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  • 執筆者の写真ゼミ 横山

後進とともに伝統芸能を前に進める【後編】

竹本葵太夫氏 お稽古取材&インタビュー


竹本葵太夫氏(以下「先生」)が、4月に研修生となった第25期竹本研修生のお稽古の見学をお許しくださり、その後に竹本(歌舞伎義太夫)の稽古方法についてレクチャーをしてくださいました。さらに、私たちからの質問にも丁寧にお答えいただきました。振興会職員の皆さまへの取材後、ご厚意で急遽こちらの貴重な機会をいただきました。ありがとうございました。見学をお許しくださった喜びと驚き、緊張のなか、お稽古場にお邪魔させていただきました。以下はそのレポートです。



お稽古の様子──張扇で伝える「感じ」


お稽古は3名の研修生と先生が感染症拡大防止のため通常より距離をとって向かい合う形で行われます。


冒頭に先生は、私たちにお稽古の流れを以下のように説明してくださいました。


初めに私が見本を語って聞かせて、今の時代ですから録音させています。昔は録音はだめでしたけど、そのかわりちゃんと次までに覚えてきてくれよということです。今度は一緒に合唱します。そしてその後は一人でやらせます。合唱は自転車でいう補助輪付きの走行ですね。ガタガタしているところは「そこはこうだよ」と細かいところを直していきます。今は義太夫節の入門編の段階です。これだけのフレーズにこういう注意事項があるんだと、あえて先に進まずに細かいことを注意しています。3人で合唱して稽古させるときもありますが、基本的には個人個人で見るようにしています。


その後、お稽古が始まり、稽古場に生徒さんの独唱が響きます。先生は三味線の音に合わせて持っている張扇で間を取るような動きをします。途中で先生が「はい」と止め、「だいたいもう分かってきていると思うから、本から目を離して、なるべく私の方をみて。この張扇(はりおうぎ)で「感じ」をやりますから」と告げ、もう1回あたまから生徒さんが繰り返しました。


その後も、先生はたびたび途中で止めて、張扇で「感じ」を表現しながら手本を語ってみせました。そうやって先生が手本を示した後にもう一度研修生が語るのを聞いてみると、たしかに節にはより抑揚がつき、素人が聞いても深みや奥行きを感じられるものに変化していました。細かい「感じ」を指導するため、先生は張扇で音階や強さ、言葉では表しきれない細かいニュアンスを表現していたようでした。研修生は扇の動きをよく見ながら呼吸も合わせて全身全霊で「感じ」を掴もうとしているようでした。張扇の動きは、言葉以上に先生と研修生を繋いでいるように見えたのです。



竹本の稽古──葵太夫氏に伺う

私たちがやっているのは、昔からの語り芸です。例えば、「後(あと)にお七は心も空」という文章があったとします。「後(あと)にお七という女性は心も上の空で気もそぞろであって落ち着かない」というのを表現するのですが、「後(あと)に/お七は/心も/空」と品詞分類をして、「後(あと)」、「お七」、「心」、「空」は詰めて言う。助詞で節を作るのは語りもののシンプルな形なのです。それが色々なバリエーションができまして複雑な形になっていきます。旋律はついているんですが、実際にちょっと2種類やってみますね。

(実演してくださる葵太夫先生)

2回目は旋律に忠実にやってみました。最初にやった方は、お七というのは14歳の八百屋の娘なのですが、それを踏まえた言い方。女の子のしなやかさを出しています。そのためお稽古では彼ら(研修生)に旋律を覚えたら譜面から目を離して私のこの張扇を見て語る練習をしていきます。その中で、「こんなニュアンスを乗せると、こういう印象に聞こえるようになる」というのを教えています。

それがこの世界では、口伝(くでん)で伝わってきているのです。そのため、習わないとわからない。なんとなく録音を聞いて耳コピするだけでは、同じことはできるけれども、「お七の境遇によって変化させる」というのは出来ないですよね。同じ女性でも子供か大人か、また若い女性でも恋人がいるかいないかでも変わってくるわけです。このようにいろんな引き出しを持っていなければいけない。つまり、目を瞑ってもその実像が見えてくるように語らなければいけないのです。


