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  • 執筆者の写真ゼミ 横山

観世三郎太氏 稽古取材

更新日:2021年7月13日

藏田篤・渡邉未來・寺門佳湖・高原明日香


2020年12月2日、観世能楽堂舞台において、26世観世宗家観世清和氏がご子息観世三郎太氏に稽古をつける様子を取材させていただきました。30分間のうち、前半は「船弁慶」の仕舞、後半は公演を控えた「翁 父尉延命冠者之式」の謡のお稽古でした。


取材をふまえ、私たちは「船弁慶」の仕舞を対象に、能の身体的なわざが師弟間でどのようにして伝承されているのかを研究しました。観阿弥・世阿弥の時代から何百年も続く「わざの伝承」に秘められた知恵や工夫に、少しでも迫れるよう、繰り返し取材資料を検討して、私たちなりに分析と考察を試みました。


なお、家元のお稽古の様子を外部に見せることは、極めて異例のことだそうです。このたびは、三郎太氏の立教の同窓生である私たちが研究目的で取材をするということで、ご宗家の特別のご厚意により取材とレポートのご許可をいただきました。貴重な機会を賜ったことに、この場を借りてあらためて感謝を申し上げます。


「船弁慶」は、源義経一行が逃避行の途上、船上で平知盛の怨霊と遭遇し闘争する物語です(詳しくはこちらをご参照ください)。お稽古していたのは、後のキリと呼ばれる場面です。三郎太氏は平知盛の怨霊として長刀(なぎなた)を振りかざし、ご宗家の力強い謡にあわせて迫力のある所作を繰り返しました。


以下、取材担当者ごとに、それぞれの視点から分析した結果をレポートします。なお、こちらのページには、稽古取材に先立っておこなった三郎太氏へのインタビューを掲載しています。


1. 比喩表現

(文責:藏田篤)


私は、ご宗家(以下「先生」)が三郎太氏に長刀の扱いを指導する際の言葉遣いを分析しました。先生は、いろいろな表現方法で動作のイメージについて伝えるのですが、そこで特徴的な比喩表現が使われていることに注目しました。


最初に三郎太氏が一通り舞います。先生は脇柱の近くに座って謡いながら、指導箇所を見極めているようでした。舞い終わった後で、先生が中央に出て、長刀をすくい上げて、刃先を返してから振り下ろす動作の指導を始めました。


「夕波に浮かめる長刀取り直し」

先生は三郎太氏に対して長刀を持つ腕の位置が低かったことを指摘し「四肢をもっと上に伸ばして、こう」と言いながら実際に手本としてすくい上げの動作を見せました。指導を受けた三郎太氏がやってみせて、先生から「もっと四肢を伸ばして」「(長刀の)滞空時間を長く」 といった指摘を受けてはやり直します。また、長刀を振り下ろしてから三足進むところについては、「(振り下ろして)きめるのが早いから、三足行ってもすぐに左足をかけたくなって充足感がない」という指摘もありました。こうした往復が4回あった後に、次の場面に移りました。

先生の言う「充足感がない」という言葉は、文字だけだと少しイメージしにくいですが、先生が例として見せた悪い手本(長刀を軽く振ってから三足行く)と良い手本(しっかり持ち上げてから三足行く)では、動きの重みや見ている側が感じる力の伝わり方が確かに違いました。充足感という言葉のとおり、良い手本の方は気の抜けている瞬間がなく、私にとってもそれがどのような動作の感じを表すのかが納得しやすいものでした。やってみせることと比喩的な説明が組み合わさることで、効果的にわざの感じを伝えられることがわかりました。



「潮を蹴立て悪風を吹きかけ」

先生は、三郎太氏が長刀を上げてから刃先をくるりと返すまでが早すぎることについて、先ほどの指導でも使われた「滞空時間」という言葉を何度も用いていて指導しました。たしかに、単に「もう少し長く」と言うよりも、「滞空時間を長くして」と言う方が、長刀が上にある状態のイメージがよく伝わります。


また、長刀を扱う動作を「丁寧に丁寧に」と表現していました。「丁寧に」という言葉は、ゆっくりやるのとも軽くやるのとも違う、しっかり力を込めながらも動きは荒くならないようにするという意味なのだと思います。以前、授業で世阿弥の『花鏡』を読んだとき、「動十分心 動七分身」という言葉を学びました。心のなかでの目一杯の動きのイメージよりも実際の身体の動きを少しだけ抑えると良い、という教えですが、「丁寧に」もそれに通じることなのかなと想像しました。


