運、鈍、根を心に
- ゼミ 横山
- 2024年10月18日
- 読了時間: 34分
更新日:2024年10月25日
—錣太夫と聖太夫が目指す文楽太夫の姿—
秋山優真、上田萌華、倉本彩花
はじめに
「文楽」というのは、太夫・三味線・人形が一体となった舞台芸術であり、日本の伝統芸能の一つです。江戸時代初期に成立し、人形浄瑠璃と呼ばれていました。その後、19世紀初めの興行師・植村文楽軒の名から「文楽」と 呼ぶようになったといいます。
今回私たちは、人形浄瑠璃文楽座・太夫である六代目竹本錣太夫さんとその弟子である竹本聖太夫さんに取材を行いました。お二人の経験をふまえながら、稽古や舞台への取り組み方を中心とした、太夫としての考えをお伺いすることができました。

(https://www.bunraku.or.jp/ 公益財団法人 文楽協会ホームページより引用)。
竹本錣太夫氏プロフィール
昭和44年、四代竹本津太夫に入門、竹本津駒太夫と名乗る。昭和45年10月、朝日座で初舞台。昭和64年1 月、五代豊竹呂太夫の門下となる。令和2年1月、大阪・国立文楽劇場において、六代目竹本錣太夫を襲名、「傾城反魂香~土佐将監閑居の段」で披露。令和4年4月、切語りに昇格(重要な場を語る太夫に与えられる最 高の資格)。(https://www.bunraku.or.jp/ 公益財団法人 文楽協会ホームページより引用)。

(https://www.bunraku.or.jp/ 公益財団法人 文楽協会ホームページより引用)。
竹本聖太夫氏プロフィール
平成31年4月、国立劇場文楽第29期研修生。令和3年4月、六代目竹本錣太夫に入門、竹本聖太夫と名のる。 令和3年7月、国立文楽劇場で初舞台。(https://www.bunraku.or.jp/ 公益財団法人 文楽協会ホームページ より引用)。
竹本聖太夫氏へのインタビュー
普段の稽古について
──先日、『ひらかな盛衰記』を鑑賞させていただきまして。聖太夫さんは女性や子供など高い声の多い役を演じられたと思うのですが、どのような苦労があるのでしょうか。
高い声はそもそも出しにくいんですけど、裏声と普通の声をうまく混ぜて、女性が喋っているように聞こえる工 夫っていうものがあります。それを習得していかなくてはならないのですが、はじめはその声を出すのが難しい ので、一生懸命自習室とかで声出して、何とかやっているという感じです。
──演目を練習する際にはどのような順番で稽古をしていくのかを教えてください。
まず、先輩方の公演の録音を聞いて、どういう雰囲気かを自分の中でイメージをします。そこから自分一人で声を出してみて、その録音を聞いてイメージと合っているかということを確認しながら、どうすればイメージ通りのものにできるかを考えて練習をしていきます。ある程度形になってきた段階でお師匠方に聞いてアドバイスをもらったうえで、全体練習でみんなで合わせてやっていくという形になります。
──ご自身で工夫されて練習していくというのはどのくらいの時間を使って行うのですか。
配役表をもらうのがだいたい1か月か2か月前くらいになるので、そこから過去の録音を聞いたりしながら半月ほどかけて練習をしています。そして公演がはじまる2週間か1週間くらいが全体稽古の期間になるので、それま でに1か月くらい準備をしている感じになります。
──普通の声を混ぜるというのはどういうことなのでしょうか。
普段しゃべっている声の中に裏声を混ぜて話をすることで女性の声に聞こえる、という方法になるんですけど、難しいですよね。
──太夫をされている中で一番苦労されているところはどのようなところにありますか。
いろんな役を声で演じ分けなくてはいけないというところが一番難しいかなと思います。武士の声だったり町人 の声だったりとか様々な種類の声がある中で少しの違いで女の声になってしまったり、男の声になったりしてし まうので、自分の声の性質と向き合いながら取り組んでいます。それでも師匠方からは違うって言われることも 多いので、どこが違っているのかっていうのを自分なりに考えて近づけていかなくてはならないので大変です。しかも稽古の期間が短くてその間に何とか形にしていかなくてはいけないというのはやっぱり難しいです。
──そういう部分の稽古をする中でどのような指導を受けられているのでしょうか。
音が大きく外れていたりだとか、ちょっと濁した言い方だったりとか、大きく声を張り上げて遠くに聞こえるような 言い方だとかを文章から読み取って使い分けていくんですけども、師匠方にここはこうゆう風にやるみたいなこ とを稽古中に全体で合わせながら教えていただいています。
──そういう時は具体的にここがこう違うからこうやるみたいに見本を見せてくださったりしますか。
それは指導してくださる方によるって感じですね。見本を見せてくれる方もいるんですが、「違う」と指摘だけしてくださる方もいるので、そこは自分自身でどう違っているのか考えていくような感じになります。
