芸人らしくあれ
- ゼミ 横山
- 2024年12月17日
- 読了時間: 24分
更新日:1月7日
太神楽 翁家和助氏・翁家小花氏インタビュー
新井、上田、宮藤、工藤、松本、吉岡、矢鋪
2024年9月28日(日)
翁家和助氏プロフィール

1977年6月3日生まれ。1995年国立劇場第一期太神楽研修生になる。1998年に研修修了後、落語協会で前座修行開始。1999年前座修了、翁家和楽師匠に入門。翁家社中の太神楽曲芸師として活躍中。(https://www.rakugo-kyokai.jp/members/tcanw33p-w 一般社団法人 落語協会ホームページより引用)
翁家小花氏プロフィール

3月14日生まれ。2004年国立劇場第3期太神楽研修修了後、翁家小楽師匠に入門。同年、落語協会に入会し、前座修行開始。2005年に前座修行修了。翁家社中の太神楽曲芸師として活躍中。(https://www.rakugo-kyokai.jp/members/tcanw33p-w 一般社団法人 落語協会ホームページより引用)
始まり
──インタビュー記事を拝見したのですが、和助さんは、太神楽を雅楽だと思われていたそうですね。
和助:楽屋実習っていうのが卒業前、半年ぐらい前にあるんですよ。そこで寄席の楽屋に行って、噺家さんのなかに行ってみて、「これは雅楽じゃないな、思ってたのと違うな」って気づきました。演芸?落語?そんな感じですね。
──それでも続けられたのはなぜでしょうか。
和助:そのときには好きになってますからね。散々稽古してきてるわけですから、雅楽じゃなくても、雅楽でもどっちでもいいやみたいな感じでした。できないことができていくから、楽しいですよね。「まあいいや。この世界楽しそうだな」という気持ちです。
──小花さんについてもお聞かせいただけますか。
小花:伝統芸能には興味あったんですけど、大学ではいまいちよく分かってなかったです。大阪出身なので、伊勢太神楽とかの、寄席とは関係ない太神楽のイメージが強かったですよ。「寄席ってなんですか?」「演芸ですか?」「面白いことしなきゃ」「どうしよう」みたいな。寄席演芸の太神楽と、太神楽本来の意味合いは、また違ったりしますからね。「神事芸能です」って寄席でやっても「なにこれ?」って反応をされちゃいます。だからと言って面白ければなんでもいいってわけでもないので、そのあたりは難しいと思っているところです。
──太神楽の魅力とはなんでしょうか。
和助:頭で考えるというよりも、心です。心で考えて、心で考えたものを頭に移して、頭で考えたものを手先にいくっていう考え方がある。だから、パフォーマンスの演出とかで、考えて手先にくる前に、「お客様の心に幸せが届くように」とか「悪いことが起きませんように」と心でまず考えてから頭にあげます。これで傷つく人いないかなとか、嫌な思いする人いないかなとか。太神楽は、心、頭、手の順番だね。
曲芸と向き合う
──パフォーマンスについて、映像では手元に集中しているように見えたのですが、パフォーマンスの最中に意識している身体の部分はありますか?
和助:体のことを考えると、かえって動かなくなるので、あまり考えないようにしてるかな。まあ集中はしてるんだけど。
小花:集中はしなきゃいけないんですけど、ふと「あれ。これどうやるんだっけ」って思った途端に気になってしまいます。「あれ?わかんない」「右手左手どっち使うの?」くらい。毎日無意識にできるぐらいに練習しているので、下手に意識したり、「あれなんかちょっと調子悪いかもしれない」と思うと途端に気になっちゃって、失敗します。だからあまり考えないようにいつも通りに芸を行ってますね。あと、お客さんがわー!って盛り上がりすぎて、ちょっと浮かれてイェーイみたいな感じにすると、失敗することもある。平常心も大事です。
和助:稽古では名人だけど、人前に出るとやっぱりちょっとダメということはあります。調子悪いときなんかは、披露する芸から抜いちゃう。どんどんできなくなっていくから。三日くらい抜いちゃってね、復活してきたら、またやり直すみたいな。
──調子が悪いというのは自分でやってるときに感じるものなのでしょうか。
和助:そうですね、「あ、調子悪い」って。これも経験ですね。20何年やってきてるから、ちょっと調子悪くなってきてるなと感じたら、あのときこういうふうに悪くなっていったからここはパッとやめようとか、前の経験が活きてきてだんだん判断力がついてきました。そのときは1週間ぐらいやめたりして、次は気楽にできる日にやります。お客さんが5人くらいしか入ってないときあるじゃないですか。5人くらいならダメージ少ないから気楽にできるんですよね(笑)。うまく成功体験を増やしていくんです。これも経験ですね。
──その日のパフォーマンスをした感覚とか体験というのは鮮明に覚えているものなのでしょうか?