刃先を返すタイミングについては、「もっとこうして、返りがこっち(上)だな」「もっとこうなって(上がって)から返ってこう(振り下ろす)」というふうに、「こう」と示しながら手本をやってみせる指導が繰り返されました。ここで私は、「だな」という言い方、またそのときの先生の表情や声に注目しました。


このとき先生は、自分のなかには確かにわざとして存在しているのだけれども、他人にどう伝えるかは未だ固まっていないものを、三郎太氏とのやり取りの中で探っているような様子でした。つまり、先生自身も無意識にやっていたわざを、この稽古のなかで確認して再発見したのではないかと思います。


私はここから、師匠と弟子の稽古というものが、師匠から弟子へ一方通行的にわざが伝えられているのではなく、弟子に教える途中で師匠自身がわざの認識を深めるきっかけにもなるものなのだということを理解しました。これは、スポーツなど、ほかのさまざまなわざの伝承にも言えることだと思います。だから稽古というのは、弟子にとってだけでなく、先生と弟子の両者にとって大事なものなのでしょう。


「弁慶押し隔て 打物業(うちものわざ)にて叶ふまじと」

先生は舞台中央に片膝をつき、長刀を大きく八の字に振ってすくい上げる動作について、「(刃先で)空気を切るような」とイメージしやすい表現をしたり、「クゥーーコォーーフィッ」と擬音を使ったりして指導しました。位置を交代した三郎太氏が「そう上から」「空気を切るように」と指摘を受けながら5回ほど繰り返すなかで、時折「そう!」という力強い声がかかります。


これらの言葉は、伝えようとしている意味としては、それより前に指導していた「長刀の刃先を返すまでの滞空時間を長くする」と同じだと思われます。能の稽古の基本が「真似ること」というのはインタビューで三郎太氏も述べていましたが、見て真似るだけでは伝えることのできないものを、先生はこうした様々な言葉の表現を使って伝えようとしているのでしょう。


しかしそれは到底一つの言葉では伝えきれるものではないので、言い方を変えたり言葉の持つイメージを変えたり、擬音を使ったりするなど、様々な方向から補完することで、わざのイメージを伝えようとしているのではないでしょうか。先にも述べましたが、お稽古というのは、受ける側だけでなく、先生にとってもこうやっていろんな伝え方を探求していく場なのだと考えられます。三郎太氏が毎日おこなっているお稽古の一回一回が、このように師弟の間でわざが探求されて再発見される現場なのだとすると、そういう毎日が観世流のなかで何百年も続いてきたわけで、本当に凄いことだと思います。



2. シテの心構え──長刀の持ち替えにおける口頭指導


(文責:渡邉未來)


私は、「索(さっく)にかけて祈り祈られ」という謡のところで長刀を持ち替える動作の指導について分析しました。両腕を下に伸ばし腰元で長刀を横向きに支えている状態(図1)から、右手で長刀の柄先を取り直して、右手一つで柄先を下に向けて立てて持つ状態(図2)までの動作です。


(図1)先生による指導


(図2)三郎太氏実践


「索にかけて祈り祈られ」


長刀をすくい上げる動作に比べると、なにげない単純な動作に見えますが、先生は何度も指導を重ねました。最初の指導が、「様式的にやらないと。なんとなく事務的になっている。能をやっているのだから、様式的な無駄のない、隙のない動き」という言葉です。単純な動作だけに、能らしい適切な感じになるか、そうではなくなってしまうのかが、外からわかりやすいところなのかもしれません。


三郎太氏の所作は、はじめはたしかに少しあっさりしていたようでした。「事務的」には見えませんでしたが、先生は「様式的」ということを強調するために、あえてそのように言ったのでしょう。最初の指導では、「よーしきてきに」と「よ」の音を延ばすのにあわせてゆっくり取り直す動きをやってみせて、三郎太氏に再度やるように指示しました。そこで三郎太氏がやった動きが、納得いくものではなかったらしく、すぐに近づいて2回目の指導をしました。


2回目の指導のときには、「腰なんだよね。手と腕は動いているけど、下半身上半身は動いちゃいけない。こう腰で取り直す」と言いながら、先生が実際にやってみせました。もちろん腰で長刀を持つことはできませんが、あえて「腰で取り直す」というふうに表現することで、四肢の動きの土台となる腰に意識を持ってこさせて、どっしりとした動きの安定感が生まれるように伝えているのだと思いました。


