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  • 執筆者の写真ゼミ 横山

魂を伝承する

更新日:6 日前


太田、瀧口、大田、郡、松本

 

 

今回のインタビューは、ピアニストの安井耕一さんです。師匠であるコンラート・ハンゼン氏から受け継いだ新しい指導法についてや、安井さん自身の音楽への向き合い方などについてお話を伺いました。

 

安井耕一氏プロフィール

札幌に生まれる。道立札幌南高校を経て、東京芸術大学音楽学部卒業。ピアノを横谷瑛司、水谷達夫各氏に師事、歌曲伴奏については戸田敏子氏の薫陶を受ける。 1977年から85年まで西ドイツ、リューベック国立音楽大学にてコンラート・ハンゼン氏(※1)のもとで研鑽を積む。ハンブルクをはじめ各地で演奏会に出演する傍ら、同大学で伴奏講師も勤める。帰国後は札幌、東京などでリサイタルを重ね、室内楽、歌曲伴奏等活動を続けている。音楽工房 “響”を主宰し各地でセミナーや講座を開催し若手の育成にも情熱を注ぐ。 1993年から2007年まで東京芸術大学非常勤講師、2006年より国立音楽大学・大学院教授を勤める。(『音楽工房 響』引用)

 

※1 1906年、ドイツのリップシュタットに生まれる。6歳でヴァイオリンを、8歳でピアノを始め、16歳の頃1エトヴィン・フィッシャーに見出され、彼の弟子としてベルリンで勉学を開始する。20歳で演奏旅行を開始し、24歳で最初のピアノ独奏会をベルリンで開催。1932~1945年の間、ヨーロッパのあらゆる国々で客演。ベルリンフィルハーモニーオーケストラとはw.フルトベングラー、カラヤン等の指揮で共演。一方、教育活動にも力を注ぎ、日本へも演奏旅行と公開レッスンで度々来日している。ハンブルク国立音楽大学で教授職を務め、現在は演奏活動の傍ら世界各地でのピアノコンクールで審査員も務めている。日本ピアノ教育者連盟の名誉会員でもある。(著:トバイアス・マテイ『ピアノ演奏の根本原理』引用)





日本音楽界への問題意識

─早速ですが、安井さんは日本の音楽界に対してどのような問題意識をお持ちでしょうか。

 

私がいた頃のドイツでは、家庭でのホームコンサートが良く行われていました。広い家だと4、50人入るような部屋がありました。演奏しに来るのはプロの音楽家で、演奏のレベルも高かった。招待されるのは近所の人たちで、演奏だけではなく会話やコミュニケーションを大切にする雰囲気がありました。音楽を聞く雰囲気が温かかった。音楽会を聴くというより音楽会に参加すると言った態度を感じて羨ましかったです。

日本では音楽は教育産業的(例えばコンクール)なもの、あるいは音楽会産業的なものが主流で聴衆は受け身で音楽を聞きます。そういう場では評価されるものが大事になってしまい、音楽が持っている人と人を繋ぐという面が忘れられていきます。日本の場合はどうしてもコンクールというのが大衆に分かり易くなるのでしょう。ですからプロになっても演奏が、弁論大会のような硬直したものに終始してしまうのを大変残念に思っています。

 

─ドイツをはじめ、ヨーロッパのコンクールでは、審査する人は何を求めるのでしょうか。

 

音楽がどういうものか、を求めていると思います。ヨーロッパは音楽というものの在り方を分かっていますから、日本ほどコンクールの結果を重視しません。今はどうかわからないけど。

 

─というと?