われわれの歌舞伎の義太夫節は俳優さんがメインです。俳優さんが舞台で演技をしていて我々はその補助的な役割を担う存在です。そのため俳優さんにマッチしていなくてはいけないのですが、俳優さんによって同じ作品でも少しずつ表現のタッチが変わってくるんですね。そこで、今回は自分の中のこういう引き出しを使った方がいいなと、そういうふうにやらないといけない。「シェフ、今日の料理は辛いですね」と言われたら「いや、それがウチの味です」とは言えない。「わかりました」とすぐに直さないといけない。それが歌舞伎劇というものの劇音楽でありますので、俳優さんがやりやすいということが一番要求される、いわば職人なんですよ。

本筋の文楽の人形浄瑠璃の義太夫節は、それこそ「私のやり方はこうでございます」で良いのです。しかし我々(歌舞伎の義太夫節)は俳優さんがあって、それを支えていく、盛り立てていくという役割があります。さじ加減、味加減、そういうのだけではいけない。どういう手段で俳優さんにマッチするものを出すか、自分の引き出しから適当なものを出してくる。


(説明をしてくださる葵太夫先生)


これは以前、研修生にも伝えたことですが、声の色と書いて「声色(こわいろ)」ですね。声の色合いはやはり大事です。皆さんの感情に応じて声の色合いが違ってきますよね。そこで、シチュエーションによって声の色合いを作らなきゃいけない。いわば、パレットに絵の具を絞って、まぜて、それらしく色を作る。


皆さんが今やっているメイクみたいですね。メイクも時と場合によってやり方が違ってくるでしょ。筆の使い方でも、ぼかすとか、筆を立てるとか・・。そういう技術ですよ。化粧品にしても、どのファンデーションにするとかどの口紅にするとか。やっぱりみんな何種類も持っていますでしょ。そういう引き出しを研修生は作っている最中、仕入れている最中なのです。

昔はね、こういうことを分析して言ってくれなかったのです。私は1979年に養成所に入所しました。その頃は明治、大正生まれの師匠方が漠然と(目の前にあったペットボトルを渡して)「はい、これ」と完成品を渡されて、それを真似する、完コピするっていうのが主流でしたね。2年間の研修中に、「これ」と完成品を渡されて、なかにはすぐにできる子もいます。でも、普通はなかなかできないものなのですよね。若いし、いろいろなことがありますから。ですから私は、効率よく、初めに全部手の内を明かしてしまいます。そして、これはあの時に説明した方法だよと教えていくという手法で彼らに指導しています。


今はYouTube等に昔のいい作品、録音があるので、そういうものを調べたり聞いたりすることは非常に楽な時代になりました。手元にあるテキストの古語を調べるといったことでも、普通の古語辞典にないような言葉もいっぱいあるんですよ。そういう場合は昔は日本国語大辞典を使って図書館で調べましたけどね。今はネットですぐ出てきちゃう(笑)。逆にそういう楽ができる分、もっと良くなんなきゃだめだと思います。だから私がみんなに願うことは、僕なんかよりももっともっと上手くなってほしい、ということです。そのために、知っていることはなんでも教えますよという気持ちで指導をやっております。

学生との質疑

──稽古中のパーテーションなど、コロナ禍で変化したことはありますか。

主催者側からの要請もあり、実際の公演で我々は舞台用のマスクをしてやることになりました。日常会話でもそうですが、やはり口元が見えないので聞き取りにくい。そのため、よりはっきり言うことは意識しています。「ガギグゲコ」の鼻濁音と普通の発音の区別などは特に注意して発語していますね。