小花:特に覚えているとかはないですが、なんかあったときに「あのとき大丈夫だったから大丈夫」って思い出すようにはしています。
──それが自信につながってるのでしょうか?
小花:そうですね。失敗したことを思い出すと、そっちに引っ張られてまた失敗しちゃうので「あのときは良くなかった。集中すれば大丈夫」とか「もっと酷い状況でもできたし、今日はあのときより良い条件いいから絶対できるはずだ」って言い聞かせて。「大丈夫大丈夫」って常に言い聞かせる感じです。
和助:そうだね、自分は言い訳を見つけるのは上手いかもしれないですね。たとえば「湿度が高かったからな、湿度がなきゃ大丈夫だったよ」とか「ちょっと照明強かったな、あれで見えなかったから」とか。だからなんかのせいにしちゃえば、メンタルが追い込まれていくことはないからね。考えすぎないのが一番なんです。
メンタルが追い込まれてしまってできなくなっちゃったことも実際あって、そこから負の連鎖が続くのが凄く怖いんです。気がつくと、もう高座が怖くなっていて、12時間くらい稽古してる日とかありましたから。12時間も稽古してるから腱鞘炎みたいになっちゃって、そんな状態で高座に出たって、もう実際にはできないんですよね。
──プレッシャーは逆効果なんですね。
和助:絶対だめ。だから緊張した状態で稽古しないように、と今の生徒達に教えてます。講師で行っても、緊張感を与えないような感じでね。
──師匠の方との教え方とはまた全然違いますか?
和助:あー、もう全然違う。凄くピリついてた。
小花:ダメなとこを追求されるとどんどんできなくなるけど、むしろ追求する方だったよね。「ダメだぞ、そこダメだぞ」って。100%できないなら、次には行っちゃダメだって。
──今は生徒さんにどのように教えているのですか?
和助 : その人に合わせて教え方を変えてます。同じ技をやればやるほどわからなくなることもあるから、じゃあ別の方向から攻めてみよう、とか、直進がダメならじゃあ次はこっちから回って稽古を進めてみよう、とか。その点が自分の師匠とは違いますね。ただ、熱量の強い子は、だんだん炎が消えてっちゃうんだよね。で、1度消えちゃうと、なかなかもう1回火つけるのはね難しい。自分も一つの技に3年って言ったけど、1年間でもう「やってられるかこんなもん!」って部屋の隅に投げつけてた時期があって、そこから火をつけるのに時間がかかりました。
──神楽において大事な力は何ですか?