 

今のヨーロッパはグローバル化が進んでいて、文化的には混乱しているように見えます。ドイツに行っても私が留学していた頃のドイツの文化の厚みを感じるということがなくなってしまいました。音楽だけではなく文化にとってこれは良いことではありません。すべてが産業化された視点から動いていくからです。

 

昔からの伝統を大切にし、そのうえで新たな文化を生成するという点では、逆に日本の方に可能性があるとも言えます。日本は古くて価値のあるものを大切にする気風があります。そのうえ技術の継承に価値を置いています。1400年も前から続く金剛組っていう宮大工の会社がある(※2)。何年も修行して宮大工を育てる、そういう技術が受け継がれている会社があるのは凄いことではありませんか。日本にいると気が付かないことだけれど、ヨーロッパの音楽家も知識人もそういう日本に期待しています。ハンゼンからはヨーロッパの最高のものを日本で残してくれるように言われました。ヨーロッパの混乱は昔の良きものを伝承するという心の余裕が失われてきたようです。それを肌で感じる優れた芸術家・思想家が日本に期待しているのです。ピアニストのチッコリーニ氏も同じことを話していたそうです。

 

※2…株式会社金剛組。世界最古の株式会社。神社仏閣の建立や修繕を請け負う、宮大工の会社。

※3…アルド・チッコリーニ(1925–-2015)。フランス人ピアニスト。数多の賞や勲章を受章し、ピアノ界の重鎮として名を成した。

 

西欧では、伝統というものは精神的なもので、伝承されるのは技術です。音楽というのは西欧の精神史に重なります。しかし芸術においては、伝承する技術が疎かになると、精神的伝統もあやふやになるのです。

 

─伝承は言い換えれば型で、そこに精神の部分の伝統が一緒に残っていくということでしょうか?

 

その通りです。伝承されるのは、形です。日本では歌舞伎や舞いでも最初は形から入ります。当たり前なこととして日本人はそこに美意識を重ねられます。宮大工の道具の使い方一つでも、新人は親方にひたすら違う!と否定され続けて、なにが違うのかわからないまま何年もやり続け、考え続けて、ある時すべてを理解する時が来る。日本人には、そういう過程を大切に考える習慣がある。

 

私は戦前の演奏家が好きでよく聞いていたから、ハンゼンからも音楽的には良いと喜んでもらったのだが、そのあと、それでは本物のピアノ演奏を教えてあげよう、と言われ、始めたのは基礎的なことの厳格な訓練だった。そんなことはとうの昔に出来たことのように思っていた基礎の基礎から厳格なレッスンが始まったのです。ある意味機械的とも思える訓練の毎日に、疑問も生じたし、反発する気持ちもあったのだが、僕の演奏と師匠の演奏(音)は全く違っていて、すぐに真似できる代物ではなかった。違いを目の当たりにして、師匠の弾く音と音楽に感動している自分を偽らないように、その厳格な訓練に耐えようと覚悟しました。私にはその訓練が目指す身体像がおぼろげにでも見えてくるのに5年かかりました。現代的な観点からするとこういう指導法は若い人には耐えられない事でしょうが、訓練を通して、人間と音楽、精神と肉体、質と量、日本と西欧とを繋ぐ視点を手に入れたと思います。

 

─師匠が弾く音楽を聴いたときに、こんなすごい人の演奏に近づけるなら挑戦してみようって思えたから、5年も基礎的な訓練を続けることができたということでしょうか。

 

そうですね、その通りです。本物を示せる芸術家・教師が必要です。

 

─ハンゼンとの出会いはすごく幸せな出会いだったということですね。

 

昔、鬱々と日本で過ごしていた時に、ハンゼンのリサイタルが東京文化会館の大ホールである事を聞いて、ふらっと行ってみたのです。最初に聴いた音でびっくりしました。自分が理想としていたような昔のピアニストの音が、昔の古いレコードの音じゃなくて、今の音として、聴こえたのでした。

リサイタル後半は一番前に座って、どうやって弾いているのかを観察しました。感動しました。音楽会が終わってすぐに舞台から上がってハンゼンの楽屋まで行き、弟子にして欲しいと頼んだのです。

その後ドイツに行って、本物の音楽をたくさん聴いて、見て、そのすごさに圧倒されたのです。そういう感動をくれた音楽家は居なくなってしまいました。


─それはどうしてでしょう。

 

なんでだと思います?僕も聞きたいですよ。

 

―先ほどおっしゃったように、産業としての面が中心となってしまったからでしょうか?