──ご自身の経験の中で、新たに技を見いだすということはあるのですか。

もちろんあります。しかし、結局は教わらなかっただけで昔の人がやっていたことかもしれないですね。


この頃思うのは、声を出すための「共鳴」ということです。私らが入ったばかりの時は、腹式呼吸で!くらいしか発声について言ってくれなかったんですよ。私は頻繁に喉(声帯)を痛めていました。大きな声を出さないといけませんからね。それで、近年、研修生には声を潰すようなやり方を教えてはいけないなと思いましてね。それこそYouTubeのボイストレーナーの人のチャンネルを見て、咽頭腔・口腔・鼻腔共鳴というのがあるのを学びました。実際、自分自身もよくなりましたし、研修生もやりやすくなったと思います。日々勉強ですね。


私も令和元年に人間国宝の認定を頂きましたが、当時よりも良くなっていると思います。今、私はダジャレで「後進と共に前進」ということで、後進と共に私も成長しようという思いでやっております。到達点なんてないですからね。芸事は「始まりあっても終わりなし」と昔から言われていますので、できたと思ったら、また次の課題が見えてくる。この繰り返しです。一方で、我々のように芸事をやる側はこの意識でいいのですが、観る人には気軽に見てほしいですね。

──俳優さんと阿吽の呼吸で合わせられるようになるために、どのような訓練をされたのですか。

僕たちは舞台のそばに、舞台を見学する場所があります。そこで先輩の舞台をずっと見ているのです。そこでその日ごとの俳優の些細な違いを感じ取るというのをやっていました。25日間、全く同じ演目をやっているので、初めの3日間くらいずっと集中して見て、しばらくしてまた見に行って。そうするとこの間見た時と違う、というような発見があったりします。


加えて、その日の舞台を終えて、師匠方が楽屋に戻って来たときに公演の振り返りをしているのを聞いて、「なるほど、ここはそういうわけがあったのか」というように、一つ一つ身に付けていきました。自分で求めていかないとね。下積み時代、「お前たちは勿体無い。楽屋にはたくさんの言葉の落とし物があるのに。それを拾っても罪にはならないんだから」とよく言われました。貪欲さがないとも言われましたね。


楽屋では、よく失敗談も耳にします。それがもし自分が出演している時に起きたときにどうするかという想定に役立つんですよね。例えば、三味線の糸が切れちゃったとか皮が破けちゃったとか。そういう時はどうしたらいいかとかね。そういう楽屋での世間話も落とし物として拾って引き出しに入れておくわけですよ。人が怒られているのをそばで聞いていることも勉強になります。


決まったものを形通りにコピーするというのが普通のやり方。お能とか狂言とか、そういう他の芸能では当たり前なのですが、我々はさらにその応用編があるということですよね。だから人間的に幅のない人はダメですね。我々の歌舞伎音楽の竹本としては、わたくしはこれでございますという人ではダメです。

──後進に向けてご自分のわざをこれだけ丁寧に伝承しようとなさるのは、どういったモチベーションからでしょうか。

私は、自分が教えていただいたから今日があります。ある師匠に、「君だけのために教えるんじゃない。次世代に向けて教えていってくれると思うから僕は君に教えるんだ」と言われたことがあります。技術だけを習得して「自分が一代、仕事ができれば良い」ではなくて、次世代に私が残さないといけないという責任感があります。「私は教える立場に及びません」というのも謙虚でかっこいいと思うのですが、やはり私は、「下手な部分はあるけども自分が知っていることはたくさんあるから、参考にしてみてくれ」という心意気で今、こうして養成所で教えています。

──ご自身のわざを言語化して伝えることはしますか。

しますよ。例えば、三味線の音も言語化できるわけです。


これは口三味線(くちじゃみせん)というのですが。以前、テレビ番組でジャズサックスをやっている方が、サックスで吹くには、口で再現できないと楽器でも吹けないとおっしゃっていて、全くどの世界でも同じだと思いました。重要なのは、ただ三味線の音をなぞるのではなく、弾き方のニュアンスまで言葉にして真似するのです。このように息の入った言葉で表現できないといけません。それが実際の歌詞にニュアンスを入れて歌うことに繋がってきます。