三郎太氏が先生の指導を受け、3回目の実践をすると、今度は先生の考える様式的な動きに近づいたらしく、先生は大きな声で「そうならないと!そうそうそう」と声をかけました。さらに「で、せっかく取り直したのだから、もっとこう」とやってみせながら「時間がかかって元の構え」と伝えて、三郎太氏が4回目をやりました。今度は私の目から見ても見違えるように充足感のある、能らしい動作になりました。


かかってはいけない


先生も動作自体には納得されたらしく、今度はさらに発展的な内容についてお話を始めました。三郎太氏も、指導内容の水準が変化したことを敏感に察したらしく、少し離れた位置に座って拝聴する姿勢を取りました。


「ここってさ、「索にかけていのりいのられ」って、地謡がかかってるでしょ。かかってるけども」と言いながら、ぐっと弓を引くように後ろに距離を取るようなジェスチャーと、何かに引かれて前にひょいと出るようなジェスチャーを対比してみせました。その次に、「自分は地謡のノリと一緒に行ってはいけないんだよね」と伝えたことから、後者のひょいと出るジェスチャーが、「地謡のノリと一緒に行ってしまう」ということの表現だったことがわかります。それから先生は確認するように「祈り祈られ」と謡いながらこれまで稽古してきた動作を再度やってみせ、その後に、何かと自分の間に距離があるというふうな手のジェスチャーをして「こう、全然、憑依してない。一緒に行ってはだめなの」と説明されました。三郎太氏は何度も相槌を打って聞いていました。


「地謡がかかる」というのは、地謡の声のエネルギーが迫ってきて、自分に憑依して思わず動き出してしまいたくなることを言うのでしょう。先生は、それに従って動き出してしまってはいけないと述べているのです。この教えをふまえてみると、これまで稽古してきた「重々しく充足感をもって様式的に長刀を取り直す」ということの意味が、より深まって感じられます。先生はここで、単にゆっくり動くということだけでなく、自分を動かそうとする力に対してぐっとこらえて、それとせめぎ合うことで生まれるような力強さが必要なのだと伝えたかったのだと思います。


ここでの指導において、先生が最も重視したのは所作に充足感を持たせることでした。その充足感は究極的には、地謡という外から憑依してくる力とのせめぎ合いで発生するという教えは、たいへん面白いものでした。複数の要素のせめぎ合いというのは、能という芸能全体についても言えることかもしれません。シテはその要であり推進力でもあるので、様式的なずっしりと腹を据えた演技によって作品を支える必要があるのだろうと考えました。そして、そういう演技を稽古することで、人間や幽霊・神が交じり合う独自の世界観を守り続けているのだろうと感じました。



3. 師弟の位置関係と姿勢の分析


(文責:寺門佳湖)


稽古の効率への疑問


私は、先生と三郎太氏の稽古の流れを全体的に検討してみた結果、ふたりの位置関係に特徴があることを発見しました。すなわち、三郎太氏は舞台後方に、先生は舞台前方に離れている時間が長いのです。しかも、そのときの両者の姿勢についても気づいたことがあります。指導中、先生は基本的には立ったままですが、一方で、三郎太氏は片膝をついた中腰の姿勢でいるのがベーシックなスタイルでした。


このことは、稽古の効率という点で不思議な感じがしました。というのは、三郎太氏がわざをやってみせて、先生がそれを指導するということの繰り返しで進む稽古では、二人が常に近くにいる方が時間のロスが少ないように思われるからです。また、たしかに三郎太氏の片膝をついた姿勢からは、すぐに動きだせるようにしている様子が伺えましたが、それでもやはり、お互いに立ったままの方が時間のロスは少ないはずです。


にもかかわらず、三郎太氏が離れた位置に座って指導を受けるのはどうしてなのでしょうか。私は当初、日本の伝統芸能である能では、礼節を大切にする精神性がお稽古中の位置関係と姿勢にもあらわれているのだろうと解釈しました。しかし、詳しく分析してみると、それだけではなさそうでした。


まず、稽古における位置関係を整理するべく、以下の表を作成しました。指導は大きく6つの場面で構成されていたので、それぞれにおける両者の位置を記述しています。



あえて離れて座る三郎太氏


表からわかるように、三郎太氏がやってみせるのを先生が見る場合にも、逆に先生が動きを示すのを三郎太氏が見る場合にも、両者は上手下手にわかれていることが多いです。特に注目したいのが、表(4)の「弁慶押し隔て打物業にて叶ふまじと」の場面です。ここで三郎太氏は、自分がやってみせるときには前方に移動し、やり終えて師匠が指導を始めようとすると、またわざわざ後方に移動して座ってそれを見ます。