 

教育もそうです。一人の優れた個性を作るのではなく、ピカピカの商品を作ろうとするのですから。

 昔のピアニストをレコードなんかで聴くとね、どんな瞬間取っても、本当にこの人の真実の声、音楽にかける愛情をすごく感じる。そういうところが違いなんじゃないかなって僕は想像しているんです。

 

昔のピアニストをレコードなんかで聴くとね、どんな瞬間取っても、本当にこの人の真実の声、音楽にかける愛情をすごく感じる。そういうところが違いなんじゃないかなって僕は想像してるんです。

 

演奏について

─続いて、安井さんの演奏について詳しくお話を伺っていきたいと思います。ご自身が演奏する際、感情や情念をどのように身体の動きに落とし込んでいらっしゃいますか?

 

ドイツから帰ってきてからも、いろんな訓練を続けていました。そこで一つ決定的に理解したのは、あらゆる情念は身体的な状態から発する、ということです。

 

自分の子どもがまだ三歳か四歳くらいの頃のことなのですが、あるとき僕はタクシーに乗ったんです。そのときの運転手が、この前すごく辛い思いをしたと話し出したのです。話を聞くと、子どもが車に轢かれた場面に遭遇したらしい。「大変だったんですよ、お母さんが子どもを抱いて「病院へ!病院へ!」と叫んでいて」、それを聞いていたら、キューッと身体が硬直したのです。つまり、そのお母さんと同じ身体になった。つまり痛みを共有したのです。

 

ベルクソンって知っていますか?この人は質と量のことについてよく考えた人です。この人の考え方は僕の思考の原点でもあります。量の世界では、大きいとか小さいとか言いますね。でも例えば、歯が痛いのと骨折したところが痛いのとは質が違う痛みなのに、大きいとか小さいとか比べられるのはなぜだろう。ベルクソンは、痛みは生命に対するアラームだから、それに対抗する筋肉のエネルギーの量としてこの大小が使われるのではないか、という風に考察をしていく。

 

では、強い感情と深い感情はどう違うのか。僕は、強い感情がある時間を経過して、遠くなったときにある深い感情になるのだと考えています。時間をかけて強い感情が変化していくプロセスがあるのではないか。そういうこと含めてすべて身体的なものなのです。我々の思考は常に我々の身体に向かうものです。

 

─これまでの経験を覚えているいないにかかわらず、経験からしかその状態にはなれない、ということですかね?

 

そうだと思います。ピアノの演奏を聞いていると、弾いている人の身体で起こっていることが、手に取るようにわかる。それは、本人にとっては無意識の部分だけれど、自然と出てしまうのです。それが品格であったり個性であったりするものなのです。意識して作ることが出来ないものが、皆さんがよく言う表現なのだと思います。

 

─演奏に関しては、必ずその曲に他者性があるわけですね。

 

そう、即興であっても演奏する場合には他者性はあるものです。しかし我々は時代も歴史的背景も異なる作品を演奏します。つまり他者を演じているわけです。演奏する時には常に他者の声を思っているものです。自分の音ではありません。ベートーヴェンの声、シューマンの声、ショパンの声を想像するから演奏になるのです。

 

─音楽をやっていない側からすると、ピアノは楽譜を読み取って弾くというイメージがあったんですけど、お話を聞くと譜面を読むというより、それを作った人の身体になりきることで、自然と弾けるようになる、といったように感じました。

 

自然と弾けようになるかはわかりませんが、音楽の設計図っていうのは、作曲家の中に生まれたものだから、ただ音符を拾って弾いても意味がない。それはアルファベットを読んだだけです。文章を読み理解し、考える。演奏とは近代文芸批評と似ているのです。ほとんど同じと言っても良い。書く為には研究しなければならない。そしてその作品をどのように体験したかという事を文章として表現するのが文学者です。単なる感想文になってしまってはいけません。

 

 

─自分が求めることが何か、というところに辿り着くことも難しいのではないでしょうか。

 