和助 : 私は「曲芸力」っていうのがあると思うんですよ。全般的な、曲芸を覚える力。どんな技を覚えるとかじゃなくて、いろんな技を覚える。覚えるほど、コツを掴むのが早くなっていくから、覚えるのが早くなってくっていうね。だから、今はできない曲芸だけど、他の技で色々覚えていってれば「あ、こんなのでなんで苦労してたんだろう」って感じるくらいパッと覚えられたりするんです。
小花:久しぶりにやったらなんかできた、みたいなことがあります。
和助:だから半年やっていない技があっても、その間に他の技も稽古してるわけですよね。その間にも曲芸力が上がってるわけですよ。曲芸力が上がった状態で、またやっていなかった技を始めると、「あれ、ちょっとできるようになるかも?」みたいな。そういう狙いもあるんです。
──技を見ていると、筋力とか体幹が大事なのかなと感じました。トレーニングにはどのようなことをされているのでしょうか。
和助:トレーニングはしますね。この「綾撥」をとにかく高座前に1時間くらい、ひたすら何回も何回も一通り練習してるんですよね。これは別に高座でやるわけじゃないんだけど、毎日これを、ルーティーンのようにやるんです。このあとに別の「一つ鞠」って言うのを15分ぐらいやる。投げ物でもちょっと違うんです。これらを何往復もするんだけど、これはトレーニングになっていると思います。で、そのときに今日の調子どうかなとかいうのを確認する。
あと、曲芸の稽古のルーティーンとかは、「綾撥」30分、「鞠撥」15分、続けて「輪っか」をやって、最後に「土瓶」10分から15分やって、「よし!だいじょうぶだ」って出かけます。だから、高座の前に大体1時間から1時間20分くらい。これはあくまで高座の前の稽古です。これだけじゃないんですよ。午前中に、「籠鞠」を三往復ぐらいやったり、他にも色々あります。
──代表的な芸はなんですか?
小花:「五階茶碗」は一番代表的かな。よく寄席でやられます。研修の子達はこれをやる前に立てるのを覚えるんですが、顎の上に立てるようになったら、バランス取れるからって言って道具を渡されて。それがだんだん増えていくんです。
和助:これは「抜き扇」って言って、これを一番最後に覚えるんだけど、研修生は半年かかってたね。鞠が入ってるんです。本当は白なんだけど、気に入ってる糸が売ってなくなって、何十年も使ってるから黄ばんでしまっています。でも変えるのが怖くて変えてないんです。
──おー! すごい!
和助:ね。これは一番の見せ場です。綺麗でしょ。綺麗だし、すごいじゃないですか。昔の人はよく考えたよね。

“らしさ”の伝承
──動画を拝見したところ、ナイフを取り合う芸のなかで、お互いを遮る動作や師匠(和楽師匠・小楽師匠)のコミカルな表情が継承されているような感じがしました。流派ごとの特徴があるのでしょうか。
和助:毎日一緒にいるので似てくるんですよ。なので、習っていなくてもだんだんと似てきますね。
小花:師匠が頭の中のイメージだから、やってると自然と近づいちゃっているみたいな感じですね。
和助:そうそう。師匠と一緒に、過ごしたり話したりしてるうちに、だんだんと師匠の口調とか雰囲気が似てくる。理屈じゃないんだよね。なんとなく、芸人の匂いを纏うというか。だから一門ごとの雰囲気というよりも、自然に染み付いていったんじゃないかなと思います。これは不思議なものですね。自分たちも真似ているつもりはないんですよね。
小花:ナイフの取り方とかは流派によって、広げて取るとか狭く取るとか多少の違いがあって、そういう部分は直されるので、形は似てくるとは思いますね。でも表情はずっと師匠を見ているから、つい無意識にやっちゃっているのかな。
和助:「師匠、唇尖ってんな」って思ってたら、気づいたら自分も尖ってた。
──能楽などの内弟子制度とすこし似ているのでしょうか。
