江戸時代の化粧文化に対する一考察
- ゼミ 横山

- 2022年5月24日
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大衆文化を中心に
山本麻未
この記事では、私が卒論でおこなった研究を紹介します。
研究の概要
私たちが日常的におこなっている化粧の起源はおよそ4万年前と言われています。その頃は呪術的な意味や自身の部族を表現するために、それから身分の高さを表すためと変化していきました。庶民には親しみのなかった化粧ですが、江戸時代に入ると物流の発展により化粧品や技術が広まり、身分関係なく化粧を施すようになりました。
江戸時代から明治時代初期の化粧の特徴は、お歯黒・眉・白粉・紅の4つです。お歯黒は女性の既婚の証とされ、さらに出産をすると眉を剃ります。このふたつの化粧は通過儀礼でしたが、海外からは奇妙な化粧だと噂されます。 現代の私たちから見ても、驚くような化粧です。そこで私は卒業論文において、当時の女性たちはどのような思いで日々化粧に向き合っていたのかを探ることにしました。
論文の紹介
以下では、研究成果の一端を紹介するために、第3章の内容を要約してお示しします。ここでは、眉化粧についての考察です。
『都風俗化粧伝』─眉作り
出産前は現代と同様に、顔の形に合わせた眉化粧が流行していました。江戸時代の総合美容読本とも呼ばれる『都風俗化粧伝』では中巻の「化粧之部」で、眉毛を作る伝(眉の作り方)と眉を作る墨の伝(眉墨の作り方)が掲載されています。ここでは眉の作り方について紹介しています。
眉毛のつくりかた色々あれども、顔の恰好によりてつくりかたかわれり。短き顔、丸き顔には、ほそく三日月のごとくにし、長き顔、少し大顔のかたには、少しふとく作るべし。あまり太きは賤しく見えて見ぐるしけれども、その顔の恰好によれば、一概にもいいがたし。(都風俗化粧伝: 160)
眉の作り方は色々ありますが、それは顔の形によって異なります。短い顔や丸い顔には細い三日月の形の眉が、長い顔や輪郭がしっかりした顔には太い眉が良いでしょう。あまり太すぎるのは卑しく見苦しいですが、顔の特徴によって似合う眉の形があり、一概には言えません。
このように顔立ちに似合う眉を見つけるため、下巻の「恰好之部」では顔の形に似合った化粧法を、図を用いて紹介しています。数々の化粧例から自分の顔立ちにより近いものを参考にし、真似するというのは現代と大差ないですね。眉は顔の印象を左右し、眉作りは錯覚までも利用する重要な化粧でした。当時の女性たちの美意識の芽生えを感じます。
川柳から読み解く
女性たちが日々力を入れて取り組んでいた眉化粧は、出産を機に一変します。当時は子を持つ女性は眉を剃るというのが慣習でした。いくら慣習だからとはいえ、 顔の印象をガラッと変える眉剃りについてどう思っていたのでしょうか。心情を知るべく、江戸時代中期から定期的に刊行されていた川柳の句集 『誹風柳多留』に掲載されている句から読み解きます。
坊主にもされる思ひて娵(よめ)ぬらし(誹風柳多留一八篇輪講: 211)
眉を剃る嫁の様子を詠んだ句です。ぬらしにはふたつの意味を持たせていて、下準備で眉を水で濡らしている様子と、剃られる緊張と眉を失う惜しさから嫁の顔が涙で濡れている様子を詠んだのでしょう。
丸顔のおも長に成るはつかしさ(誹風柳多留二〇篇輪講: 204)
眉毛を剃り落とすと、のっぺりとした面長な顔になるのが恥ずかしい。これは子を持つという境遇の変化のくすぐったさも含んでいるでしょう。『都風俗化粧伝』にあったように、丸顔は面長に見えないよう、眉作りを工夫していました。しかし眉を完全に剃るとなるとこれまでの努力虚しく、面長は避けられません。この句からは女性たちの眉作りの重要性も読み取れます。
以上からわかるように、眉剃りに対するネガティヴな心情も感じ取れます。現代でも眉は顔の印象を左右する最も重要なパーツです。顔の印象を左右する眉を取り去ることは、どこか自分に自信が持てなくなってしまうでしょう。現代からは奇妙に見える化粧ですが、眉剃りとお歯黒はその人のライフステージを可視化する機能的な面も備えていました。結婚、子を持つ喜び、母親になるという誇りが女性たちの心を動かしたのでしょう。
最後に─卒論に取り組んで
ずっと不思議に思っていた昔の化粧文化について、卒論という機会を通じて調べることができてよかったです。最初の頃はテーマがなかなか定まらず、絶対に2万字も文章をかけないと思っていましたが、最終的に興味のある分野に辿り着けたことで成功に繋がったと思います。
・佐山半七丸著 髙橋雅夫編、1984、『都風俗化粧伝』、東洋文庫。
・清博美、2009、『誹風柳多留一八篇輪講』、川柳雑俳研究会。
・清博美、1997、『誹風柳多留二〇篇輪講』、川柳雑俳研究会。

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