そうですね、若い人でそういう悩みを言う人が多いですね。生きているという実感がない。今の世の中のせいにするのは簡単ですが、その中で生きていかなければいけないのでしょう。「君たちはどう生きるか」を問われているのです。観念で悩まずに労働する事です。体で掴んでごらんなさい。私の基本練習に明け暮れた年月は私にとっての労働でした。勉強する事です。学ぶという事は苦労が伴います。



(著者撮影)




 

音楽における身体性とは

 

─音楽における身体性について、さらに詳しくお話を伺えればと思います。


現代の思想を支配する科学的思考が解決できないものに対処するのが、身体じゃないかな。

僕は、集中して演奏が出来ているときにはエネルギーが音に籠って、電磁波みたいなものが聞いている人の心の中に入っていく感覚を覚えます。そうすると体の触覚として、ポッと人の心が暖かくなるのがわかる。だから、見ず知らずの隣同士に座っているお客さん同士で「良かったね」って話ができる。この力です、音楽の力って言うのは。音は耳に届くのではなく、音は身体から身体へと伝わります。人と人との橋渡しをしてくれるものです。

 

─聴いている人の身体の反応ですね。

 

一番大事なところです。なにか感動した時には自分が変わったような気がする。それは本当に身体に変化が起きている事だと思う。僕はそう思っています。例えば苦しむ人を見て体がきゅっと縮まった時に、自分の体にセンサーをつけてそれを計測すれば、なにかしらの変化がそこにあるはずだと思います。

 

手を合わせる行為にしても、祈る時に人間が採る行動です。「手を合わせて力がまとまる」っていう形には、身体的に意味があるはずです。そのときには手だけじゃなくて背中とか、腰とかも含めて、身体全部が自然にそのポーズに集まってくるでしょう。そういうふうに身体が反応したうえでの祈りじゃないと祈りにならない。身体の内に計測できるものがあるはずです。

 科学の時代に我々が意識をせねばならないことは、計測可能なものと計測が出来ないものの違いを理性的に捉える事です。

 


身体性の伝承

 

─魂とか心とかが身体を媒介して伝承される時、技を伝えてこそ、そこに伝統が生じるというお話があったと思います。つまり、身体から身体への技の伝承がない限り、魂の部分は伝承されないとなると、そこの技の伝承の方法が大事になってくると思うのですが…。

 

そうですよ。技を磨くことで魂の伝承ができる。

 

─生徒さんに指導される際に、技が伝わったなと思うのはどのような瞬間でしょうか?

 

真実の声という体験は誰にでもあるはずです。本気の声と言っても良い。それを経験させてやることです。何かを観念的に実現しようとすると身体を流れる自然な動きを止めてしまうということも起こります。そこをほどいてあげる事で本人が異なった身体感覚を得る。あるいは、身体的に力を溜める事が必要になるときには、エネルギーを注入してあげる事もある。使ったことも無い身体の場所を明らかにしてあげる事も有効です。それで音が変わったときに技が伝わったと感知しますし、本人にも分かります。グループレッスンで行うのが効果的です。なぜなら良い音が出たときには本人には何かをしたという実感がないからです。不思議なことですが意識的なものは記憶できますが、そういう本気の音は夢中になって出た音ですから、本人には聞こえないことが多いのです。しかし聴講している人たちは直ぐに解ります。その聴講者からの反応は、本人にとって意外である事が多い。それを身体で記憶していくのが大切です。

そういう質的なことは解ってから出来るのではなく、出来たことで解るのです。

 

─先に身体がなんですね、心ではなく。

 

そうなんです。その必要性がわかるのには、少なくとも5年はかかる。どんなに才能ある人でも。実際やるのはこんなことよ(机の上に手の平を下向きに構え、トトトト、トトトト、と左右四回ずつ指で机を叩く)。

 


(著者撮影)

 

(指を叩く動作は)机を太鼓だと思って行う。アクセントの位置を全部変えて、ピアニッシモ(弱い出力)からだんだん強くしてフォルテ(強い出力)からまた弱くしてって変化をつけていくわけ。こんなことを300回、アクセントの位置を変えながらやりました。

 