和助:そうかもしれないです。演芸だろうが伝承芸だろうが、芸事は全部通じているから。どの芸にしてもお客様に喜んでいただく。自分が作ったネタじゃなくて伝統芸として、ご先祖様が一生懸命作って繋いできてくださってる芸能だから、それはずっと綿々と「こういうふうにしたらいいぞ」っていう教えがあるわけです。
元を辿ると、芸能の神様である猿田彦に続く精神。「ずるいことするな」とか、「感謝の心を忘れるな」とか「人々が喜ぶことをしろ」とか。共栄共存。色んな人がいてそれぞれ違っていい。でも共に栄えて、共に生きていきましょうというような教え。それを大事にしてると、芸能としては、ちゃんとしたものが伝わっていくっていうような考え方ですね。これは、お能だろうが歌舞伎だろうが日舞だろうが落語だろうが太神楽だろうが、それはもうみんな共通してるから。
内弟子でも、師匠の家で掃除がうまくなったからって落語が上手くなるわけじゃない。犬の散歩を4時間しても、太神楽は稽古できない。けど、一緒にいるだけでなんとなく自分も芸人ぽくなっていく。どんな芸能も一緒です。
いい言葉があってね。「らしくあれ、でもぶるな」。「芸人ぶるな。らしくあれ」、「前座らしくあれ。でもぶるな」、「二つ目らしくあれ、でもぶるな」。自然とそうなっていくってことですよね、体がそこに行ったら、そこで一生懸命やると。「俺は真打なんだよ」ってぶると、それは全然成長しないんだけど、なんとか「真打らしくやんなきゃ」ってやってると、だんだんそれが真打らしくなる。
──師匠に、自分がこうしているからこうした方がいいよという教えはありましたか。
和助:それは、あまりなかったかも。けど、毎日高座で一緒にやるでしょ。前でやっていると、和楽師匠と小楽師匠の声が聞こえてくるの。「こいつサボってんな」「やっぱりワキ(寄席以外の仕事)にばっか行っているとダメなんだよ」という感じで言ってるんですよ。「あ、ほらまたこれ失敗する…あーほら失敗した」とか「(鞠が)手についてねんだよ、手によ」とかね。
小花:おじいちゃんになってたんで、「昔俺はやったけど」とか「それは違うよ」っていう指摘はしてくれるんですけど。見本を見せてくださいよ!とか言っても見せてくれなくて。「違う」とだけは言うんです。
和助:俺は稽古を勝手に始めるんです。そうすると師匠は「てめえ誰が教えたんだ!」って怒りつつも、「その技やってたんじゃいつまで経ってもできねえぞ。この技から始めろ」と言ってくれるんです。この手ほどきを教えてもらえたのがでかいです。たとえば一つ鞠でね。
──(立ち上がり、一つ鞠を手に取る)

和助:一つ鞠って10分くらいある曲芸なんだけど、最初にこれから習う(右手の人差し指の側面に乗せる。上図参照)。これね、一回も拍手起こったことないんですけど、一年くらいかかるんだよ。
これができるようになったら今度これ(同じ要領で鞠を首の横まで持っていく動き)。(鞠を)戻して。ここまで行ったら今度、首に乗っけてまた戻すっていうのをやるわけです。衣紋流しといいます。だから、この稽古方法を師匠から「まあ大体こんな流れだ」「こうやって覚えとけ」みたいな感じで、衣紋流しの覚え方の順番をパパパって教えてくるわけですよ。もうそれ以外ないんです。
小花:「手が低いぞ」とか「曲がってるぞ」「もっとまっすぐだ」っていうようなのは時々茶々入るんだけども。あとは一つの技ができるようになるまで次に進めない。けど、鞠がおでこと耳に乗るようになると、転がして、頭越えていくっていうのができるようになる。これやってて意味あんのかなって思うけど、繋がってすごい技になるので。
──研修生を指導する際に「急がば回れ」と仰っているのにはどんな意味があるのでしょうか。
和助:だから地味な最初のところを抜いて一段飛ばし、二段飛ばしで行っても、結局その飛ばした二段をもう一回やりに戻ってこなきゃいけない。いきなり土瓶やりたいから、いきなり土瓶乗っけちゃうわけですよ。そりゃあできないよ。見栄えのいいのだけやってても、結局見栄えのいい土瓶は全然乗らないから、結局ここに戻ってこなきゃいけない。