(ホワイトボードを使い譜面の解説をしてくださいました)


譜面でも、いろんな記号を使って歌詞に記入していきます。一例をあげると「入レル・ハネル」という専門用語がありますが、それも昔の人が技を言語化した一つですよね。

──「俳優さんに合わせて歌う」というわざはどのように教えていますか。

それは現場主義ですね。現場で当たっていかなきゃいけない。ここ(養成所の稽古)では、たとえば俳優さんが、袖を持って体をひねる女性らしい動きをしたら、こんな歌い方だよというのは言えますけれども、俳優さんも個人個人で動きに個性がありますので、それは現場で見て、それを察知しなきゃいけないですね。つまり、人を思いやる気持ちということです。


僕たちは洋服で楽屋入りして、着物に着替えますが、新人の時は先輩の着替えのお手伝いをするわけです。そういう時に、どのタイミングで帯を渡したらいいのか、どのタイミングで飲み物を渡したらいいのか。思いやりの心で、様子を伺いながら気を利かせてやるという。これが舞台で俳優さんが今日は動きが早いな、遅いなという分析力に繋がると思いますね。

──先ほど研修生の皆さんに技術を教える際、先生はあえて最初から手の内を明かすようになったとお聞きしました。そのように考えるようになったきっかけはありますか。

私は、いきなり「はい、これをやりなさい」と完成品を渡される時代を数年経てから文楽の竹本源太夫師匠という方に師事したわけですね。その方が丁寧に手の内を明かして下さって、「あぁ、もっと早く知っていたらなぁ」って。やはりやることはたくさんあるんですよ。わずかなことにこれだけ費やしていたら生涯かかっても進まない。それならば初めにこういうことは身に付けて、それから先のことをどんどん勉強していく方がいいと私は思いますね。

──芸をより発展させるために、自分が身に付けていることは全て教えてしまうということですね。

そうです。伝承というのは、伝言ゲームみたいなものですね。伝言ゲームってどんどん間違えて伝達していくじゃないですか。情報量も少なくなるし。だから今は映像とか音声とか色々メディアがありますけど、昔は耳で覚える、または、自分で書き留めて譜に起こしておくなどするしかありませんでした。覚える時の集中の仕方が、昔は身体中を耳にして覚えたものだって師匠方はよくおっしゃっていましたけれどもね。そういう意味で、意識が変わってきているのは致し方ないことではありますね。


それでも、絶えてしまうよりかはいいと思っています。口伝えだけではやはり伝言ゲームのようになってしまいますから。それなら私はなるべく残しておきたいと思うんですよね。この文章で表せる部分、録音で表せる部分、語り方を映像で表せる部分、色々メデイアを駆使して残していけるところはそうすればいいと思うのです。

──映像だけでは残せないこともありますよね。

そうです。映像に加えて解説がないとね。あとはやはり完成品を渡されて自分で分析する力をつけるというのももちろん大事です。他の講師の方はおそらくそれをやらせていますよね。

──(研修生の方々)はい。

それはそれでやったらいいと思う。僕はその分析をするときのヒントを与えている感じですね。

──今後、どのような方に研修生として入所してほしいですか。

何よりも「好きな人」、「この仕事に愛情を持てる人」、「丁寧にこの仕事をやってくれる人」。

料理も、自分で作って美味しいと思わなければ人に美味しいものは作れないですよね。また、お芝居をみていて「いいなぁ」「ああいうふうに歌いたいな」というような感受性を持っていること。自身に感受性がないと、それを表現できないですからね。


そのためにはやはり愛がないとできませんよね。相手を喜ばせたいという気持ちも大切です。俳優さんを喜ばせたい、そしてその俳優さんが熱演してお客さんが喜ぶ。そういう意味で、この仕事に愛情を持てる人ですね。最初はそこまで好きではないという人はいかに好きになれるかだと思います。「好きこそものの上手なれ」という言葉もありますね。

