそ、より自分の養成に対する今後のアプローチに対する考察に確信をもてることができたと思います。最後まで貪欲になり、インタビューも実行でき本当によかったです。
この卒論を通して、読んでいる人を納得させる文章を書くことを目標にしていました。初めてこの分野にふれる人も興味を持ってもらえるような論文になっていたらとても嬉しいですが、実際は執筆中に自分の文章力のなさを身に染みて感じる日々でした。私は卒業後に大学院に進学するので、これからも引き続き上記の目標を持って論文執筆をおこないたいと思います。

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