──そういう意味で「急がば回れ」って仰っていたんですね。
和助:そうそう。だから「急がば回れ」。急いで覚えたって、一年も二年も変わらないからね。それよりは、きっちり小学一年生の勉強ができたら、二年生の勉強、できたら三年生ってやってくと、気づいた頃には大学四年生の勉強ができるようになる。いきなり大学四年生の勉強なんか無理だからね。
芸
──そのときの会場のお客さんや演目によって、今日は芸の内容を調整されているということですが、その判断は経験や感覚によるものでしょうか。
和助: 寄席によってお客さんが違うなってのが分かってきたんですよ。浅草演芸ホール、新宿末広亭、鈴本演芸場、 池袋演芸場、あと、そのワキですね。寄席以外のお客さん、年配の方とか子どもとかによって、全部やり方を変えないといけないんです。
小花:やる芸は大体一緒なんですけど、その見せ方を変えます。
和助:挟み込むギャグとか間もちょっと違いますね。 浅草ホールなんかは初めて来るようなお客様が多いから、寄席のやり方でやっててもダメなんですよ。寄席は、とにかく笑わせてくれ、楽しませてくれ、盛り上げてくれっていうような場合に、とにかく演者が笑いを取りにいったり、なるべく簡単にしたりします。
扇子で出ていって「うわーなんか始まった。すげえ」ってなったところから、五階茶碗で驚かして、土瓶で締める。出刃皿っていう包丁をぐるぐる回すと「え、包丁待ってるわ。すげえ終わった!」みたいになるので、その間に笑いを入れてます。
小花:でも、これを新宿に持っていくと嫌われますね。
和助:というのは、浅草演芸ホールも鈴本演芸場も演芸場なんです。末広亭だけ亭なんです。末広亭の高座だけ、お座敷を意識した床の間があってね、掛け軸が掛かっている。お客さんがお座敷遊びに来たっていうコンセプトの小屋だから、出てくる演者はお座敷芸っぽいんだよね。品のいいものを見せないとお客さんには合わない。いや、お客さんはそこまで感じてないんだけど、その高座の雰囲気には合わなくて、ちょっと素敵な芸をやるような雰囲気だから、一つ鞠とか土瓶みたいに、あまり埃が立たないものでいくんです。
お座敷で埃をバタバタたてられると嫌でしょ。だから静かに、「一つ鞠をご覧いただきます」っていうと「粋だね」ってなる。新宿なんかはこの一つ鞠が絶大な力を発揮しますよ。「うちは大人の社交場だから大人を楽しませてくれ」と言われるのは、目の肥えたダンディな紳士みたいな人たちを楽しませる場所だからです。
──やっぱりお客さんの笑顔を見ることがやりがいにも繋がっているんでしょうか。
和助:そうですね。お客さんが喜んでくれたり、盛り上がってくれるためにやってるからね。
──芸はどのタイミングで決めていますか?
和助:出てから決めることもある。だから道具も7つぐらい出しといて、どっちにいくか分からないパターンもある。とりあえず、7つぐらいはできるようにいつも持っているんです。
──段取りとかも決めすぎずに、その場でやることが多いのでしょうか。
小花:なんとなく2パターンぐらい決めておいて、 ちょっとお客さんがノってないからネタを入れたらドン引きされるからやめようって技を増やしたり、今日は技を色々見せるよりちょっとネタを入れた方が喜びそうだから、 曲芸は早めにやろうとか色々考えてます。
──言葉のパフォーマンスとかネタとか、普段からどうすれば面白く伝えられるかなとかも考えていますか?
小花:そうですね。 曲芸を使わないで、噺家さんと同じ喋りで作ったネタだと、噺家さんについてしまうので、道具を使ってちょっと面白いことがないかなっていうのは考えています。曲芸ならではの「見て面白い」ってあるじゃないですか。だからナイフとか目で見て面白い、噺家さんは真似できないことを入れたりします。 そういう、目で見て面白いネタを作っていこうとは気を付けていますね。
──今のところ、そういったパターンみたいなものは無限にあるのでしょうか?
