観阿弥、世阿弥父子から代々続く能楽シテ方観世流。その当代二十六世観世宗家観世清和氏の子息で、観世流能楽師として活動する観世三郎太さんは、私たちと同じ立教大学の学生として法学部に在籍しています。
私たちは芸能研究ゼミの活動の一環として、古典芸能の世界で活躍する同世代の若者に、わざの伝承について取材をする企画を立てたのですが、そのとき、まっさきに思い浮かんだのが、同窓生である三郎太さんでした。
私たちと同じ大学で学ぶ学生である三郎太さんは、一方では、何百年も続く伝統を背負って、稽古と舞台に励んでいます。それがいったいどんな経験なのか、三郎太さんはどんなことを考えて日々を過ごしているのか、とても興味をひかれました。
このたび取材を申し込んだところ、お忙しいなかご快諾くださって、2020年11月22日、一般財団法人観世文庫において、インタビューを行うことができました。さらに、ご宗家のご厚意により、12月2日には三郎太さんとのお稽古の様子を、研究目的で観察させていただきました。ご宗家によるお稽古を公開することは異例のことだそうで、三郎太さんの同窓生である私たちへの特別なご配慮による貴重な機会となりました。
以下はインタビューの記録です。また、こちらのページは、お稽古の観察をふまえて、私たちなりに能のわざの伝承プロセスについて分析と考察を試みたものです。
舞台の上
──舞台を拝見して、まず単純に、能楽師の方は舞台上でどんなことを考えているのだろうと思ったのですが...
上演中は、役のことなどはあまり考えていないですね。基本的には冷静で、特にシテ(主役)になったときは自分のことだけじゃなく、周りの呼吸とかお客さんがどういう反応をしているかに気を遣っています。どこかを意識するというより、雰囲気をつかむためになるべく俯瞰でみんなのことを感じています。お客さんにはわからないですが、自分たちの側で些細なトラブルがあったときに対応しなければいけないときもあります。役に没頭しすぎちゃうと周りが見えなくなるので、「没頭しているように見えるけど心は冷静に」というのを心がけています。
──舞台上で「今日はできたな」と実感することはありますか。
基本的には、稽古で先生に教わったことがしっかり舞台でできたら、今日はやれたのかなと思っています。でもそれ以上に、「あの時こうすればよかったな」とか、「次、あそこもうちょっとこうしよう」という反省点を謡本にメモして、また稽古するということの繰り返しです。稽古じゃわからなくても本番だからこそわかる事もあります。何回もやっていろいろ経験していって、次に活かせる工夫とかも出てきますね。
──舞台では、どのようなときに楽しさややりがいを感じますか。また逆に、やめてしまいたいと思うような瞬間はありますか。 本当にやめたいと思ったことはないですね。三食ご飯食べて歯磨きするみたいな感じで、もう小さい頃からの生活の一部に組み込まれています。逆にやめたらどうなるだろうっていう怖さもあります。楽しさを感じるのは、やっぱり大きな舞台や大曲のために一年間くらい稽古して、舞台でちゃんとしたものができたときは達成感がありますね。
舞台の外
──立教での学生生活は能楽師の世界とはまったく違うと思いますが、このギャップのプラス面・マイナス面があれば教えて下さい。 プラス面で言うと、能楽師の世界は狭いので、立教での学生生活を通して感受性を広げることができたと思います。親も自分も学校生活を大事にするタイプだったので、イベントにはなるべく出席していました。中高ではバスケ部に所属していたんですが、部活を続ける条件が、能との両立だったんです。それは、能への意識が変わるきっかけにもなりました。マイナス面は、大学の課題に加えて能の稽古もあるので、必然的に忙しくなってしまうことですかね。まあでも、それも経験なので。
──能楽師以外でやりたかったことなどはありますか。
他の職に就こうっていうのはなかったです。「これしかできない」っていうのがわかっていたので。嘘っぽくきこえるかもしれないですが、言い方を変えると半ば諦めていたというか、もう他のものになれないことがわかっていたので、考える必要がないと思っていました。能楽師になることしか見ていませんでしたね。
──私生活で気をつけていることや、禁じられている事はありますか。
やっぱり舞台に穴をあけない、稽古をおざなりにしないために、怪我には気をつけています。部活で骨を折ってしまったこともありましたが、骨を折ろうが何だろうが歩けるならやらないといけないので。「普通の学生のように遊んでもいいけど怪我には気をつけなさい」とは言われましたが、怪我しそうなスポーツを禁止されたりすることはなかったです。