──錣太夫さんはどのような指導をしてくださいますか。
とてもやさしい方なので見本を示して丁寧に教えてくださいます。師匠の師匠や先輩方からもそういう指導を受けたみたいなので、そういう指導を自分にもしてくださっているんだと思います。
──いろんな方から指導を受けることがあると思うのですが、太夫の方だけではなく三味線の方からも指導を受 けたりしますか。
はい。例えば今の舞台ですと、三味線を弾いていらっしゃる清友師匠(*)からご指導を受けるということはあります。
*鶴澤清友 昭和46年12月、二代鶴澤道八に入門、鶴澤清友と名乗る。昭和57年、現鶴澤清治の門下となる。
──錣太夫さんから指導を受ける中で、特に印象に残っているものは何かありますか。
素浄瑠璃の会で本来ならば何十年か先にやるようなものを務めさせていただいたときに、師匠が先輩方の話をしてくださって、昔のお師匠方は肩に力を入れずにのんびりした状態で歌うように発声して最後まで迫力ある語りをするというふうにおっしゃっていただいたことが印象に残っています。舞台で語るときはどうしても緊張したりだとか大きな声を出そうとして喉に力が入ってしまったり、肩に力が入ってしまうんですけど、それを全くせずに のびのびとした発声をするのは実際にやる中で難しさを感じているので、どうすればいいのかなというのは常に考えながらやっています。
──実際に師匠の舞台を見て感じることはありますか。
肩に力が入っているとどうしてもお腹ではなくて肩で呼吸するようになっていたり、体が大きく動かすときにがちがちになってしまっているような状態だと力が入っているなと、客観的に見ることで自分のことについて気づくことができます。上手な師匠方はだらんとした状態でしっかりとした発声をされています。特に千歳太夫師匠(*)は 本当に力を抜いて語られているなと思いながら見ています。
*千歳太夫 昭和53年、四代竹本越路太夫に入門。昭和54年、竹本千歳太夫と名乗る。平成17年1 月、八代豊竹嶋太夫の門下となる。令和4年4月、切語りに昇格。
錣太夫師匠の舞台から学ぶこと
──錣太夫さんの舞台というのは毎公演後ろで聞かれているのでしょうか。
今回の公演は後ろで聞かせていただいているのですけども、ほとんどの公演は白湯を見台の横において真横で聞いています。
──どういうところに注目していつも聞いていますか。
そうですね。師匠のやられるのは段ものと呼ばれる大きいものが多く、私はまだやったことのないようなものなので、まずはどういう物語なのかとかこういう節なんだなというのを頭にいれていっています。
──物語によって語り方がちがうなというのは感じられますか。
世話物(*)の語り方とか時代物(*)の語り方とかいろいろ段によって違いがあるので、作品による語りの違いを感じながら聞いています。
*世話物 実際に起こった事件やニュースをタイムリーに物語に取り入れたもの。
時代物 奈良時代から戦国時代にかけての物語を扱ったもの。
──声のトーンとか力の入り方がちがったりするということですかね。
そういうモノもあります。時代物だと力を入れて語っていたり、世話物になるとさらっと語っていたりと場面ごとに語り方が全然違っています。
──後ろで聞いている中で師匠の中から自分自身の稽古に取り入れたりすることはありますか。
はい、あります。師匠にもいいところはもちろんなのですが、悪いところもあって、師匠の悪いところに似てしまうというのはよく言われていることなので、そういったところも意識しながら自分の中に取り入れています。
──悪いところが似てしまうというのはどうしてそうなってしまうのでしょうか。
悪いところっていうのは自分のいいように語るというところがあって、それが悪い癖として出てしまうことが多いんです。自分が楽だったりやりやすかったりというのがあるので、人間の心理的にそっちに行きがちになってしまうという感じですね。
──自分のやりたいように語ってしまうっていうのはよくないということなのでしょうか。
そうですね、よくないとも言いますし、それが良いところだと言ってくださる人もいらっしゃるので、受け手によって変わってしまうので難しいところではあります。
──師匠のすごいなと思うところや真似していきたいなと思うところはどういったところですか。
師匠は全体的に全力で語られるので物語のスケールが大きいんです。心理描写や声の大きさだったり、間がはっきりしているので聞いていて心地良いなと思うのでそういうところは真似していけたらと思います。
──師匠のやっている作品についての解釈について師匠に直接聞いてみたりするようなことはありますか。
今のところはあまりないですね。僕自身まだ作品について理解しきれていない部分もあるのでまだ集中して聞 くっていう段階なので、何年かして少しずつ理解してくるところもあると思うので少しずつ聞いていこうかなと思っ ています。
