top of page
検索

演劇をプロデュースする

  • 執筆者の写真: ゼミ 横山
    ゼミ 横山
  • 2024年10月8日
  • 読了時間: 28分

更新日:2024年11月12日

折笠汐音、和田実莉、新井凜、宮本栞里、宮藤幸太郎


今回インタビューさせていただいたのは、株式会社サンライズプロモーション東京でプロデューサーとして活躍されている近藤富英さんと矢羽々恒弘さんです。プロデューサーって一体どんなお仕事なのか。インタビューから見えてきたのは、芸術分野のみならず、全ての働く人に通ずるノウハウでした。今回は演劇の舞台に焦点を当て、プロデューサーとしてのお二人のご経験や、昨年10月上演の舞台『My Boy Jack』についてもお話を伺うことができました。


近藤富英さんプロフィール



(筆者撮影)


早稲田大学出身。コンサートプロモーター(*)。コンサート、演劇、ファッションショーなど幅広いジャンルのプロモーション業務を担う。2021年7月公演『ロミオとロザライン』プロデュース。


*コンサート、演劇、ミュージカルなどの入場券を販売して集客してそれを元にビジネスを行う。


矢羽々恒弘さんプロフィール




(筆者撮影)



演劇プロデューサーに特化した形で、年に2ー3作品の制作に携わる。クラシックコンサートのプロデュースののち、1998年頃から舞台を手掛ける。2023年4月公演『GYPSY』、2023年11月公演『ロスメルスホルム』プロデュース。



プロデューサーの仕事


──企画・キャスティング・ブッキング・プロモーションなど多岐に渡るプロデューサーの仕事を遂行するには、どのような能力が必要でしょうか?


矢羽々:興味を持つことだと思います。作品を作るにあたって、その作品を自分がやりたいかはとても重要なことなので、そういうものを見つけることですね。「好きこそものの上手なれ」って言いますけど、この仕事に限らず、興味を持たないと続かないので。


あとは、絶えずアンテナを張ることを大切にしています。僕がこれまで関わってきたものは翻訳上演(ウエストエンドもの)が多いんですが、ウエストエンドは今何やっているかとか知りたいなと思うし、情報収集しようと思いますね。今回のロスメル(『ロスメルスホルム』2023年10月~11月上演)も2019年にウエストエンドで上演していて、英国の専門記者が選ぶランキングで1位だったんですよ。今、ウエストエンドでもブロードウェイでも、コロナ禍があけて新しい作品がようやく出てくる傾向にあります。だから、何やってるのかなって興味を持つことは常に行っていますね。


近藤:そうですね。好きじゃないとリサーチってできないですよね。


矢羽々:プロデューサーにしても、どんな仕事でも、その仕事を好きにならないと多分続かないと思うし。僕、学生時代にアルバイトをしていて、ある人から言われた言葉が今でも残っていて。「自分の意にそぐわない仕事が与えられる時もあるかもしれないけど、それを好きにならなかったら次はないよね。だからどんな仕事でも好きになるように努力することが重要なんだ」って。何かを作るうえでそれってすごく重要なんだと思って仕事しています。


──自分から知ろうとする姿勢がとても重要なんですね。


矢羽々:そうだね。あとは、出会いというのは大きいと思います。栗山民也(*)という演出家がいるんですけど、栗山さんとの出会いは僕にとってターニングポイントでした。


* 1989年に『ゴドーを待ちながら』で演出家としてデビューし、その後、数々の舞台を手がけてきた。芸術選奨文部科学大臣賞や紫綬褒章、それに菊田一夫演劇賞などを受けた演劇界の重鎮。


栗山さんとは最初ミュージカルを一本やって、その後、2010年に『イリアス』という舞台をやらせてもらいました。『イリアス』は、世界最古のギリシャ詩作品と言われていて、トロイア戦争の最後の数日間を描いた作品です。


栗山さんは、言葉に対してすごくこだわりのある人で、上演台本を作っていく過程で我々に対しても、「お前これ読んだことあるのか」とか「これ分かるか」っていうように問いかけてこられるわけですよ。僕は読んだことないものがたくさんあるから、食らいつくために読んでました。そうしたら、いつの間にかご一緒していくうちにね、学びが得られたというか。だから、やっぱり出会いを通じて仕事の知識を得るっていうことが絶対あると思いますね。


──近藤さんはいかがですか?