──立教英国学院に在籍していた野村裕基さんのような狂言方、あるいは他のジャンルの芸能に携わる同世代の人や少し上の先輩と交流して、刺激や影響を受けることはありますか。
野村裕基さんは小学校の同級生で、今も舞台を共にすることもあります。能の先輩方ももちろんですが、同じ能楽をやっている者として、当然刺激を受けます。ほかの芸能(歌舞伎とか宝塚とか)の舞台も見に行くようにしています。見ていると、自分たちとはまったくタイプの違う芸能なんですけど、そのなかに能と同じ動きを見つけたり、どういう演出なんだろうと考えたり、能楽に活かせることがないか探してしまいます。同世代の芸能関係の仲間と飲んだりすると、お互いの話を聞いて自分も頑張ろう!となります。 ──舞台の外での親子関係はいかがですか。稽古の時間とプライべートの時間で変わったり、年齢とともに関係が変わるようなことはありましたか。 プライベートの時間は「お父さん」と呼んでいますが、稽古の時間とか、楽屋にいるとき、仕事へ行く途中でも、「先生」とお呼びしてメリハリをつけるようにしています。物心ついた時から、稽古の空間に入ったときには自然と師匠と見るようになっていました。反抗期があったとしても、稽古のときは切り替えることが大事です。あと、うちの親子は、あまりプライベートのときは話さないで、稽古のときに話すという感じです(笑)。
ふだんの稽古
──では、これから稽古についていろいろお伺いします。まず稽古のメニューですが、常に次の出演作の稽古をしているのでしょうか。
常に次の演目を稽古しているのはもちろんですが、一曲ずつじゃなくて、複数を同時に稽古しています。今だったら5曲くらい同時にやっていて、その中には数か月先の演目の稽古もあります。
──稽古のふだんの手順はどんな感じですか。
稽古のやり方は、基本的には謡や型を師匠に披露して、師匠が直してくれるというパターンです。直すときには、ここを2ミリ上げてというような直し方ではなく、ここが違うとしか言われないことも多いです。あとは、正しいやり方をやってみせてくれて、それを見て自分のどこが違うのか、真似ながら確認するという感じですかね。
──真似る際には、先生のどこを見て真似ていますか。特に注意して見ている部分などはありますか。
全身を見ています。たとえば、先生が手で何かを持っているとき、下半身を見てみると、腰をかがめて膝も軽くたわめていて、それが大事だったりします。手だけを真似ればいいわけではないんです。客席からだと、手だけで色々やっているイメージが大きいかもしれませんが、一つ一つの動作が全て腰とか膝とか身体全体を使っています。でも本当に全部を見るのは無理なので、なるべく全部を見るつもりで見ています。
真似ることは能楽師にとっての基礎の基礎です。真似ることができないときは、真似る能力の問題というよりも、その日の稽古のための稽古ができていないから真似ることができないということになります。なので、真似ることができないのは論外というか、能の根底にある基礎ができてないということになると思います。
──お囃子の稽古もされるのですか。
お囃子の稽古はお囃子方の先生に習いに行っていて、小鼓、大鼓、太鼓をやっています。ゆくゆくは笛も習います。シテを演じるにも必要なので。リズムに合わせて謡っていないように聞こえるところでも、ちゃんと尺があって、適当に謡っているわけではないんです。拍子のタイミングも決まっていて、舞を舞うときにも笛がわからないとできません。
──能は長時間同じ姿勢をキープすることが多く、体幹の強さが相当必要なのではないかと思いました。バレエのバーレッスンに相当するような、「基礎練習」のような内容の稽古もあるのでしょうか。また、練習や本番で特にどこかが疲労して筋肉痛になったりしますか。
特別に体幹を鍛えるということはなく、稽古をしていくうちに能に必要な体幹を身につけていくという感じですね。どの業界にも言えることですが、基礎っていうのはやっぱり大事だと思っています。まあ、基礎っていうのも何か特別な練習があるわけじゃなくて、一つ一つの曲をやりながら、基礎の練習も併せてしていますね。