研修生時代の指導について
──聖太夫さんは研修生を経て錣太夫さんに弟子入りされたということなのですが、研修生時代とそれ以降で受けられる指導にどのような違いがあるのかを教えていただきたいです。
まず、太夫・三味線・人形の三業すべてをそれぞれの師匠から習っていくので覚えることが多くとても大変でし た。そこから一本に絞った後も三味線がついて太夫の師匠から細かな指導をされるんですけど、複数の師匠方 から指導を受けるということもあって指導の方法が少し違うこともあって理解するのに苦労しました。入門後は師 匠が一人なので師匠の述べられたことが一番なので、そこを軸にして考えることができるので、それまで以上にほかの師匠方からの言葉が吸収しやすくなったところはあります。
──たくさんの人から指導を受ける中で少しニュアンスの違うことを言っている方もいるっていう感じなんですかね。
そうですね。少し言っていることが違うかなと感じることはたまにあるんですけど、師匠方からは違っているように 感じるかもしれないけど言ってることの本質は同じだからと言われます。
──研修生時代には人形、三味線もやってきたということで、なにか今に生きるなと思うことはありますか。
三味線を触っていくと三味線さんがどういう間でどういう弾き方をしているのか分かったり、人形さんですと動きがこうだから太夫の時にはこういう風に読もうとか、間の作り方にはいかせているかなと思います。太夫だけで 作るものではなく三業すべて合わさってできているというのがよくわかるようになりました。
──研修生時代の指導の中でいわゆる教科書みたいにまとめられた資料みたいなものがあったりするんですか。
一応座学みたいなものも受けるのでその時に資料みたいなものは受け取るんですけど、教科書というよりは一応基礎的なことでやっておいたほうが良いみたいなことを師匠方が決めてやるという感じです。例えば三味線ですとまず弦をちゃんと弾けるようになるとか、太夫ですと発声から三味線の音がちゃんとだせるかというようなこ とをしていっていました。
──基本的には師匠方からの言葉というところが一番大事になるっていう感じなんですかね。
そうですね。それが自分でもわかりやすいですし、長年努めていらっしゃるのでそれが一番かなと思います。
──研修生時代に様々な方から指導を受ける中で印象に残っている言葉は何かありますか。
三味線の師匠から言われたことで「努力の仕方を間違えるな」というのがあります。例えば、今の自分からどうな りたいかと考えてそこに向けてふらふらせずにまっすぐ努力していくことが大切といわれたことは印象に残ってい ます。
──どういったところや人を目指したいみたいなものは具体的にありますか。
そうですね。例えば、竹本津太夫(*)という、師匠の師匠になるんですけど間接的にも師匠を追いかけることになるのでそこは目指したいと思ってやっています。
* 四世竹本津太夫 三世竹本津太夫の実子。昭和37年より切場語りとなり、昭和48年人間 国宝に認定された。
──津太夫さんの録音などは聞いたりされるのでしょうか。
劇場で保有している音源を借りて聞いたりとか、YouTubeにある音源を聞いたりしますね。
──それを聞いて何かご自身に活かしていることはありますか。
昔は今と比べてテンポが早かったりとか違う部分があるので、参考にしすぎてしまうと師匠方から違うといわれ ることもあります。なので基礎的な発声だとか物語をどうやって伝えているのかといった概念的なところをうまく 取れるように聞いていますね。
──概念的なものというと具体的にはどういうことでしょうか。
例えば、今師匠のやっている「堀川猿廻しの段」だとお猿さんが操って楽しい雰囲気を出しているけどこれから死にに行く二人への言葉ということで本当は悲しい場面なので、そういう雰囲気をどのように出しているのかと いったところを取っています。
──今回の公演で錣太夫さんが演じているのと、録音で聞いた津太夫さんの演技を比較したりするようなことは ありますか。
どちらも聞く中で自然と比べたりはしていますね。そんな中で結構ちがうなとは感じます。どちらが良い悪いでは ないので、私自身も結構悩むところではありますね。
──演じる人によって個性が出ているという感じなのでしょうか。
そうですね、この人の語りが良いとか、この人の聞いてて気持ち良いとか聞く人によっても結構ちがうみたいで、SNSを見ていると結構はっきり書かれているので聞く側に違いがあるんだなと感じています。
──SNS上に投稿されている意見を参考にすることはありますか。
参考にしすぎると分からなくなってしまうので、先輩方からの意見に絞って取り入れていますね。

(筆者撮影)
お二人へのインタビュー
師弟関係について
──第二回素浄瑠璃の会インタビューでは、錣太夫さんは師匠である竹本津太夫さんにとても親切にしていただいたとおっしゃっていましたが、ご自身が聖太夫さんを弟子として迎えて、どのような接し方を心がけていらっしゃいますか。