近藤:色々な仕事があるなかで、特にこういった人を喜ばせて楽しませるようなエンターテイメントの商売は、楽しませたいとか、自分が楽しみたいとか、発信力がないと成功しないですよね。どんな作品でも、成立するには何かのきっかけがあるわけです。


例えば2021年に上演した『ロミオとロザライン』。この作品の経緯としては、まず私が鴻上尚史さん(*1)の作品が好きだったんです。それで、コロナ期間に何か面白いことやりたいなって思ったときに、やっぱり自分が好きなことをやりたいという考えに至りました。私の仕事のパートナーで、私と同じく早稲田出身である高田雅士(たかだまさし)さん(*2)と、鴻上さんで舞台をやりたいっていう話をして実現しました。


*1 作家・演出家。1958年、愛媛県生まれ。早稲田大学卒。在学中に劇団『第三舞台』を旗揚げ。94年『スナフキンの手紙』で岸田國士戯曲賞受賞、2010年『グローブ・ジャングル』で読売文学賞戯曲賞。現在は、『KOKAMI@network』と『虚構の劇団』を中心に脚本、演出を手掛ける。

*2 プラグマックス&エンタテインメントに所属し、舞台制作およびプロデュースを職務としている。


私はお誘いされたり、興味があるものに足を運んだりとか、コンサートも演劇も色々見に行ったりするので、色んな付き合いがあるわけですよ。なので、じゃあこの舞台は誰に出演してもらおうかっていう時にジャニーズ事務所(現・STARTOENTERTAINMENT)の公演を見に行った時にマネージャーさんと話していて、誰か舞台をやりたい人はいない?って話の中で、演技頑張りたい子がいるって教えてもらって。そこから、川﨑皇輝(*)さんにこの作品の主演をお願いしようという話になりました。


* STARTO ENTERTAINMENT所属、ジュニア内ユニット「少年忍者」のメンバー。2021年7月『ロミオとロザライン』の主演を務める。


この企画はタイミングが合って実現できたけど、アイディア出ししても実現しなかったものは星の数ほどありますしね。


矢羽々:まあ、考えても全部できるわけじゃないから、そういった意味でも、タイミングとか縁も重要になってくる気がします。



技能継承


──では次に、先輩からはどのように仕事を教わりますか?また、ご自身から後輩への指導についてもお聞かせください。


矢羽々:普通の会社なので、特別なノウハウがあるってことではないですし、自分で見つけてきたというのはあります。あとは、単体じゃできないので、違う会社の方やこの業界の先輩とご一緒しながら、その方々を通してお勉強させていただきました。


──やはりご縁も大切な一つの要素なんですね。


矢羽々:そうですね。徐々に自分でやりたいことが出てきて、それができるようになっていって、やっているうちにノウハウもできて。ただ、地獄を見たことは何回もあります(笑)。ここを抑えなきゃいけないっていうポイントが分かんないんですよ、そういうときって。だから、そのまま進めて爆発するとかね(笑)。


──例えばどんなエピソードがありますか?


矢羽々:一番「そこかい!」と思ったのは、20年前くらいで今は少し違うかもしれないけど、地方に行った時にお弁当とかの食費ってあるじゃないですか。あれって意外に重要だったなと今考えると分かります。でも当時は、ギャラでお金払ってるから食費払わなくていいよねって単純に思ってしまって。例えば、朝ごはんはつけてるんだけど夜ご飯はつけないみたいなね。そしたらその時に先輩に呼び出されて怒られました(笑)。


そういう、結構些細なことが色々あるんですよ。だから、そのときどきで先輩に言われて学んでいくこともあるし、あとは地雷踏んで自分で覚える。


──マニュアルというよりは、その場の経験から学んでいくんですね。


近藤:それが多いかも。何かができるようになったら全部マニュアルにして共有して、そうやって組織を大きくしていくことってあると思うけど、そこで伝わりきらないことが一番大事だったりするように思うことがあります。


例えば、世の中の情報って、テレビの報道だったり新聞やネットニュースに出ている情報よりも、そこに出ていない情報の方が大事だったり、最新だったりするわけですよ。だから私は情報収集するって大事だと思っているんだけど、身体を使って色んなところに赴いて、自分で見たり聞いたり、話をしないと、本当にいい情報は得られない気はするよね。