最初にハンゼンに教わった時はできなかったです、苦しくて。でもこれを1時間やっても2時間やっても辛くはないとハンゼンは言いました。ハンゼンが同じことをやってみせたのですが、同じリズムでピアニッシモでももの凄くよく聞こえるのです。それが僕は最初、5回も続けられなかった。

 しかしやり続けると、なんか面白くなってくるのです。横向きにも上向きにもやる。1日2000回。10日やったら2万回。年間60万回です。それを5年間毎日やりました。そうすると指がしっかりしてきます。

これ以外にも、もっと基本的な、非常にメカニックと思えるようなことも色々やりました。日本の音楽の先生が聞いたらぞっとすると思う。私もドイツまで来て、こんなことしていてよいのか?と思ったこともあります。


─理不尽だと感じてもおかしくないですね。

 

頭で考えるとそうです。辛いことから逃げる自分が悔しいから闘いました。

 

─よくわかんないけどとにかくやっているうちに、体が鍛えられてきて、本で読んだり経験してきたものと身体がピタッと一緒になった時に、やってきたことがわかるってことですよね。

 

そうです。人間の成長ってそういうものです。体力がついてある時全部が繋がってくる。

 

─一方で、演奏は論理的でなければならないとも語っておられますね。


感覚を言語化するのは難しい、しかし言語化しておくと繰り返してその状態に持っていける。音と音楽は人を酔わせる良い酒のようなものです。しかし演じている人間は覚醒していなければならないのは勿論でしょう。

言語もまた陶酔する精神に繋がる事もあるから私は努めて数学的に捉えようと思っています。音楽演奏はどちらかと言うと理数系の精神で臨むと良いでしょう。

音というのも物理的なひとつの量だから。ある感情的なものを物理的な量の関係に転換して身体化して記憶する。

 

俳優がやってることだって一緒です。重くない張りぼての石を持ち上げる芝居をするとき、重そうに見せるには重いものを持ち上げる身体を再現することが必要でしょう?そこには量的な把握がある。

 

『風姿花伝』って室町時代の世阿弥の秘伝があります。あれは、日本人が書いた演じる事への最高の書です。面白いですよ。例えば、老人を演じるときはこう気をつけろ、みたいなのが書いてあります。笑っちゃったのは、「忘れてはいけないことは、老人は常に自分を若く見せたいと思っているのだ」と書いてあります(笑)。老人の身体をどうやって再現するかという事を、世阿弥は考えて、分析して、伝えているのです。それが身体を量的に捉えるということです。

 

ー数量化というと、ずいぶん科学的な印象を受けますが。

 

そうですよ。科学的な力を、人間の精神のような数値化できないものの存在をを証明するため使うのです。もちろん音楽を科学で説明しきることはできません。


(著者撮影)

  

若い世代へメッセージ

 

─最後に、若い世代に向けてメッセージをお願いします。

 

今73歳なのですが、今の若い人たちが今後どういう社会の中で生きるのかという事を心配し考えています。音楽に限らず、芸術と文化の未来について考えています。島国の日本は文化的に外からの文明と激しく交わりながら日本的なものに昇華してきた歴史を持ちます。我々の文化をよく知る事、西欧の思想の歴史的な厚みも学ぶこと、を期待したいです。音楽についても、若い人たちはすぐ自分を表現するという言い方をするけれど、表現とは考えただけで表現できるものではないのです。それは自分がばれてしまうことなのです。

だから、自分がどう生きるのかを深く考えてほしい。自分が社会の中でどんな役割を果たしていくかってことをね。僕は音楽が好きで夢中で続けてきましたが、あるときから、こんなに素晴らしいものを与えてくれた音楽に何を返してあげられるだろうか、と考えるようになった。昔風の言い方で恐縮ですが、志を持てという事でしょうか。志とは目的ではありません。医者になる、音楽家に成るというのは目的です。もっと大きな生きる意味です。

 

みなさんのこれからの時間は、羨ましいくらい沢山ある。それを意味のあるものにするために勇気をもって行動してほしい。ゼミのこういう取材も含めて、様々な人と話してみるのはいいことです。長いこと同じことを続けてきた人は、それなりに必ず方法論と志を持っているはずです。



(著者撮影)


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