錣太夫:文楽にとっての貴重な財産ですから、とにかく損なわないようにしていきたいと思っています。人間もそうだし、芸の方も損なわないように大事に育てる義務があります。あとは、勝負するのは50代からですから、そこに向かってどれだけのものを蓄積できるか。人間力であったり、芸の力であったり。そのためにはまず生活できないといけないですから。とにかく芸の基本と生活の基本です。芸さえできれば仕事はいくらでも入ってきますか らね。そこをしっかりと育てていきたいと思っています。
師匠としての接し方では、嫌な思いをさせないように気をつけています。津太夫師匠は私に嫌なことをさせなかったので、私もできるだけそうしたいと心がけています。のびのびすくすく育って、文楽の財産になってほしいと思っています。
──厳しくあたったことはないですか。
錣太夫:私自身も師匠から厳しくあたられたことがないので、私も面と向かって怒ったことはないです。
聖太夫:全く怒られたことはないです。他の先輩方には怒られることもありますが。
錣太夫:周りには厳しく指導してくださいと頼んでいるんです。ちょっとずるいですね。
──その人間力っていうのは具体的にはどういったところなのでしょうか。
錣太夫:結局語るのは僕じゃなくて彼なんですよ。浄瑠璃聞いてたら、この人どの程度のレベルのことを考えてるかっていうのは大体分かるようになってくるものなんですよ。この言葉をどういうふうに表現するかというのは、彼がこさえることです。
その言葉を聞いてれば、どれだけ本を読み込んできたのかなとかね。その人物に対してどういう考え方を持ってる、だからこういう言い方になるんだろうなとかね。そういうことが、自ずと出てくるものなんですよ。
お客さんもそういうのを感じるので、それを聞いて納得していただけるか。この人変な人ねとか、この人物をこういう風に表現するのは私は受け入れられないなとか、お客さんのほうが敏感に感じられるんですよ。だからお客さんが聞いてて共感する部分をその人の芸から感じられるような表現をしてくれたらいいなと。私自身もそう思っているし、彼にもそういう芸であってほしいなと思いますね。
──登場人物に共感して語るということでしょうか。
錣太夫:そうですね。共感であったり反感であったり、色々です。もう腹の底から悪い人間も義太夫には沢山出てきますからね。そういう部分をどう表現するのか。もうとことん悪でやって、その悪が心地よければいいし、その悪人の中でも人間らしさが感じられるように、語る力があればそれはそれでいいことだしね。どんなにいい男やってても、性根悪そうだなというところがあると、共感できる部分とできない部分がありますからね。それは義太夫の人間性が出るところでもあると思います。
作品解釈について
──2022年の『毎日新聞』でのインタビューで「頭の中で納得がいかなければ、本当の意味合いが伝わらないのではないかと考えるようになった」とありますが、太夫自身の作品理解を重要視されているということなのでしょう か。
錣太夫:自分なりの解釈でしかないですけどね。作品の中にある、いろいろな人間関係をどういう風に捉えてるかというのは、あくまでも自分自身の問題であって、これはこういう事情でこういう関係だからこういう風に語らなきゃいけないということはないんですよね。それぞれが自分の考えで、その関係を際立たせて表現できればいいのだと思います。
それはお客さんのほうも同じで、お客さんと我々は全く違う人格だから、私はこう思うからこう受け取ってくださ いってことはできないの。自分なりの作品の解釈や登場人物の性格を今の自分の技倆の中で表現して、本当は私はこういう風な表現をしたいんだけども、お客さんはどうですか。というふうに問いかけるしかないんです。
年齢も違う、性別も違う、生まれた環境も違う、何もかも違う。僕ら芸人と、お客さんとの繋がりはないんですよ。 だから、自分なりの理解の中で、こっちが自分の内面を語る。その登場人物に託して自分の感覚を伝えるしかな いので。それをお客さんがどういうふうに捉えるかは、お客さんの問題であって。
そのなかで、自分の表現の中の感覚と、作品の登場人物や状況を考えたときのお客さんの心の中にある感覚で、共振する部分があったときに、ある種の感動が伝わるのではないかなと思っています。
錣太夫:伝えようとして伝えられないのが芸なんですよ。
──指導をされる際に、ご自身の解釈は聖太夫さんに全て伝えられているのでしょうか。または、弟子自身の解釈に委ねているのでしょうか。
錣太夫:自分なりの感覚を伝えることはあります。例えば、お父さんが息子の首を切らないといけない時は、やっぱり情景がこうだから、目にジーンと来るものがある間がないと、伝わらないよみたいな言い方はします。
──ご自身でやってみせることはありますか。