だから、何をしたいとか何か企画したいとかあるのであれば、パソコンや携帯を見てるより、人に会って話を聞いてくるって方が近道な感じはします、感覚的には。


矢羽々:あと、後輩についての質問がありましたが、その子が何を求めるかによってまた変わってくると思います。プロデューサーは基本的に作品の責任者で収支管理をするのが仕事で、制作は実際に現場を進行していくのが仕事で、ちょっと違うんですよ。若いうちは制作を分かっていないとプロデューサーになれないのでやらなきゃいけないんですけど、制作はどちらかというと受け身の仕事です。反対にプロデューサーは、作品を見つけてきて実現するために動かなきゃいけないので、そういうところが好きな子と、好きではない子と、当然どちらもいるから、その見極めもものすごく重要だと思います。


近藤:もちろん、仕事の工程はしっかりと教えます。大枠で言ったら、企画して、予算立てて、問題なければスタッフィングとキャスティングして、制作過程と本番のスケジュールを組み立てて。それに伴って諸々発生する作業を後輩と一緒に進行する。ただ、そこで教えきれない部分がやっぱり大事というか、それを学ぶには、教える側はしっかり教えるつもりではいるけど、やっぱり学ぶ側の意識がすごく大事だったりはしますよね。


近藤:矢羽々さんは、教えてもらう人がいる一方、自分で経験を積みながらこれはダメでこれは良いんだなっていうのを学び、今に至ってますよね。


矢羽々:ね。まあ当然若い子たちが、現場で地雷踏むのは当たり前のことだと思いますし、色んな事があっても起こった問題に責任を取るのが僕らの仕事なんで。だから、若い子たちは、本人は辛いかもしれないけど、いろいろ経験した方がいいと思います。



現場とプロデューサー


──プロデューサーのお仕事だと、現場に直接というよりは、その前段階の準備や企画のお仕事をされてると思うのですが、稽古の現場にはどのように関わっているのかをもう少し知りたいです。また、そのときにもし、意見を述べることがあれば、どのような気遣いだったり工夫があるのかも教えていただいてよろしいですか。


矢羽々:色んなタイプのプロデューサーがいると思うんですけど、僕は基本的には稽古場にいるタイプの人間です。よっぽどのことがない限りは基本的に稽古場にいて、別に何があるわけじゃないんですけど、いようかなと思っています。


どうしてかっていうと、いないと、やっぱり演出家が何を求めているのかとか、演出家がどうしたいかっていうのがわからないので、それはいたいなと思うのと、やっぱり役者としてみてもプロデューサーにいてもらったほうが、多分、少しは良いのかなあという気がするので、基本的にはいようと思っていますね。


──その際に、何かアドバイスをされたりはするのですか?


矢羽々:例えば、ここをもっとこうした方がいいかなとか、ちょっとここどうなのかなというのは、当然、演出家に対して言ったりすることもあります。


あと、予算のこともあるじゃないですか。結局、セットを作らなければならなかったりとか色んなことがあるので、このままいったらやばいというのが見えているときには「ちょっと勘弁してよ」みたいなことは当然言いますね。


そういうのも結局、稽古を見ていないと何とも言えないので、だからこそ基本的にはいようと思っています。


──演出家さんと演出内容で言い合わないといけない瞬間ってきっと来ると思うんですけど、そうなった場合、どっちの方が最終的に決定権があるのですか?


矢羽々:最終的な決定権はこっちだと思うんですよ。お金を払うのはこちらなので。でも、あまりやりすぎちゃうと、演出家としてはあんまり...ね?


それから、そこも少し力加減がありますね。今回の栗山さんとかだと、それはもう、言っても反撃喰らうのでいつも沈黙させられますね(笑)。


──それぞれ線引きが難しいんですね。


矢羽々:そうね。でも、一つだけ言えることは、皆作品を良くしようと思ってやっているじゃない?やるからにはやっぱり良いものを作りたいし、より良いものにしたいしっていう。それが前提にある話だと思うので、だからこそ色々皆と話し合いはしますね。


でも、別に演出だけじゃなくて、衣装とか色んなのがあると思うので、結局、舞台のセットによって演出部の人数だったりとか転換だったりとか。それのやり方とか全然変わってくるじゃない?そうすると、手数の問題があって、演出部の人数が当初よりも多くなったりとか、色々あるんですよ。


だからそういったものも、結局、稽古場で話し合いをして決めていかなきゃいけないので、基本的にはそういった意味で現場にいようかなと思っていますね。


──近藤さんはどうでしょうか?