小花:そんなに沢山はないんですけど、最近多いのは、暮らしのなかの曲芸です。スーパーに買い物に行って、荷物が多いときに限って、雨が降ってきて、こんなときに曲芸できるの?っていったら、おでこの上に傘立てて両手で荷物を持ってみたりできる。あと、お皿の包丁の曲芸をやるときに、そのままやるんじゃなくて、私がカードを持って、じゃあこのなかから選んでくださいって選んでもらいます。これは演芸ホールが1番盛り上がるんで、もう演芸ホールは固定でやるけど、逆にその暮らしの曲芸は演芸ホールではやらないかな。
和助:毎日やってるから組み合わせは沢山あるね。だから、高座数に恵まれているのはありがたいです。なかったら試せなくて、とにかくやることだけで精一杯になってしまう。
──お客さんとは別に、舞台の設計、例えば天井の高さが高いとやりにくかったりということってありますか?
和助:やっぱり練習場がやりやすいのかな。ホールはもうどこまでも高いじゃない?そうすると、ふらっとしちゃう。だから最近は五階茶碗も1回ぐらい表(屋外)でやった方がいいかなと思って太陽稽古をしてるの。家の前で稽古をする。
小花:無意識にいろんなものを見てバランスを取ってるね。だから、天井が斜めだと、斜めの天井に合わせて立てようとしちゃって、前に行っちゃったりするんです。垂直になるようにって見てるのが斜めだと、「あれ、どこが正しいんだろう」ってなっちゃう。でも、最近の太陽稽古でだいぶ良い方向に変わってきています。
──道具へのこだわりとかっていうのはどういうふうに変わってくるのでしょうか?
和助:かっぱ橋で、この茶碗を削る職人がいないからっていうことで全然見かけなくなってしまいましたね。だけど、公民館の建て壊しのときに、館の前にご自由にどうぞって、この茶碗が50個くらい置いてあったから、ガチャガチャ持って帰って来ちゃいました。あとは土瓶を100個特注しました。
小花:あと、籠鞠の鞠は照明が見えやすいものに色を変えましたね。夫婦の鞠とか、入れ違いとか、鞠がふたつ同時に動くときは、より見えやすくするためにひとつは違う色を使ったりしています。
和助:やりやすさを重視して道具を改良することもあります。やりやすくしたら、もっといろんな技ができて、お客さんも楽しいわけですからね。
小花:誰に向けてやってるかが大事ですね。お客さんに喜んでもらいたいと思ったら、「見た目どうかな」とか、「師匠はこう言ってたけど自分はこうがいい」とか、周りの仲間内はこう言うけど、本当にお客さんから見たらそうじゃない方がわかりやすいんじゃないかって思ったなら、芸を変えてもいいんじゃないかと考えています。
和助:鞠が白くなきゃいけないというような肝心な部分は変えません。ただ、 そこ以外は別にいいんじゃないかなっていう感じがする。だから輪っかも、今は青と赤にしてるけど、これは着物の色に合わせてるんです。 小花さんがピンクだから赤で、俺は水色だから青。着物の色で分けると余計に綺麗でしょう。色とかね、音とか、そういうものでも楽しんでもらえればなと思っている。だからお茶碗のときは、お茶碗を回すとちりちりという音がすごい綺麗に鳴るから、お囃子は弾かないのよ。
──自分たちの芸としての特徴をもっていますか?
和助:うちの高座では「本当はこれを見せたいんですけど、これで楽しんでもらえませんかね」みたいなことはありますね。ちょっと前まではお客さんを楽しませるために、チャンネルを合わせに行ってたんだけど、最近はうちの高座を見てもらっても楽しんでもらえると思うんで、あえて変えずに「うちの高座見てください」ってやってみたりもします。かえってそっちの方がお客さんも「翁家社中はこういう高座を見せたかったんだ。いいじゃない!」となることもあるんです。
今後
──今後こんなことをしていきたい、こんな風になりたいという夢や将来像はありますか?