そこ以外にも全体に三郎太氏の移動が多く、先に述べた効率性の疑問が湧いてきました。しかし何度も映像資料を見返しているうちに、そもそも稽古は礼節の遵守でなく、三郎太氏のパフォーマンス向上を目的に行われているという前提を思い出しました。そこで三郎太氏のインタビューのエピソードを振り返り、お稽古で大切にしているポイントにヒントを見つけました。


三郎太氏は、「細かい位置を確認するのではなく、全身がどう動いているかを見ています」と話していました。たしかにこのお稽古での位置関係は、三郎太氏が先生の示す動きを全身で捉えるのに良さそうです。また、三郎太さんが定位置に戻って座る様子を見ていると、気持ちの切り替えがおこなわれているように感じました。短時間の稽古では、先生の動きを見て話を聞くための定位置が決まっている方が、うまく集中できるのかもしれません。


相補う学びと教え


視点を先生の立ち位置や動きに変えて見てみると、三郎太氏の動きを近くで止めたり、やり直しをさせたり、一緒に動いたりすることが多いと気づきました。取材の前には、稽古では三郎太氏がひたすら先生を真似て、学ぶのだろうという先入観をもっていました。しかし、実際には先生が三郎太氏の長刀を動かす通り道や間合いに積極的に介入して、改善させていました。


このことが、先生の位置取りとも関係しています。先生が上手の前方から立って見ていることが多いのは、三郎太氏の動きを細かなところまでチェックして、その改善点をすぐに自分の身体で示して直すためであると考えました。


一方、三郎太氏は細部を気にして一挙一動を先生と同じように真似しようとするのではなく、集中して全身を見ることで理想の形を少し引いた観点から把握しようとしているようです。三郎太氏がそのようにできるのも、細かい動きの修正は先生がわかりやすく示してくれるはずだということが無意識のうちに了解されているからかもしれません。このように、師弟の「教え」と「学び」のスタンスは微妙に異なっていながら、相互にうまく補い合っているようです。師弟の位置関係と姿勢の意味はこうしたところにあるのだと考えました。



4. 指導における接触について──身体に触れないのはなぜ?


(文責:高原明日香)


インタビューで三郎太氏が述べていたように、能におけるわざの習得方法は、「見て真似る」です。稽古取材においてこの方法を実際に見て私が疑問に思ったのは、型を真似るのであれば、先生が手本を示して動いているときに、三郎太氏が横で一緒に動いたり、または体の正しいポジションを直接体に触れて直すようなやり方をしたりした方が、わかりやすく、習得も早いのではないかということです。実は、今回のお稽古のなかで、先生が手を用いて直したいくつかの場面が一箇所だけありました。


刃先がなまくらになる


「弁慶押し隔て打物業にて叶ふまじと」の詞章にあわせて、三郎太氏が片膝を立てて座った状態で長刀を八の字に振り回す動作があります。ここで、長刀をすくい上げる時の刃先の向きが横になってしまっていたため、先生は途中で止めて「この時の刃先がね、こうじゃないんだ、これじゃ刃先がなまくらになっちゃう」と言いながら、自身の手で三郎太氏の長刀に触れ刃先の向きを下にして角度の違いを示しました。


はじめに述べたとおり、今回の「船弁慶」の仕舞のお稽古のなかで、先生が手で直接触れて指導している姿は、この場面が最初で最後でした。それ以外では、これまでのレポートにあるように、三郎太氏が指示されたわざをやってみせて、先生が指導を始めると離れた位置に座って聞くというように、交互に入れ替わる形式で指導がおこなわれました。たとえばこの前に、「夕波に浮かめる長刀取り直し」と「悪風を吹きかけ」の場面でも、長刀の振り方について指導がおこなわれています。しかしそこでは、前掲の藏田レポートにあるとおり、「滞空時間を長く」「空気を切るように」といった比喩的な言葉を用いて指導がおこなわれていました。


それらの比喩的な言葉による指導で直そうとしたわざと、この手で直接直したわざの違いは何でしょうか。前者は動きの質であるのに対し、後者は刃先の角度です。つまり、手で直したところは、物理的に明確に決まっている事柄であって、比喩的な言葉で伝える意味がない(むしろ不正確になってしまう)わざと言えます。要するに、手を用いて直接直した方が良いことはそうしたというわけです。


そもそも完璧な再現は目的としてない?