近藤:プロデューサーがものを申すタイミングっていうのは、やっぱりお金に何かが影響する時がメインですよね。


矢羽々:そうですね。あとはやっぱり、ここをこういうふうにしたほうがいいんじゃないっていうとき。


近藤:私の場合はケースバイケースですね。基本的には行きたいけど、結構任せちゃうことが多かったりします。ただ、本来あるべき姿としては、稽古の過程が一番色んなことが起こるから、やっぱり稽古の場にいて、そこを把握することはすごく大事だと思いますね。演出家に対しては、演出に求める表現の部分でお金が大きく影響しないところには私は物申さないけど…


矢羽々:基本的には言わないけど、『Oslo-オスロ-』(*)っていう舞台をやらさせていただいた時は、政治的表現の問題とかがあるじゃない?


* 2021.2.6(土)〜2021.2.23(火)に新国立劇場 中劇場で上演された。トニー賞 演劇作品賞をはじめ、数々の演劇賞を受賞、アメリカ演劇界を席巻した舞台Osloの日本初上演となる。主演は坂本昌行。演出は、上村聡史が手掛ける。参考:SCREENONLINE Oslo インタビュー


もともと、オスロ合意っていうイスラエルとパレスチナの合意を描いた作品なので、この言葉って危険だなみたいなところがある時は、それは演出家もわかってると思うので、ここはこうならないか、と話をしたとこはありました。


──私は俳優をやっていますが、その部分は、大人の会話だって言って弾かれる部分なので、普段じゃ聞けない話で面白いです。



プロデュースの始まり


──制作に入る前はいかがですか?


矢羽々:一番最初に作品を決めて、演出家を決めて、劇場をおさえて、ある程度目処がついたら、次にだいたいキャスティングですね。で、同時にスタッフィングを当然していきます。メインは早めに決めないときついですね。


──企画をスタートするときというのは、どういう感じなのでしょうか?


近藤:何かを企画するっていうときには色んな目的があると思うんだけど、面白いとかお金になるとか。


会社員だから、基本的には営利企業なわけですよ。それで、私は何のためにやっているのですかと言われたら、申し訳ないけど、仕事というかビジネスのためにやっているというのが大前提にあって。それは収益を得るためっていうふうに思っているのね。


だから、面白いからやるとだけ考えてるのって、それは、学生だったら良いけど、もう学生ではないので、仕事として、収益を上げてお金を残して税金を払って、社会に貢献するための手段として、自分がこういう商売を生業にしながらやるのが合ってるから今の自分の仕事にしているんですよ。


ただし収益をあげるためと言っても、それもバランスの話があって、お金が儲かりすぎるのも良くない気がしています。


少し話が逸れちゃうけど、たとえば企画があってキャストがいてスタッフがいて、主催者がいたりするじゃない。


あんまり、キャストにお金払わないでスタッフにお金払うとか、逆にスタッフにお金払わないでキャストにお金払うとか、あとは、何もお金払わないで主催者だけお金が儲かるとかすると、バランスが崩れるんですよ。


だから、そのバランスをうまくとりながら、払うべきところに払って、そうでないときはそうでないようにするという舵取りをすることが、大事な仕事だと思ってるんです。


──少し話が戻ってしまうのですが、先ほど、プロデューサーの仕事で情報収集がとても大事だとお話しをされていて、矢羽々さんの場合は「常にアンテナを張る」ことでした。近藤さんも「自分の足でコンサートを観に行く機会も多いため、そこで情報収集をしている」とのことだったので、情報収集についてもう少し教えていただきたいです。


近藤:本当に人によると思うんだけど、自分は大した人間じゃない、普通の人だとずっと思っていて。


だからこそ、色んな人の意見を聞いて話を聞いたりとかして、良いところを吸収して学ぼうという気持ちを大事にしてます。そういう姿勢でいることで結果として、人から話をしてもらえるようになるとか、良い話を聞けるとか、色んなところに呼んでもらえるとか、情報が入ってくるようになるんじゃないかなと思っているところがあるんですよ。


実際、自分も大したすごいスキルがあるわけではないし、近藤さんのこと大好きみたいな人が沢山いるってわけでもないし、見た目も普通だし。一応、スーツ着てると小綺麗に見えるかもしれないから、スーツ着るようにしてるんだけど…