和助:私には夢があります。大神楽って4つ芸があるんですよ。神楽、曲芸、茶番、鳴り物。自分は、神楽だけで1時間から1時間半のものをやりたいんです。 翁の舞から始まって、神楽芝居、立ち回り。で、その間に獅子神楽に付随した七芸(余芸)である神楽七芸があって、全部を通して1時間半になりますが、これを神楽殿でやりたいと思ってます。今まで10年ぐらい、歌舞伎の先生と一緒に共同作業で神楽七芸を全部復活させて、神楽芝居・立ち回りと獅子舞。7分ぐらいしかできなかったやつを今では15分ぐらいできるようになってます。
──それはもう、なにか具体的に動いていらっしゃるんですか?
和助:もう動いてますね。芸自体はもう全部復活してるし、もう客前でもやってる。あとは、獅子舞がいっぱい出過ぎているから、ここは獅子舞じゃなくて違うキャラクターにしようとか、 ここは獅子舞とひょっとこが遊んでるけど、ここ、獅子舞じゃなくて鬼に変えれば、この後の剣の神様に繋がるのにいいのでは、とか考えてます。
今後どのような形をやりたいかというと、神楽殿で、 曲芸と茶番の力を借りずに、神楽だけで、1時間半ぐらいのものをやりたい。その神楽殿に行くまでも、神楽のキャラクターが、エレクトリカルパレードみたいに、行列を組んで、神楽殿に入っていくのをやりたいと思ってます。
──今後、太神楽のここはもっと強化していきたいという部分などありますでしょうか?
和助:曲芸、落語ってほらいろんな落語があるじゃないですか。滑稽話もあれば怪談話もあって。で、曲芸もね、そういうふうにしていろんな曲芸があっていいなと思ってるんですよ。これは別に師匠から言われたわけではなくて、自分がなんとなく思ってるんだけどね。落語で言えば寿限無みたいな感じで、とりあえず代名詞的なものがあるともっとよくなるんじゃないかと思っています。
鞠なんかは、別に、すごいわけでもないけど、でもなんか良い。楽しいな。花籠毬なんかは鞠がぴょこぴょこして、「あ、鞠かわいい〜」と和んじゃう。土瓶だったら、「お!ちょっと大丈夫かな?」ってお客さんも、真剣に見る、みたいなね。そんな反応が色々あった方が、心が動いて、僕は楽しいんじゃないかなって気がするんです。曲芸もいろんなキャラ付けじゃないけど、最近は、そういうことも考えてピックアップして芸を取り入れています。
──新しく芸を作ったりするのですか?
和助:これはね、私が作った新作の芸です。落語にも新作落語があるんだから、太神楽にだって新作曲芸があって良いだろうって、一個作ったやつです。「重ね扇」と言って扇を回すんだけど、綺麗でしょ。
小花:末広がりが重なって縁起がいいそうです。お祝いのときとか。
和助:僕らの世代でもね、何か一つくらい新しい技を何か作ってもいいんですよ。またそれが伝統芸として残るでしょ。「えこれ令和にできたんだ。じゃあ俺も作ろう」っていう若い子が現れてくれれば、伝統芸としての正しい在り方というかね。今まで、太神楽は昔のものをやるってイメージが強かったけど、それを変えたいと思ってます。だからやってみたいなっていう若い子が現れれば、伝承してくれれば、それがもう伝統芸になっていくんです。これに期待して、若い人に太神楽の魅力を知って、挑戦してもらえればな、なんて、思ってますよ。

(著者撮影)
編集後記
新井
和助さんと小花さんのインタビューを通して、伝統芸能「太神楽」の奥深さや日々の努力が垣間見えました。和助さんが雅楽だと思って始めた太神楽ですが、長い稽古の積み重ねと周囲の反応から少しずつのめり込んでいった様子が印象的でした。小花さんが感じた寄席と神事芸能の違いや、舞台上での平常心の大切さにも共感しました。また、稽古やトレーニングのルーティーンが細かく、毎日積み重ねられる姿にプロの厳しさを感じました。さらに、師弟関係のなかで自然と師匠の技術や姿勢が受け継がれることも、太神楽の魅力を支えていると感じました。
上田