錣太夫:やってるかな。
聖太夫:はい。見本をやっていただいてることはございます。
錣太夫:芝居のひとつの場面を演じる時、そのシーンを心の中に思い浮かべます。イメージが頭に浮かんでから 腹の中で一拍、二拍、三拍と間を持つ!そのくらいの間がないと、じわっとするものが出てこないなっていうこと はあるんだけども、その中で彼がどういう情景を思い描けるかどうかっていうのは、彼の問題だよね。
海岸で波がざあざあと打ち寄せ、夕日が沈みかけてる。そういうところで極彩色の浮世絵みたいな場面を描かなきゃいけないよみたいなことは言いますけどね。それをどういうふうに捉えてどうイメージしてどう演じるかは、もう彼の仕事。
彼が舞台で息を吸って、息を吐く時に場面に合うような声をどう使うのか。どれだけ客席に息を放り出せるか。どれだけ客席の空間を捉えられるか。彼が自分で肉体を鍛錬して、腹力を鍛えて、声を傷めないよう息をふわっと 声帯に乗せて、息一杯に声を響かせる。これらをこれから全部、自分で身に付けていかなきゃならない。
技を伝えるということ
──公演の演目、『ひらかな盛衰記』で聖太夫さんに指導されたことはありますか。
錣太夫:先輩方にいろいろ言われていると思います。私の担当ではないんです。実は我々、師匠に稽古してもらうことって、ほとんどないんですね。私自身5年、10年で稽古していただいたのは3段か4段ぐらいしかありません。
私は叶太郎師匠(*)というお年寄りの師匠が三味線を弾いてくださることが多かったんですけども、そこで稽古していただいたら、教えられた通りにやりなさいと言われていました。節が間違ってるとか、音程が間違ってるとか、よっぽど極端な間違いは師匠以前に他の方が言ってくださいます。
* 叶太郎 大正2年、四代鶴澤叶(二代清八)に入門。昭和63年3月13日、逝去。昭和6年、初舞台。鶴澤叶太郎と名乗る。
──師匠からは舞台を聞いて学ぶことが多かったのですか。
錣太夫:僕の場合は、お稽古行くことはそれほど多くなかったけども、毎日師匠の世話しながらついていました。 たまに白湯汲みさせてもらったりもして。鳥屋口(とやぐち)という、歌舞伎で言うと、花道の奥にある出入りの揚 幕(あげまく)の裏に行って、前から聞いたり、床の上にある御簾(みす)の中で聞いたり、照明室で聞いたり、と にかく師匠の舞台をいろんな場所で聞いてました。師匠の空気感ですかね、師匠から伝わってくるものをいろん な角度から聞くことが勉強でしたね。
また、師匠がね、何やっても善人に聞こえるんですよ、人間の優しさみたいなのがあって。ものすごく豪快で大き な声のかたで、弁慶とかやらしたら、とてつもなく大きくて、すごいのだけども、その中に人間味を感じるところが あって。そういうところは実に素晴らしい師匠でした。
──録画で津太夫さんの『摂州合邦辻』を拝見しました。
錣太夫:津太夫師匠の合邦は「デッサン」が大きい。一見、荒っぽい筆遣いのように感じるのですが全体で見る と形が決まってて、これでなきゃこの合邦にならないなみたいなとこがあって、実に素晴らしいんです。けど、その中に実に繊細な人間の優しさみたいなのが出たり、人間の悲しみみたいなのが表現できているところがあって。それを聞かせていただくことが修行でした。
師匠のとこに稽古行っても「そこで鼻から大きく息吸うねん」とか、そのくらいのことしか言ってくれないんです。節 数を稽古してもらうっていうのは稽古じゃないですからね。その作品を描くにあたって、どういう息を吸うのか、どういう息を使うのかが師匠の稽古の中では一番大きな部分だったと思います。
師匠は息の吸い方しか言わなかった。細かい節数なんかほとんどおっしゃらなかった。「そこでな、お前、息がひけてないねん」とか「こういう息吸うねん」みたいなことしか言われなかったです。
──錣太夫さんが聖太夫さんに息について指導されることはありますか。
錣太夫:息がひけてない、ということはよく言う。あと、息をぐっと止めなきゃ。息を吸う前に、お腹がくっと止まっ ていないといけないよ。とはよく言います。腰に力が溜まっていて、上半身の力が抜けると、自然に息がひける の。また息を止めた瞬間に人物が変わる。その人物になりきれるというか。息が止まらずに続けて演奏すると、 きっぱりと人物が変わらない。
──錣太夫さんが息の使い方を習得したのはいつですか。
錣太夫:いやいや、まだまだ。本当のことはわからないです。これが正解なんてわかったら苦労しないです。この年になっても悩んで、舞台に出るの怖いなとか嫌だなとかみんな思ってるんですから。口では出さないですけど ね。みんなはったりかまして、「わしの聞いときなさい」みたいな顔してるけど、本音は違うんですよ。
──第二回素浄瑠璃の会インタビューによると、鶴澤寛治師匠に「幼稚園生に大学の授業をなさっておられた」と いうほど、レベルの高い指導を受けられていたということですが、聖太夫さんにも背伸びを必要とするくらいのレベルを同様にご指導されているのでしょうか。