矢羽々:(笑)


近藤:いや、それは本当に。やっぱり小綺麗にしておかないと、皆さんも嫌でしょ?(笑)。そういうこともあったりするんですよ。


なので、情報収集をどういうふうにするかっていったら、謙虚でいることで教えてもらえるようにしているかな。もちろん矢羽々さんにも教えてもらうし、会社の20代の後輩からも教えてもらう。彼女しか知らない情報もあるし。


そういうふうに、人に教えてもらうとか、今日のように学生さんに会ってこういう考えがあるって教えてもらうとか、それが結果的に自分に情報が入ってくるようになるんじゃないかなと思ってるけどね。


──現場に足を運んだり、人と会うときには常に学ぶ姿勢を持って人と接するようにしているということですね。


近藤:そうですね。多分それは別にこの仕事じゃなくても一緒だと思っていて、バイト先でも学校でも一緒だし、家でもそうでしょ。


矢羽々:たしかにそうだよね。自分だけじゃなくて、例えば翻訳の先生とか、ライセンスをしてもらってる会社の人とか、こういう作品あるよって教えてもらって読んで決める場合もあったりするので。


『My Boy Jack』もそうですよ(*)。翻訳の小田島則子先生が勧めてくれて、読んで面白くて、それを、演出家の上村聡史に渡したら、彼も「これやりたいですね」と言ってくれて決まりました。こんなふうに向こうから教えてもらったりとかしますし、僕も何かないですかと聞くこともありますね。


* 『My Boy Jack』は、第一次大戦下の父子を描いた舞台。2023年10月7日(土)〜22日(日)に紀伊國屋サザンシアターほか全国で上演された。演出家は上村聡史。2001年に文学座附属演劇研究所に入所、18年同劇団を退座しフリーに。翻訳家の小田島則子は大学講師。早稲田大学大学院博士課程、ロンドン大学大学院修士課程終了。My Boy Jack公式ホームページ


──矢羽々さんの場合は海外にも目を向けていると仰っていましたが、海外に観に行くこともあるんですか?


矢羽々:昔はよく行ってたけど、今は全然行けてないですね。でも何やってるのかなって自分で探すことはします。向こうに滞在している人に、「今これやってるけどどうなの?」って聞いたりして、それで本を取り寄せて、荒訳出して読んでみて、面白い、やってみたいなと思ったら、演出家に渡して話をして「やりたいです」となったら、実現に向けて動く。こんな感じですね。



『My Boy Jack』について


──『My Boy Jack』についてさらにお話を伺いたいと思います。


矢羽々:シェイクスピアの言葉で「舞台は社会を映す鏡だ」という言葉があるんですけど、やっぱり舞台って基本的に社会に対する提言みたいなものがあるって僕は思っているんですよ。エンターテイメントの舞台も、それはそれで素晴らしいと思うし良いと思うんだけど、でもやっぱり、社会に対するメッセージ性を発信するのって芸術の仕事でもあるし、舞台の仕事でもあるとも思っている。僕は基本的にそういう舞台をやりたいと思っていて、こういう考え方にはさっき言った栗山さんの影響も強いです。


それで、『My Boy Jack』の脚本を読みました。あれは第一次世界大戦の話だけれど、今だって世界はなんかきな臭いじゃない?ウクライナの問題があったりとか、イスラエルの問題があったりとか。


この芝居は昔の話だけれど、普通に今に通じる。戦争ってどういうことなのかとか、そもそも戦争は避けなきゃいけないものなのになぜとか、そういう問いかけを込めてこれをやったら良いだろうと、まず感じました。しかも戦争の話だけじゃなくて、家族の話とか色んなメッセージ性も込められているので、ぜひこれをやりたいなと思ってやりましたね。


──舞台を拝見したのですが、まさに、この時代をふまえた企画意図があるのかなと思っていたので、今それを聞けてとても嬉しかったです。


矢羽々:あとはやっぱり、言葉の芝居であるというのが大きいですね。イプセンの『ロスメルホルム』(*1)とか、そういうのが僕は多いですね。去年、世田谷パブリックシアターでやった『野鴨』(*2)も同じイプセンなんですけど、あれも言葉の芝居なので、僕はそういう作品が好きかなぁ。


*1 2023年11月3日(金・祝)〜5日(日)にキャナルシティ劇場、2023年11月15日(水)〜26日(日)​​に新国立劇場で上演された舞台。​​原作にヘンリック・イプセン、脚色にダンカン・マクミラン、演出に栗山民也。『ロスメルスホルム』公演公式ホームページ


*2 2022年9月3日(土)〜9月18日(日)まで兵庫県立芸術文化センター、世田谷パブリックシアターで上演された舞台。主催はTBS/サンライズプロモーション。作にヘンリック・イプセン、訳に原千代海、演出に上村聡史。『野鴨』公演公式ホームページ


──『My Boy Jack』のプロデューサー目線での一番の見どころはどこでしょうか?