伝統芸能としての太神楽の側面やお二人の込められた想いというのを感じることができました。芸と向き合う心と見てくれる人への楽しんでほしいという願いがあるからこそ、芸から感動が生まれるのだと思います。指導についても、生徒に合わせた試みを伺うことができ、芸を引き継ぐということがいかに難しく、かつ自然なことなのかを学ぶきっかけになりました。取材のなかでも、実際に技や道具を拝見して、その繊細さや道具の意味を理解しました。今後も、太神楽という芸能を鑑賞し、学んでいきたいと思います。貴重な取材の機会をいただき、ありがとうございました。
宮藤
神楽七芸を、舞台芸能としてこれから先の未来にもつなげていこうというお気持ちをとても感じることができました。和助さんの「(演芸は)お客様に喜んでもらうためにやるっていうことだから」というお言葉もありましたが、会場の環境や、地域ごとのお客さまの層に合わせて披露する技や構成も変えるほどの、お客様を楽しませるためのこだわりに感動しました。大神楽は、技の魅力やその時々のお客さまとのコミュニケーションだけでなく、技に使う小道具一つをとっても、見にきてくださったお客様を思う気持ちが沢山込められており、お客様に向けた芸能における大切なことが沢山詰まっているように感じました。お二人の大切にしていることを伺えて、改めて芸能とは何かを考える、貴重なきっかけになりました。
工藤
取材を通して、改めて舞台芸能である太神楽の面白さを実感したと同時に、芸能のあり方についても考える貴重な機会になりました。華やかに見えるわざの数々には地道な努力があり、今日まで芸能を継承した先代への尊敬、そして何よりもおふたりの太神楽への愛こそが太神楽という舞台芸能を発展させ、次世代へと繋いでいくのだと感じました。自分自身が太神楽を楽しむ心をもって、お客様を喜ばせることがおふたりを芸人たらしめるものであり、そういった心がわざにも表れ、人々を惹きつけるのだと思いました。この度は大変貴重なお時間をいただきありがとうございました。
松本
大神楽に込められたおめでたい意味を知り、とてもあたたかく素敵な芸だと感じました。
取材のなかでおっしゃっていた「らしくあれ、でもぶるな」という言葉が印象的で、自分自身も何かのプロフェッショナルになるために心がけたいことだと感じました。おふたりの大神楽に向き合う姿勢から学ぶことが多く、取材中もとても親切にたくさんのことを教えてくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。この度は大変貴重なお時間をいただきありがとうございました。
吉岡
太神楽を通して、お客様だけでなく、自分自身とも向き合いながら成長し、進化し続けるお二方の姿に感銘を受けました。幾度も同じ動作を繰り返し、一つの芸を習得する過酷さ、華やかに見える芸ほど地道な練習の積み重ね、失敗への恐怖の克服など、私達にとっては想像出来ないほど多くの試練を乗り越えられてきた経験が、お二方の強さに直結していると思いました。そして、その強さが多くの人から愛される太神楽を継承し続けている理由に繋がると感じることが出来ました。お客様の笑顔のために、全力で曲芸と向き合って、挑戦し続けるお二方の姿、本当にかっこよくて輝いていました。この度はご多忙のなか、取材の機会を作って頂きありがとうございました。
矢鋪
太神楽といえばお正月の芸人さんのイメージでしたが、今回の取材を通し、舞台の上で、お客さんに芸を届けることをとても大切にされている伝統芸能だと知ることができました。お話を伺った翁家和助さん、小花さんは、特に次世代の継承を見据えた新しい芸を創作したり、消えてしまった芸能を復活させる試みを実践されていたりと、大変精力的に活動されていました。古典的なものから新作まで、たくさんの芸を見せていただいたことはもちろん、インタビュー中はおふたりの掛け合いが垣間見れた場面もあり、おふたりが積み上げてきた「芸人らしさ」を感じられたようにも思い、とても貴重で楽しい時間でした。インタビューという機会を快く受け入れてくださったこと、感謝の気持ちでいっぱいです。
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