錣太夫:「寛治師匠にあんな結構な稽古してもらっても、君はわからんやろ」ってクチの悪い先輩によく言われましたが、その通りだったので「はい、わかりません」と返事するしかありませんでした。
例えば、「膝から声出すねん」とか言われて。それはどういう意味ですか、膝から声が出ますか、って。寛治師匠 は膝のことを非常によく仰ってました。「太夫は相撲と一緒やねん。いざという時はな、四股踏んでな、膝鍛えて 舞台出るもんや」とか。そんなこと言われても、なんのことか分からない。お腹から声出してっていうのは皆言う ことだけど、声は喉から出るので。お腹から声が出たら腹話術ですからね。
大学の先生の授業をやっているっていうのは周りが言っていることで、私はそれが大学の授業であるなんてことは分かっていないですから。
──当時言われたことで、今になって分かってきたことはありますか。
錣太夫:膝の話ですと、やっぱり膝がくっと締まって、声出す時に膝に力入ってる方がお腹には力入りますよね。膝に力が入ると上体の力が抜けやすい。
あと、野球の落合選手とか張本選手も膝のことをよく言っていますよね。膝に力入れてぐっと踏ん張ると、大地 からパワーもらえるって。だから、そういうところでは同じようなものかな。関節が緩むと、声が出ないっていうよう なことはあります。
──膝の話のように、難しい比喩で伝えることはありますか。それともなるべく分かりやすく簡潔に伝えられていますか。
錣太夫:分かりやすく伝えたいとは思うんですけど。どうなんですかね。
聖太夫:本当にわかりやすいです。自分が消化できるかは別ですけど、聞いていて分かりやすいです。こういう ことなんだなと理解できます。
──錣太夫さんから聖太夫さんに具体的に指導されたことはありますか。
錣太夫:稽古をする前に、節数はきちんと入れといてほしいなとは思います。節にもいろいろな節があるでしょ。 ハルフシとか長地とかスエテとか。この文章についてる節はこんなのでトはここや、というような稽古はできたら したくないです。
楽器でいったら、ピアノでもバイオリンでも、「譜面通りに弾けて、それからが稽古だ」というのがプロの稽古であ るべきだと思ってるので。まず少なくとも譜面通りに楽器を弾ける、譜面通りの言葉を言える、譜面通りに節を言 える。節はちゃんと稽古の前に、覚えて言えるようにしといてほしいっていうのはあります。
難しい師匠だったら、一回やって、「そこの字配りが違うよ、こうだよ」と言われて、次の日に同じ間違いをすると、 もう二度と言ってくれない人もいる。持ってる拍子扇を置いて、「はい、もう終わり、明日も来なくていいよ」と。これで終わってしまうんです。
竹本錣太夫氏へのインタビュー
語るということ
──現在公演中の、『堀河猿回しの段』を拝見いたしました。兄が若い二人のカップルを送り出す直前の場面 が、作品の中で最も悲しさを感じて印象に残りました。このような場面はどのようなことを思い浮かべているので しょうか。登場人物になりきっていらっしゃるのですか。
与次郎は難しいですね。ただただ真面目で彼の妹は美人でね。ちなみに人形の頭は眉が動く「又平」という人形 の頭が使われていると思います。決してチャリで語っちゃいけないですよ。チャリというのは滑稽な人物という意 味ですが、堀川の与次郎は真面目な小心者という性根で語ります。
決して二枚目ではないですよね。毎日猿回しの大道芸に出て、わずかな日銭を稼いでいる。おばあさんは栄養 不足で目が見えなくなってしまっています。妹は体売る商売。悲惨な家庭の話をしていますよね。実に三人とも 心の優しい、でも運命に翻弄されて、自分の立場、身分というか、そういうものに流されて、ああいう生活をせざ るを得ない人たちをこの物語は描いています。
だから、そういう悲しみみたいなのも表現できたらとは思うんだけど、これを義太夫で表現することはとても難し い。私たち芸人は作品に書き込まれた内容をその通り表現しなければならないと思います。例えば最後のおば あさんの所ですけど、おばあさんの心の中の思いやると切ないものですよね。死にに行くのを親が合点して送り 出さなきゃいけない。もう絶望しかないですね。二人はもう生き延びることはできないんですからね。原作は助か るような設定になってるそうですけどね。文楽ではそのまま死にに行くっていう設定ですからね。
祝言の猿回しの場面もわあって盛り上がっているけど、「もうこれでお別れだ、生きてる顔は見れないんだよ」と いうところで、なんでも賑やかに送り出そうという、お兄ちゃんの心が悲しいですよね。
これは余談になりますが私たち芸人はいつも言っている所なんですが、あのおばあちゃんの三味線の技術は非 常に高いですね。現実ではあり得ない技術の高さに、「派手な演出で面白くすることでお客様を楽しませよう」と いう文楽の考えが表れています。他にも、最初に子どもに三味線の稽古を行う場面や最後の猿回しの場面もそれにあたります。お客様にお土産をというサービス精神たっぷりの作品です。