矢羽々:ロリー・ポトル陸軍大佐役の佐川さんが二幕のところで、上官を見捨ててしまうことに対して葛藤するシーンがあるじゃないですか。そことか、エルシーがキャリーに向かって「家族は守ってくれないの」と訴えるところとか、メッセージ性がいろんなところに込められているのかなと思いましたね。


──上官が葛藤するシーンは印象的でした。ああいうところは結構間延びがしやすいなと思ったのですが、それをあんなに引き込ませるというテクニックがすごいなと思いました。


矢羽々:演出した上村聡史って、小川絵梨子、森新太郎なんかと並んで、あの世代だと日本のトップの演出家の一人だと思うんですよ。それで、言葉に対するこだわりがすごい。


上村くんは本読みがすごく長いんですよ。だから立ち稽古が始まる前に、本読みを5日くらい5、6回して、その間に役者の方からの疑問点を聞いて、共通認識を植え込む。それから立ち稽古に臨むんですよ。そういうカンパニー全体のこだわり、言葉に対する共通認識があったから、間伸びしなかったと思うんです。なぜこの言葉があって次に繋がるのか、というのと、あと、演劇やってる人ならわかると思うんだけど、言葉がないシーンが結構重要じゃない?


──はい。


矢羽々:それがそこにあるってことは、言葉はないけど必要だからあるわけじゃん。それで何を求められているのかを自分で考えなければ、理解しながらその場にいなければならない。それに対する共通認識もあったからキュッとなったのかなと思います。


──ありがとうございます。では、振り返ってこれがプロデューサーとしての腕の見せ所だったと思うのはどんなところでしょうか?


矢羽々:良いキャスティングはできたと思います。


──キャスティングに関してもアンテナを張っているんですか?


矢羽々:普段舞台を見に行って見つけたり、事務所の人と交渉したりしますね。


近藤:見たことない人のキャスティングはできないですよね。この子が人気だから、この子がいいからとかだけではわからないから、やっぱり見に行かないと、どういう時にどういう表情するのかを見ないといけない。動きに癖がある子もいる、姿勢がこうとかある。何らかの形では絶対に見にいく。


矢羽々:ちょっと言葉が違うかもしれないけど、カンパニーの中にちょっと動きが違う子がいたら浮いちゃうじゃないですか。それって本人に対しても不幸だし、カンパニーに対しても不幸なので、そこはちゃんとしなきゃなと思う。出ていただく以上は、何かを経験として何かを持ってもらって帰って、出てもらった方が良いので、そこは重要かな。


それからプロデューサーとしての腕の見せ所と言えば、そもそも縁を大事にしてきたからこの企画がうまくいったということですね。


──縁ですか。


矢羽々:『My Boy Jack』の少し前に『GYPSY』(*)というミュージカルをしたとき、演出家のクリストファー・ラスコムさんがいたんですよ。で、幕が開けてその人がロンドンに帰るって前の晩にご飯を食べたんですね。そこで、「次に何やるの」と言われて、『My Boy Jack』をやるんだという話をしたんです。


* 2023年4月9日(日)〜30日(日)で東京芸術劇場プレイハウスで上演された舞台。脚本に、アーサー・ローレンツ。演出は、2016年『Nell Gwynn』でローレンス・オリヴィエ賞新作コメディ賞を受賞した、クリストファー・ラスコム。製作はTBS/サンライズプロモーション。公式HP


そしたら本当に偶然なんですけど、ラスコムさんが「デイヴィッドは、前に僕の舞台に出てくれたんだよね」と。デイヴィッドというのは『My Boy Jack』の作者のデイヴィッド・ヘイグで、彼は役者もやっているんです。縁がまた繋がったなと思いました。それでラスコムさんが「イギリスに帰ったら彼によく言っとくから」って言ってくれて、実際に言ったらしくて、ヘイグさんから「わかんないことがあったらメールしてね」とメールがきたんですよ。


──まさに縁ですね。



今後について


──コロナ禍を経て、劇場内で気をつけなくてはいけないことが多くなったかと思います。実際、プロデューサー業に変化はありましたか?