それにしても、手で直接直した方が早く正確に先生の伝えたいことを伝えられそうなところは、ほかにもあるように思われました。また、比喩的な言葉で説明している動きの質なども、たとえば後ろから抱えるように長刀を一緒に持って体感させたり、二人で一緒に並んで長刀を操作したりしたら、より正確に効率良く伝えられるかもしれません。しかし、そのような手法は少なくとも今回のお稽古ではまったく見られませんでした。


ここで、三郎太氏がお稽古後の短いインタビューで語ってくれたことが思い出されました。三郎太氏は、「先生の動きと自分の何が違うのかを自分で気づくことが大切」と語ったのです。ここに「見て真似る」という稽古方法のポイントがあるように思います。つまり、そっくりに真似られたという結果が大事なのではなく、そこに至る過程が大事なのではないか、ということです。


手で触って直すことをほとんどしないのは、そもそも先生の型を完全に再現することよりも、それをどう自分で解釈し自分のものにするのかを大切にしているからではないでしょうか。直接直された動きは師匠と同じになるかもしれませんが、自分のものではありません。一方で、投げかけられた言葉を主体的に解釈して、自分自身で直すというプロセスは、時間がかかって効率も悪いように見えますが、結局はそうやって身につけたわざこそが、確実に自分のものとして積み重なっていくのでしょう。


能では、演じる上で役者自身の個性を安易に出すことは良しとされていないそうです。しかし、こうした稽古における動きの解釈や自分なりの感じ方が何十年と積み重なっていくうちに、自然とその人なりの個性が演技から滲み出てくるのではないか。今回の分析から、そんなことまで考えました。


取材を終えて


藏田篤

今回のインタビューでは、ついつい盛り上がって三郎太さんが答えにくいような質問をしてしまうこともありましたが、真摯に答えてくださるのでこちらも素直に質問ができました。稽古取材の際には、稽古だけでなく楽屋や舞台袖も見せていただき、どれも初めて目にするものばかりで、たいへん面白く、勉強になりました。私はこの記事を作ることで能の面白さをより深く実感したので、私たちのような若い世代の人がこの記事を読んで能に興味を持ってくれたら、とても嬉しいです。


渡邉未來

稽古終わりにご宗家からお話を伺いました。そこでおっしゃった「能は科学的だ」という言葉を強く印象に残っています。能の根源にある神事的要素への先入観がありましたが、記事作成にあたり、この言葉を手がかりに、様式的演技を貫く能楽師の理知的な姿勢を再認識するきっかけになりました。載せきれなかった裏エピソードも沢山ありますが、少しでも能への親近感が湧く記事になっていればと思います。清和ご宗家、三郎太さん、貴重なお時間を頂きありがとうございました。


寺門佳湖

インタビューで三郎太さんが、夢や目標は決めずに死ぬまで能をやっていきたいとお話しされていたことが、とても印象に残っています。同じ歳の大学生として、私も一生かけて極めたいと思えるようなものに出会いたいです。また今回は、お稽古をただ見せていただくだけでなく、自分の関心に沿って分析するという作業に取り組みました。非常に苦労しましたが、一度面白いと思ったものを様々な角度から検討して考えを深めていくという貴重な経験をしました。今回の研究で学んだことを、この先も大切にしていきたいと思います。


高原明日香

今回の取材やお稽古見学を通して、能では自分で考える力、感じ取る力を大切にしていることを知りました。デジタル化が進んでいく現代社会で、これらの力はますます必要となるでしょうし、私自身大切にしていきたいと思いました。観劇、インタビュー、お稽古取材と、とても貴重な経験をさせていただき、本当にありがとうございました。三郎太さんは「若い世代にもっと能を見に来てほしい」とおっしゃっていました。この記事を読んで、若い世代や能をよく知らない方に能の魅力が伝われば嬉しいです。



観世清和氏


26世観世宗家。重要無形文化財総合指定保持者。25世観世左近元正の長男。1990年に家元を継承。1995年度芸術選奨文部大臣新人賞、2012年度芸術選奨文部科学大臣賞、2013年伝統文化ポーラ賞大賞を受賞。2015年紫綬褒章受章、2019年JXTG音楽賞受賞、2021年日本芸術院賞受賞。1999年フランス芸術文化勲章シュバリエ受章。


観世三郎太氏


26世観世宗家・観世清和氏の嫡男。立教大学法学部在学中。2009年、10歳で初シテ、2015年、15歳で「初面」を勤める。2020年には、「能+ファッション 継承される伝統と現代の融合」やVR能「攻殻機動隊」など、斬新な舞台へも出演。

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