──たくさん質問にお答えいただきありがとうございました。

また機会があればぜひお越しください。頑張ってお勉強なさってくださいね。




編集後記


根間:今回の取材を通して、日本の伝統芸能伝承の現場では、単に師匠と弟子だけではなく、より発展に寄与するために、また、最高の学びの環境をつくるために尽力されている振興会の方々がいるからこそということが大きな気づきでした。加えて、お稽古見学という貴重な機会も頂戴し、日本の伝統芸能伝承の最前線でご活躍される方々の熱量を肌で感じることができました。貴重な稽古時間を使って実践や身近な例を出しながら一つ一つの質問に丁寧にお答え下さった葵太夫先生。取材を承諾してくださり、取材当日の段取りなども迅速にご対応下さった振興会の方々、心より御礼申し上げます。


張:今回は何度も観劇した国立劇場の裏に入る貴重な機会をいただき、本当にありがとうございます。表舞台から見えないところで、研修生と先生をサポートする職員の谷口さんと三吉さんによる丁寧なフォローがとても印象的でした。また、竹本授業を見学した際、竹本葵太夫先生と研修生たちが真剣に取り組んでいる姿勢に圧倒されました。竹本葵太夫先生は私たち若者の質問に親切に回答してくださり、特に「次世代に私が残さないといけないという責任感」というお言葉が強く心に残りました。職員さんも先生も、そのような責任感があるからこそ、伝統芸能が消えることなく、代々受け継がれて現代を照らす日本文化という名の光になると思います。貴重なお時間をいただき心から感謝申し上げます。


中村:お忙しい中、長時間にわたるインタビューに応じてくださり、ありがとうございました。日本の伝統文化継承の場を二つの面から知ることができ、多くのことを学ばせていただきました。日本芸術文化振興会のお二人の話からは、先生と研修生の橋渡しとなり、サポートをしていくというお話が印象的でした。ただ養成事業を運営するのではなく、研修生を多方面から見守り支えるお2人の温かさが、取材をしていても伝わってきました。また少しでも伝統芸能の未来を明るくしたいというお二人の想いが、お仕事のやりがいにも繋がっているのだろうと感じます。谷口様の計らいで、葵太夫先生にも急遽ではありますがお話を聞くことができました。芸の発展のために、使えるものはどんどん取り入れ、自身が教えられることはとことん教えるというお話が大変面白かったです。双方のお話から、時代の変化に合わせて伝承の仕方も少しづつ変わっていくことがあることを知り、勉強になりました。研修生の応募がなかなか集まらないという苦労もお聞きしましたが、日本芸術文化振興会の養成事業が伝統芸能の光となり続けることを願っております。重ねてにはなりますが、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。


藤田:大変貴重なお時間を頂戴し取材させていただいたことに、この場を借りて感謝申し上げます。職員の方々のお話から、先生方、研修生を中心に、振興会のみなさまが一丸となって芸能を継承していることを知ることができました。ただ研修を運営するだけではなく、先生方や芸に敬意をもってお仕事をされているのだと感じました。アクリル板を設置するなど、コロナ禍でも配慮をしながら継承の場を用意されていて、芸を次世代に伝えていくために尽力されているのだと思いました。また、ご好意で葵太夫先生お稽古も見学させていただき嬉しく思います。先生の「後進とともに前進」というお言葉が強く印象に残りました。伝統芸能の世界では、手の内を後進に明かすことはしないと思い込んでいたため、先生のお話を伺い大変驚きました。芸の発展に尽力されている先生のお言葉は、一言一言に迫力があり、取材させていただいた幸運を改めて感じています。日本の伝統芸能の更なる発展を願い、これからも歌舞伎を楽しみ、そして学びたいと思います。




独立行政法人日本芸術文化振興会 国立劇場調査養成部養成課 谷口善信氏&三吉洋平氏 インタビューはこちら

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