矢羽々:コロナの影響はある程度落ち着きましたが、まだまだお客様が戻ってきていないように感じています。だからこそ、コロナが流行る前よりもちゃんとした良い作品を作ることで、少しでも興味を持ってもらえるようにしなくてはいけない。


近藤:コロナの影響で夜に人が出歩かなくなったり、電車の本数が減ったりと、世の中の動きが変わっています。そんな流れは、演劇界にももちろん影響していて。今の僕たちが大切にしなくてはいけないのは、この環境の変化にどう対応していくのか、その能力が大事なんだと思います。コロナの前はこうだったから、という気持ちでいては何も変わりませんから。


例えば、夜に出歩く人が減ったならば、開演時間を早くしたり、そんな少しずつの積み重ねですね。


ただ、コロナのように大きく変化する事は特例で、普段、変化は徐々に訪れます。なので日頃から、ニュースなどから拾い集めるなどの方法で人の足並みや、世の中の雰囲気など、変化に対してアンテナを張っています。その環境のなかでどのようにこちらが合わせていくかという変化への気づきと対応力を、プロデューサーは試されている気がしますね。


──今は何が求められているのでしょうか。


矢羽々:最近、外国からの観光客が増えましたよね。観光する目的として、その国の文化を知りたいというのが大きいと思う。その文化の一つとして、舞台は大きなコンテンツなんだよね。だからこそ、翻訳だけじゃなくて日本の作品も含めて、作品をしっかりと作っていくことが今後求められているものなんじゃないかな。


──コロナの流行によって、公演期間中に当日券が販売できなくなったり、公演が中止になったりと、予期しないトラブルが起こっていたかと思います。コロナ前は少なかったこのようなアクシデントに対応していたのはプロデュース会社かと思いますが、その際のノウハウはどのように身につけていたのでしょうか。


矢羽々:今までも、インフルエンザで中止になるようなことはありましたが稀な出来事でしたし、同じ中止でもコロナの場合は状況が大きく違いました。一度中止になると一週間ほど閉めなくてはいけなかったり、濃厚接触という制度もあったんだけれど、その基準も非常に曖昧だったりして。未知なるものとの戦いで、現場全体が右往左往してしまいました。アクリル板の調達やPCRなどの検査費用も馬鹿になりませんでしたしね。


近藤:コロナ前のたまにある中止の時の対応はそれなりにマニュアルがありました。ですが、コロナに対する対応の仕方は本当によくわからない部分が多かったので、たくさんあるプロデュース会社が横で連絡をし始めて、そのなかで情報の交換がされていました。これはとても珍しい状況でしたね。


もちろん業界としての繋がりはありましたが、会社ごとそれぞれで興行をやっていますから、お互いどう対応するかの連絡の取り合いは珍しいことだと思います。我々演劇業界だけでなくコンサートの主催会社も含めて、世の中の情報や繋がりのある国会議員さんの方針とかを共有し、聞きながらやっていました。


矢羽々:緊急事態ネットワークが立ち上がったこともありましたからね。


近藤:再開のするしない、中止にあたっての対応で会社同士で差異がありすぎると批判の対象になりかねませんから。周りと調整しながらやっていました。


──アクシデントの際の対応にあたって、プロデューサーとして一番大切だと感じた部分はありましたか?


矢羽々:私の場合、幸いなことに自分の公演は中止にならなかったので実際のところはわかりませんが、そのような事態になった時は、役者やスタッフに対して説明をする必要がありますね。プロデューサーは作品の最終的な責任者なので、そこがぐらついてしまうと関係各所が不安になってしまいますから、たとえ答えが出ていなかったとしても、その理由を含めての説明をするという責任が一番最初にあるんだよ。会社内でのお金の話はその後ですね。


──コロナウイルスの流行などで大きな変化があり、それに対応してプロデューサー業にも多くの変化があるとのお話でした。最後になりますが、プロデューサーとして、これからも変わらない大切なものはありますか?