疲労といえば、お客さんで「今日はけっこう座って楽そうにやっていましたね」っていう方もいますけど、そんなときでも本当はめちゃくちゃ辛くて疲れます。お客さんにはそう見せないですが、座っているときには痺れますし、痛いんですよ。床几(しょうぎ)といって黒い椅子みたいなものに腰掛ける場合もありますが、これも楽そうに見えますけど、同じ体勢で座っていると、お尻がものすごく痛いです。フカフカでなくて硬いし、装束を着ているので自分が好きな高さで座れるわけではなくて前のめりですし。
立っているときも、普通にまっすぐ立っているわけではなくて、カマエといって膝をたわめて前傾する辛い体勢です。腕もずっと上にあげていたりしますし。だからどこがというよりは、全身が疲労しますね。痛めやすいのは膝と腰。みんな我慢しているだけで、能楽師は膝を痛めている人も、腰痛持ちも多いです。そういうのを騙し騙しやっています。
申し合わせ
──本番前の特別な練習はありますか。
普通の演劇とか歌舞伎とかでは、舞台稽古、通し稽古が大事だと思うんですけど、僕らの世界では、2日くらい前に初めてみんなで集まって1回申し合わせをするだけで、あとは本番です。このあいだご覧頂いた「小袖曽我」は申し合わせもなく、ある程度の確認事を本番前に軽くやっただけでした。基本的に通しでやるのは1回か2回と決まっています。
──それは観世流の人だけでやるから申し合わせはやらなくても別に大丈夫ということなのですか。
いや、基本的にまず、シテ方は異流共演が禁止されているので、たしかに地謡とかツレなどシテ方はふだん一緒にやっている観世流の人ですけど、共演するワキ方とか囃子方はそうじゃないわけです。囃子方にもワキ方にも流派があって、そのたびに組み合せが違うんですよ。だから舞台に立つときは、ワキ方はこの流派だからこういう言葉を使ってくるだろうとか、囃子方はこの流派だからこういう打ち方をしてくるだろうとか、逆に向こうから見たらシテ方はこの流派だからこういう謡い方をするだろうとか、そういうのをお互いに把握しなきゃいけないんです。
──それで申し合わせが1回しかないのでは、たいへんですね。
はい。能は、みんなそういうのをちゃんと全部わかっているというのが、前提になっているんです。ちゃんとわかってないと、たとえば鼓にあわせて謡を切る時に「ヨーーーッポンッ」って打つと思っていたら、打たない流派だったりして「やばっ」ってなったりする...ということになります(笑)。
わざが定着するまで
──わざを口頭で教わっているときには、常にその感覚は腑に落ちるのでしょうか。あるいは、暫く経ってから先生の言っていた意味が理解できたといった経験はありますか。
先生に披露してダメなところを直してもらうというのを繰り返すうちに、「あ、ここなんだな」という瞬間があります。正直お客さんから見てもここが2ミリ違うといったところまでは、わからないと思いますが、そういうわずかなズレがあって、何回もやっていると自分の中で「ここだな」という正しいところがわかってきます。だから何がダメなのか理解できないときはわかるまで永遠にやります。
──何がダメなのか自力で理解できないときは先生に質問するのでしょうか。
何がダメかを質問することは、あまりないですね。質問する際は、稽古で直されたところというよりは、自分がこれからやる舞台についてお尋ねします。たとえば「ここは何足出ていらっしゃいますか」「シオリをどういうふうにされていますか」という感じで伺いますね。
──身体に完全に染みつくまでやれば、自分の中では OK ということですか。
そうですね。舞台の1ヶ月くらい前から全部を一気にやるわけじゃなくて、少しずつ稽古をして、何回も繰り返すので、本番では他のことを考えながらでも舞えるくらいにまでもっていきます。
──同時にいくつもの演目の稽古を進行していて頭の中で混ざってしまうことはありますか。
もちろんあります。2つの作品でツレをやっていたりすると、同じようなことをすることが多いので、たまに言葉が「あれ、ちょっと違うな」ってなることもあります。 本番でやってしまうことはないですけど、覚えようとして謡っていて気づいたら違う曲になっているという時もあります。そういう時はもう頭を一気に切り替えて練習しています。
ツール
──稽古の際には何かツールを使うことはあるのでしょうか。
謡本や型付を先生から頂戴して、日々お稽古でバーッと言われたことを覚えておいて後から書き込んだり、謡で間違えたところには印をつけたりしています。自分の声とか動きはお稽古の時は録音しません。基本的に能楽は一子相伝で真似ていくものなので、あんまりボイスレコーダーなどの機械に頼ることはなくて、原始的な方法でやっています。口では伝わらないこと、映像ではわからないことを大切にしています。生で見てしっかり稽古するっていうのが大事です。