──「声の出し方」や「読み方」について、世話者と時代物でどのように異なっているのでしょうか。
時代物はとにかくしっかりとした、どっしりとした声で輪郭を書かなきゃいけないのが体力的に大変ですね。だか らといって世話が簡単という意味ではなく、時代物と世話物ではまるっきり別の難しさがあります。性根は一緒で すが、声の使い方が異なります。何年もかけてひたすら声を出して、自分の体に覚え込ませます。弟子である聖太夫も良い声を持っているので期待しています。
──お弟子さんの指導について、褒めたり叱ったりについては、どのようなことを意識されていますか。
基本的には褒めません。褒めてしまうと「自分はできているんだ」と思ってしまう。人間は自分に甘いですから ね。自分に厳しく接することができる人はなかなかいませんよね。ストイックに芸に打ち込まないと食べていくこと ができません。そのような点からみても、長い時間かけて自分の声と向き合うことを大切にしてほしいと思います。
私たちも、とにかく辛抱だと言われました。一朝一夕には行かない、個人差はありますが年代を重ねるにつれて 技は上達していくのではないでしょうか。太夫は自分で出す自分の声が客観的には聞こえません。自分はこうい うつもりで声を出しているから、お客様にもこう聞こえるはずだと錯覚して思い込んでしまう。
ところが、お客さんはそうは思わない。私がええ声やなって思ったら、お客さんは嫌な声だなと感じている場合が 多いです。お客さんがいい声だと思うあの声が、どういう状態の時に出てるのかを客観的に判断するのがなか なか難しく、自分ではわからないことが多いです。だから、人にどう自分の声がどう聞こえてるかっていうのが客観的にわかるのが上手になる近道なんだけど、それがわからないですよね。
自分の声と向き合う
──ご自身の技を上達させるために、録音などの江戸時代にはなかった技術を用いることはあるのでしょうか。
僕は必ず録音します。録音しないと、自分の声が客観的にどのように聞こえているのかわからない。自分では良 いと思っても、録音を聞いたら全く違うことをやってるってことばかりです。言葉と言葉の間や、言葉の羅列の繋 がり、テンポ良く言葉が出ているのかどうか。自分ではさっさっとやってるつもりですが録音を聞いてみると、もっちゃりもっちゃり。
「こんなにゆっくり言うたらあかん」と思うことがよくあります。もっともっとテンポよく語らなければいけないのに、 私は1つ1つの言葉尻が止まってしまう。止まりすぎるから、言葉がぶつ切れになってしまう。これ、さらさらさらっ と聞こえないといけないのに、「なんでこんなにねっちねっちやってんねん」という。
──ご自身の声は1作品でどれほど録音されるのでしょうか。
稽古の時はもう毎日録音します。舞台稽古が始まると初めの二日は録音しますが、録音しすぎるとあまりにも全 体が計算ずくみたいになってしまうので、三日目ぐらいからもう録音はしません。 舞台稽古初日、二日目ぐらいまでは必ず、そして本公演の前の稽古は必ず録音して、その前には予習して、本番稽古して、また復習します。 そのため1時間の作品があったら、少なくとも 3時間は時間をかけないといけない。結構時間がかかります。しかし時間をかけた分は必ず帰ってきますからね。
──昔から録音っていうのは一般的だったのでしょうか。
私が入門した頃から一般的でした。私は二十歳で入門して、それまで文楽には触れて来なかったので三味線の 音っていうのが全く体に染み込んでいなかったことが課題でした。とにかく三味線漬けになろうと思って、師匠の テープとか先輩のテープを入れて、朝から晩まで聞くことをノルマにしていました。
──お客様の反応はどこまでご覧になっているのでしょうか。
かなり見ていると思います。いつもいらっしゃっている方はわかります。しかし、反応を気にして語りを変えるようなことはありません。お客さんがすっと涙拭ってくださると、嬉しいなとは思います。
──先ほどの師匠のお話に戻ってしまうのですが、師匠を目指して近づこうという思いはありますか。
真似したいとは思いませんが、師匠に似てきたねと言われることはよくあります。血も繋がっておらず、声も全然 違うんですけどね。私はどちらかというと線の細い声ですが、師匠は丸太のように太い声です。私は似ていると は思わないですが、やっぱり側でずっと見てきたからなのかなと思います。
芸質・声の質が違うので、近づこうと思っても近づけるものではありません。義太夫の語り方は師匠という大本 がありますから、それは当然似て然るべきものではあるんだろうけども。自分ではそう意識したことはないですね。
──声の質は何に影響されているのでしょうか。
