石井漠の舞踊思想
- ゼミ 横山

- 2022年5月24日
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寺門佳湖
この記事では、私が卒論で行った研究を紹介します。
研究の概要
ダンスという言葉を思い浮かべて今日私たちと取り巻くものは、ヒップホップ、クラシックバレエ、ジャズダンス、アイドルのダンス、コンテンポラリーダンスなど、非常に幅広くあります。戦前の日本では、アメリカやドイツに続き、モダンダンスという肉体や精神の解放を目指したダンスが独自に発展しました。私は卒論において、日本のモダンダンスの祖とされている石井漠の舞踊思想を研究しました。
石井漠は一体生涯を通して、人々に舞踊をどのように捉えて欲しかったのでしょうか。従来、舞踊態の変化やリトミックとの関わりについては研究されてきましたが、彼の舞踊に対する思想に迫ったものはありませんでした。これを明らかにすることで、モダンダンスという極めて曖昧なダンスを輪郭づけたいと考えました。
研究では、彼の生涯を詳に記した弟子や息子の著書、および作品分析等の先行研究を読んだうえで、石井漠が失明後に残した著作を材料としました。以上から、私たちの生活を取り巻くリズムによる快感や、そこからうまれる健やかな創造力が舞踊の出発点であるという思想の軸を明確にしました。
論文の紹介
以下では、研究の成果を一部紹介するために、第1章の内容を要約しました。ここでは、リズムと音楽という大きな枠組みから石井の思想を紐解いていきました。
舞踊の本質
そもそも舞踊とはなんでしょう。石井は「快楽を與へる運動、これを見る者にも同じ共感作用を起すところの運動、即ち肉体の律動的(リズミカル)な運動を舞踊と呼ぶ」としています(石井漠『舞踊芸術』玉川学園出版部、1933年)。つまり、踊る人も見る人も同じリズムを感じて気持ちよくなる運動です。
さらに彼は、人間ばかりではなく、獣や神々さえもリズムによって興奮し、ここに狩猟の舞踊や宗教的な舞踊が発生したと述べています。リズムを感じ取ることは人にのみ備えられた能力ではなく、生きているものすべての本能的な部分と結びついているのです。
そして、舞踊は娯楽として扱われる場合「つくる」という言葉、芸術作品として扱われる場合「生まれてくる」という言葉が適当であるとしています(石井漠 『舞踊の本質と其創作法』人文會出版、1927年)。
これらから、自分の意思とは関係なく、リズムから快感を得て自然に身体が動いてしまう状態が石井の定義する舞踊の本質なのではないかと考えました。
リズムと拍子
リズムは私たちの生活のあちこちに存在しています。石井は、以下の通り、リズムがいかに生活の中に溶け込んでいるか、時計の音を例にして解説しています(石井漠『舞踊芸術』玉川学園出版部、1933年)。
チック、チック、チック、チック、チックと鳴り続ける音に、よく耳を傾けて御覧なさい。するとやがてその無際限に連続する音が、チック、タック、チック、タック、チック、タックといふやうに拍節を刻んで聞えてきます。何故でせう?これはつまり物質で作られた時計の動きにまで、リズムが強制されている証拠であって、我々の心意が無意識なセコンドの音にまでリズムを求めるからであります。我々の心理の耳は知識の耳よりも鋭敏であります。(120-121頁)
本能的な部分と結びついていると先述しましたが、ここでも、我々は無意識にリズムを求めているという石井の考えが見て取れます。
無限のチックの聞こえ方は様々で、強調される音とそうでない音で拍子ができます。これらを組み合わせ、小節として舞踊の練習に使いますが、石井は外的な拍子に頼ろうとしても生命のない運動になってしまうと注意喚起をしています。
さらに「リズム感覚のないのは、いくらやってもだめだ。運動させてリズム感覚の、よし悪しをみわけるには、脚が床につく瞬間、床を離れる瞬間をみるとわかる。(中略)いわゆるカンの動きというものが大切」と述べています(石井漠、森徳治、柴田勝「石井漠先生を囲んで」、『近代教育』、1950年、2月号)。
気づかぬうちに、生活の中で聞こえてくる音にもリズムを求めて、拍子やアクセントを練習に活用しますが、囚われすぎてはいけません。生命の宿った舞踊にするためには、内面や感覚を大切にするという石井の考えがより鮮明になりました。
音楽と舞踊
石井は舞踊創作の基本を歩行としていましたが、訓練に入る前の段階で、物の動きと音は一体であるから、創作をしようと思う人はまず音楽から思いを練り、音楽によって創作欲を掻き立てると良いと言及しています(石井漠『舞踊の本質と其創作法』人文會出版、1927年)。歩行の練習も基本的なことのように思われますが、耳を澄まして音を聴き、自分の内面から創作への意欲を湧き立たせることの方が重要なのです。
石井は音楽を用いずとも舞踊が浮かび出るようになるという無音楽舞踊の段階に達しています。無音楽舞踊について彼は、舞踊家からすれば純粋に肉体の動きのみで踊ることはできるが、踊る者と見る者の関係があってこそだから、ある動きの時に心の中で音を想像したいという要求を充足させるために音を使うとしました(石井漠『世界舞踊芸術史』玉川学園出版部、1943年)。そして、彼の舞踊は言葉の通じない海外の人間にも評価されるに至ったのです。
音楽は踊るために必ずしも必要なものではありません。しかし音楽を学ぶことで、さらに意欲的に舞踊の創作に取り組むことができると考察しました。
石井は、難しい技術や智識を習得するよりも、暮らしにアンテナを張り、豊かなリズムをできるだけたくさん感じられるようになる方が、舞踊創作には有効であるという主張をしていました。
最後に
自分が長い間踊ってきたモダンダンスについて掘り下げたいと考えていたので、入学以来の思いを叶えられて嬉しかったです。思想をテーマにすることで、身体の動きの分析に終始しない論文が書けました。
3年生の夏という早い段階で石井漠の研究をすると決めてから、なかなか思うように進められない時間も多くありました。しかし、執筆はできなくても、少しずつ文献を読み、実際に石井の著書に書いてある動きを試してみたり、自分がかつて所属していたスタジオのお稽古と重なっている点を見つけたり、地道に楽しみながら継続できました。
ワクワクしながら取り組む姿勢を持つことは、これから何をするにしても変わらず大切にしていきたいと強く思いました。

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