──自分の本番の映像を見返したりはしますか。
前に舞台でやったときのDVDを見ることはありますよ。「教えられたとおり真似ていたつもりだったけど全然違うな」とか「ここダメだな」とか「もっとこうした方が良かったな」というのを見つけたりします。他の人がやったものを観て参考にすることもあります。
──それはひとりで見返していますか。先生と一緒に見返したりはしますか。
もちろん一人で見返します。先生と一緒に見ることはないです。先生は先生で見てくださっているので、どんな舞台でも必ず後からご注意をいただきます。1 回やれば終わりというものではなく、次もやる可能性があってどんどんレべルアップをしていかなければならないので。
──三郎太さんにとって、能楽師としての正解は先生のなかにあるということですね。
まあ自分のなかではそうですね。先生も一つのことに細かく言うのではなく、工夫の範疇という意味で2、3個幅を持たせて仰います。アドリブとは違いますが、工夫しどころがあるわけですよ。たとえば謡い方も謡本の通りではなく、「ここはゆっくりじゃなくて、もうちょっと速く」とか「自分でもうちょっと考えて動きなさい」っていう注意を受けますね。
──そういう工夫っていうのは、意識が変わったとおっしゃっていた中高生くらいの時期からするようになったのですか。
それは高校生とか大学生くらいですかね。自分がどんな場面でどんなことを言っているのかということを意識するにするようになりました。たとえば怒っているのにゆっくり話すのはおかしいし、悲しんでいるのに怒り口調だったらおかしいので。そういうところを一番大事にしていて、それが工夫の範疇だと考えています。
──そんな工夫をなさっていたんですね。私は観ていて声のスピードなどを気にしたことがありませんでした。
実は聞きやすいように、謡が長い部分はダラダラ謡うんじゃなくて、ちょっとずつ詰めながらやったり、型とかも男舞のときは大きく舞ったり、どういう風に魅せるかという工夫が、細かいところにたくさんあります。
──そういう工夫が先生に褒められることはありますか。
あんまり褒められるということはないですね(笑)。今、先生でさえ稽古を続けていらっしゃいますし、死ぬまでが稽古なので、一生これが続いていくという感じですね。成長が止まることはないので。
能楽師としての夢
──能楽師としての夢や目標はありますか。
先日舞台を観に来てもらってわかったと思うんですけど、お客さんの年齢層がどうしても高めになっちゃうんですね。だから、若い世代に「能は敷居が高い」という意識を変えてもらって、もっと能を観に来るようになってほしいというのが夢です。そのために、先日のコシノジュンコさんとのイべント(※1)とか『攻殻機動隊』の能(※2)みたいに、若い人が興味を持ちやすい題材の能を、これからもっと積極的にやりたいなと思 っています。やっぱり今、僕と同じ若い世代が能に興味を持つのは珍しいことなんです。だからこういう風に取材をしてくれてとても嬉しいです。
※1 2020 年11月9日に、観世能楽堂で行われた二十六世観世宗家である観世清和氏と、デザイナーのコシノジュンコ氏が、「継承される伝統と現代の融合」のテーマのもと、ファッションショーと能の演目の2部構成で共演した公演。
※2 昨年の11月28日に東京芸術劇場プレイハウスにて行われた、士郎正宗マンガ「攻殻機動隊」を原作に、最先端技術を駆使して立ち上げられた新作能。今年の 5 月に再演が予定されていたが、東京都の緊急事態措置に伴い7月15日に公演日が変更された。
目標ということだと、実は目標を決めることが正直に言ってあまり好きじゃないんです。「この日までにこれを覚えよう」みたいな小さい目標は決めるんですけど、大きい目標を決めてしまうと、そこまでは突っ走れるかもしれないけどその先が燃え尽きそうだなと思ってしまいます。
ただ、生涯目標として「死ぬまで能をやる」というのだけ決めていて、「何々の賞をとってやる!」みたいな目標はあんまりないですね。すごく格好つけてるみたいになっていますけど。
観世三郎太氏
二十六世観世宗家・観世清和氏の嫡男。立教大学法学部在学中。2009 年、10歳で初シテ、2015 年、15 歳で「初面」を勤める。2020 年には、「能+ファッション 継承される伝統と現代の融合」や VR能「攻殻機動隊」など、斬新的な舞台へも出演。
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