声帯の長さではないでしょうか。耳鼻科の先生に診てもらった時、君は典型的なテナータイプだねと言われたこ とがあります。私の声帯は強いけど短いんです。長唄はテナー声の方が方がいいでしょうが義太夫はどちらかというとバリトンやバスなどの低くて太くて長い声が向いていると思います。
──年齢とともに声も変わっていくのかなと思うのですが、それに合わせて技を変えることはされるのでしょうか。
年齢を重ねるにつれて体力が衰えるため声は出にくくなります。しかし、年齢を積み重ねるうちに衰えた声をカ バーする技は身に付くのでしょうね。一回の役の中では死にかけている人から強く凛とした人まで様々な役の声 を出すことが必要とされていますから、年をとって声は衰えても衰えをカバーできる技を今のうちに身に付けておかなければならない。
これからの文楽
──最後にこれから文楽を後世まで繋げていくにあたってどのような指導をしたいと思っていらっしゃいますか。
私が現在75歳で後期高齢者になり、文楽を続けられるのもあと10年になりました。聖太夫が独り立ちする頃に 彼は別の師匠につかなければならない、そのような意味では心残りがあります。しかし、役に立つ人間になって いれば周りの人もちゃんと面倒見てくれるし、責任ある役もついてきます。そういうふうに育ってほしいです。
自分の役も重い役が多いので、自分の稽古に追われて弟子の稽古も思うほどできません。のぞむらくは聖太夫 が頑張って先輩、師匠方から聞いたことをちゃんと自分のものにできるようなレベルに早くなってほしいですね。 自分で曲が理解できて、その構成がきちんとできて、人物の語り分けも息の使い分けができれば、一人前になれますから。
あとは健康に気を付けてほしいです。昔は声帯を潰してこそ本当の声が出るという人もいましたが、不摂生して 声帯を潰したらもうおしまいですからね。ラーメンが好きみたいなので食べ過ぎには気をつけて、声を絶対に潰さないようにしてほしいです。彼と巡り会ったのも運ですし、狭い世界ですから色々なことありますけど気にせず鈍臭く、頑張ってほしいと思います。
6代目鶴澤寛治の「運、鈍、根」のお言葉をお借りして言いますが、私は一番大切なのものは運だと思います。 文楽の家柄に生まれるのも運だし、家柄でないのも運だし、この師匠につくのも、こっちの師匠につくのも、運で すね。いろんなお客さんと巡り合って引き立ててくれるのも運だし、悪い友達に捕まって道を外すのも運だし、も う人との巡り合わせですよね。もうこればっかりはね、自分で選べないとこが多いのでね。その人の持ってる運勢みたいなのは大事ですね。
この世界はセンスがある人が辞めていってしまいます。今まで何人も、芸はいい、声もいい、音楽的なセンスも ある人が辞めてしまいました。狭い世界で、役がつくまでつまりお金を稼げるようになるまでに時間がかかります からね。そういうとこに鈍臭く鈍感であって、それで辛抱できるような人間なら、とにかく10年辛抱すりゃそこそこ役もついてきます。
人よりちょっと秀でたところを見せればね、この人はって思ってくれて、またもっといい役をつけてやろうかという話になっちゃうんでね。根気よく鈍臭くも才能なので、これからも続けてほしいと思います。
編集後記
秋山
取材を通して、さまざまな事と向き合いながら太夫としての語りを追求し続けているというところに 文楽の魅力が現れていると感じました。わざと向き合い、ともに作品をつくり上げる人とも向き合 い、文楽を見に来てくれる方とも向き合いながらより良いものを追求していく姿が多くの人に愛さ れる芸能である理由なのかなと感じました。これからも多くの人に愛される文楽であってほしいな と強く感じました。この度は貴重な機会を頂き誠にありがとうございました。
上田
取材を通して文楽という芸能の面白さ、奥深さを知ることができました。太夫としての技量はもち ろんですが、人間性までもが芸に現れるというのが面白さでもあるのではないかと思いました。 稽古や指導についても、どこまで仕上げてこれるか、実際の舞台からどれだけ吸収できるかとい うのは、それぞれの太夫にかかっているのだなという風に感じました。今回の取材にあたり、実 際の公演を鑑賞させていただく機会もいただき、非常に貴重な経験になりました。ありがとうござ いました。
倉本
インタビューの中で錣太夫さまと聖太夫さまの信頼関係が伝わってきて、公演の面白さだけでな く師匠と弟子が築く人間関係も文楽の魅力であることに気づきました。特に印象深く残っているお 言葉は「鈍臭く」です。大変なことには鈍臭くいることで芸を続ける力にするというお考えは、大学 卒業が間近になり将来を考えることが増えた私自身にとってハッとさせられるものでした。文楽の 様々な側面の興味深さに触れることができたと感じています。貴重な機会をくださった竹本錣太夫さまと聖太夫さまに感謝申し上げます。
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