矢羽々:例えば、チケットの販売方法や作品の宣伝方法は、ネットなどいろいろなものが発達することで変化があるものですね。作品の内容に関しても、映像を使ったり、新しい機構を使ったり、演出の方法としては変わっていくんじゃないかな。でも、本質的な「作る」という作業は基本的には変わりません。


お客様は、作品に対してお金を払ってくださっていて、時間もいただいている。いろいろな選択肢の中で、舞台を見にきてくださったことに何よりも感謝の気持ちがあります。それに見合うものを作らなくてはいけないんだろうなと思うし、それが基本的には一番大事なんだと思っています。観に来てくださるお客様に感謝の気持ちを持ち、責任を持って良い作品を制作しお届けするという、根本は何も変わっていませんね。


──本日は舞台のプロデューサーが作品を成立させるためにどのようなお仕事をされているのか、大切にされていることは何か、たくさん教えていただきました。本当にありがとうございました。


矢羽々:こちらこそ、ありがとうございました。


近藤:私としても学ぶことがたくさんありました。ありがとうございました。



編集後記


折笠


移り変わりの激しい世の中の動きやニーズに合わせて作品を生み出すというプロデューサーのお仕事は、センスや才能だけで成り立つものなのではなく、常にアンテナを張りながら勉強し続ける努力があるからこそだということにお話を聞いて気が付きました。また、好きになる努力をすることが仕事を続けていくうえで大切だということと、人脈で仕事が繋がる場合が多いというのが個人的にとても刺激的に感じ、違う業種の場合でも通じることなので、この先の人生心に留めて活動していきたいと思います。



和田


私の中でプロデューサーという仕事はかなり不透明でしたが、お二人にお話を伺い、演出面以外のほぼ全てに携わると知りました。自身の持つ情報や働きかけによって、いかようにも舞台を昇華できるところが面白さだと思います。特に、常にアンテナを張ることで興味や知見を広げているという部分がお二人とも共通していて、この姿勢はこれから社会人として働いていく上で大切にしていきたいと感じました。また、観劇させていただいた舞台の裏話を聞くことができたのも貴重な体験でした。



新井


自分も演劇をこれまでやってきたので、舞台づくりの根幹であり重要なプロデューサーというお仕事についてお話しを伺うことができて、貴重な体験になりました。お客様や、舞台を観る人の視点になって考えることが重要であると学んだと同時に、変化が激しい世の中の動向や、人々のニーズをいかに読み取り取り込むことができるのかが大切なのか気付かされました。演劇や、プロデューサー業問わず、どの職業においても必要不可欠な力で、それがあってこそ、良い舞台や物、コトが生まれるのだと思いました。「パソコンや携帯を見てるより、人に会って話を聞いてくるって方が近道」というご発言がありましたが、これから社会人として、新しいことに沢山挑戦していく中で、より多くの人を巻き込みながら行動していきたいと思いました。



宮本


プロデューサーは、全員を目指す方向に導きつつも演出面で創造力・芸術性も発揮する役割であることを再認識することができました。お二人の作品全体に対する姿勢も勿論、演者の方からスタッフさんまで一人一人との繋がりや関係を大切にしており、人間の手によって作り上げる演劇の良さ・奥深さを実感しました。特に、近藤さんの、「エンターテイメントの商売は、楽しませたいとか、自分が楽しみたいとか、発信力がないと成功しない。どんな作品でも、成立するには何かのきっかけがあるわけです。」この言葉が印象的で奥深く、今後そのきっかけ探しを模索し見つけ出していける人間になりたいと思いました。改めまして、私自身の将来の夢にも近いお仕事をしているお二人のお話を聞くことができ、非常に貴重な体験でした。いただいた言葉や演劇への姿勢を大切に、自分の人生と重ね合わせながら生きていきたいです。



宮藤


舞台という生の作品は、本当に多くの人が関わっています。その全てをまとめる責任者となるプロデューサーの立場からお話を伺う機会はとても貴重な経験でした。時代や環境によって、人の動きやニーズが変わっていく事は必然で、過去に捉われることなく、情報を集めながらその変化に対応していく能力は、プロデューサーのみならず、今の時代を生きる我々にとっても大切な事だと感じます。その上、変化させてはいけない大切なものをしっかり持つ事の大切さも学ばせていただきました。


コメント


  • Instagram
  • Twitter

©2020 by 立教大学映像身体学科芸能研究ゼミ。Wix.com で作成されました。

bottom of page