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貝谷八百子のバレエ教育

  • 執筆者の写真: ゼミ 横山
    ゼミ 横山
  • 2022年5月31日
  • 読了時間: 5分

日本人がバレエを踊るという事


深作理那


この記事では、私が卒論で行った研究を紹介します。


研究概要


戦後活躍したバレエダンサーの一人に貝谷八百子という人物がいます。貝谷は戦後の日本バレエ教育を牽引していた人です。私は卒業論文で貝谷独自のバレエ教育の仕方に視点を当てて研究しました。


貝谷は163㎝という当時の日本人からすると抜群のプロポーションを持ち、日本バレエの母と呼ばれるエリアナ・パブロワが確実にプリマにしようと特に力を入れて指導した人です。この卒論では、貝谷のダンサーとしての側面ではなく、彼女が指導者としてどのようなバレエ教育を志したのかを解き明かそうとしました。そもそも従来の研究でも、日本のクラシックバレエの技芸伝承が扱われておらず、そのほとんどが謎に包まれています。自身のバレエ学校も設立していて弟子も多い貝谷に着目することで、戦後に日本人にどのようなバレエ教育が施されてきたのかを明らかにするところに本研究の意義があります。


研究にあたって、貝谷が答えてきたインタビューの数々と貝谷が作り上げた作品に対する批評を読み、貝谷の弟子にインタビューをおこない、貝谷がどのような人物でどのように指導をしてきたのか分析と考察をしました。以上を通じて、貝谷八百子は日本人に対して常に前向きな姿勢で向き合っており、自分を律してダンサーとして活躍しながら日本バレエ界に希望を持って、指導にも尽力していたことを明らかにしました。


論文の紹介


以下では、研究成果の一端を紹介する為に、第4章の内容を要約してお示しします。ここでは、貝谷が日本人に対して前向きな姿勢でバレエ教育を施していたことを論じました。

日本人がバレエを踊るー骨格の問題意識

一般論として、日本人がバレエを踊る際に足を外側に回そうとして足がねじれてしまう傾向があります。そのためか、日本人は農耕民族なために重心が下にあり、クラシックバレエを踊ることは難しい、向いていないと言う言説が存在しました。実際に貝谷八百子の弟子も日本人はバレエに向いていない人種であるとインタビューの中でも話していました。


しかし貝谷自身は違っていました。「バレエへの招待」という対談では、足の条件が悪いからと言って悲観することはない、努力でその人がどうにでも設計できると述べ、骨格がだめだからといって諦めない姿勢を見せています(『婦人公論』1950年10月号)。


対談に参加していた舞踊評論家蘆原英了も貝谷に同意しており、日本人が骨格に向かないと決めつけて諦めるのはダメだという意見を持っていました。特にその中で、「最初はロシア人にはバレエは出来ないと言われていた」という事実を紹介していることも衝撃的でした(『芸術新潮』1952年4月号)。どんな人種であろうと生まれつきの骨格があろうと踊っていれば適応してくるというふうに、日本バレエ教育の先駆者達はかなり柔軟で前向きな考え方をしていたのだと見受けられます。

日本人の身体表現

一般的に日本人は芸術において繊細で奥ゆかしい表現をすると考えられています。バレエの世界でしばしば比較対象になるのがロシアの表現方法です。貝谷は、実際にボリショイ劇場に留学に行った時にソ連のバレエはサーカスのような肉体の軽わざだと思ったと述べています(『朝日新聞』1990年4月13日夕刊7面)。その時に貝谷は日本人が世界でバレエで成功するのは難しいと思い、バレエ教育に献身するきっかけになりました。またここで日本人には難しいという現実を突きつけられ、日本独自の文化を理解していたからこそロシア人とは違った表現方法を追求していたのだと考えられます。


その一例が腕の表現です。貝谷は自身の著書で、バレエの基礎の中で最も重視しなければならないのは腕の位置であり、状態を大きく支配するのは腕の動きである(『バレエ教本』1952)と述べています。これは貝谷の弟子である山本教子氏も指導の際に述べていました。腕の表現によってその人がどのような踊り手か分かってしまうくらい重視される点であるとのことです。こうした腕の表現方法の重要さは、日本人はどのように見せれば良いかという工夫のなかで認識され、代々受け継がれていっているものであることがうかがわれました。

貝谷が考える日本のバレエ界

貝谷は日本初演の作品やオリジナル作品を数多く世に出している人です。非常に貪欲であり、何でも果敢に挑戦していました。その原動力の根底には、常に勉強をしていきたい、経験をたくさん積みたいという心意気がありました。貝谷は「バレエというものをわかってほしいの。また、わからせなければならない任務にある」(「バレエへの招待」『芸術新潮』1952年4月号)といった言葉を多く残しています。それだけ貝谷には強い義務感があり、作品制作にかける思いが並大抵のものではないということが分かります。自分自身が日本のバレエ界を切り拓いていくという気負いが垣間見えます。


今もなお経済的に厳しいバレエ団が多く、バレエ団の収入で生活していけるという環境はなかなか難しい状況なのが現実です。貝谷も、自身のバレエ学校を設立したものの生徒の生活を保障してやれないと苦しんでいました。しかしそのような苦しい中でも、「この悪循環がいつか断ち切れると信じているからその時まで歯を食いしばって頑張る」(『読売新聞』1979年6月7日夕刊1 面)と、日本のバレエ界に前向きな姿勢を示していました。


また、貝谷は国立のバレエ学校を作りたいと願っていました。これも現在進行形の課題であると言えます。しかし、貝谷がバレエ学院を設立し、弟子の教育に献身的に取り組んでいたのは、確実に現在のバレエスタジオの基盤を作りあげたと言えるでしょう。貝谷が、前向きな姿勢でバレエ教育に取り組んできたことは、弟子を通じてまた伝承されています。課題も多いですが、貝谷は日本にバレエ教育が根付くうえでの功労者であると考えられます。



最後にー卒論に取り組んで


今回卒論を取り組んでみて、地道にしらみつぶしに資料を探していくのが大変でした。しかし、インタビューを読み比べていくうちに、時代ごとに考えの変化がありながらも一貫して前向きな姿勢を貫いていた貝谷の姿が浮かび上がってきて、研究が面白くなってきました。たしかに卒論は大変でしたが、やってよかったと強く感じています。何より達成感がすごいです。

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